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「コミューンにおけるアソシアシオンの不在」

2010-06-21 | 東島誠『自由にしてケシカラン人々の世紀』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 6月21日(月)23時43分53秒

東島誠氏は面白いことを言われる方ですね。
『自由にしてケシカラン人々の世紀』p122には、「戦後民主主義の中で育まれた歴史学は<国家からの自由>を論じることはできても、<共同体からの自由>を構想することができなかった」とありますが、「中世自治とソシアビリテ論的展開」(『歴史評論』596号、1999年)を見ると、この点についての説明があります。(p36以下)

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 だとすれば日本史家は、ただちに次のような疑問を持つであろう。なぜ筆者は、中世民衆世界の到達点と言われるもの─惣村、町共同体、あるいは惣国一揆等の自治的達成を評価しようとしないのか、と。(中略)

 だが、ここに一つの落とし穴がある。コミューンは地域的な自治組織であるが、アソシアシオン(アソツィアツィオーン)には地域性というものがない。要するに前者は実体概念であり、後者は関係概念として区別されるべきものなのである。このことはすなわち、アソシアシオン関係とコミューンが常に一致するとは限らないことを意味するが、筆者の見るところ、脇田が「コミューン」と呼んだ日本中世の自治組織には、このアソシアシオン的性格が欠けているとしか思えないのである。「一揆」「一味神水」とは、アーレント風に言えば「たった一つの遠近法」を強要することであり、もちろんそれはパブリックではありえない。(中略)

 勝俣鎮夫の「公界としての共同体」論は、このアソシアシオン的性格の欠如という、最も基本的な特質が見えていないという意味で、既往の中世史研究の到達点を示すものとなっている。(中略)

 だが、勝俣「公界」論には、残念ながら更に深刻な論理上の混乱が含まれている。それは、勝俣が「もうひとつの『公』と言う場合の、「もうひとつ」の認識である。勝俣が言うように、たしかにパブリックはオフィシャルとは異質な概念であろう。だが実際に勝俣が「もうひとつ」として見出したものは、異質ではなく、むしろ同質なものなのである。それは単に、オフィシャルな権力に対して<自律性>を有する、「もうひとつの」小さなオフィシャルの形成でしかない。両者の同質性は、江戸幕府の職制に老中や若年寄があり、中世自治組織の老若(年齢階梯制としての「公界」)にも、老中(乙名中)や若衆があるという一事を見ても明らかである。(中略)

既往の中世自治論は、オフィシャルな権力を相対化しようとして、かえって同質の権力形成を賛美してしまっているのである。それはただ「下からの」権力形成であるというナイーヴな理由だけで美化されてしまい、そのことが、あらゆる権力の<かたち>を共同体的に成形している構造(ふつうこれを天皇制と呼んでいる)と共犯関係にあることについては、中世史家の間では疑問すら持たれてこなかったのではあるまいか。
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左翼の歴史学者に対しては、非常に痛いところを突いた批判なんでしょうね。
東島誠氏は網野善彦亡き後、弱体化が続く左翼歴史学界を立て直す救世主なのか、それとも歴史に「ないものねだり」をし続ける無邪気な永遠の子供なのか、はたまた戦後民主主義の成果を根絶やしにしようとする現代のロベスピエールなのか。
なかなか興味は尽きないですね。

>大黒屋さん
環境の変化もあって、電子書籍についてはあまり興味を感じなくなりました。
ネットについては多少書きたいこともあるのですが、暫くは地味に歴史の勉強を続けるつもりです。
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