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「江湖の野子」

2011-02-27 | 東島誠『自由にしてケシカラン人々の世紀』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2011年 2月27日(日)00時44分0秒

>筆綾丸さん
>『鎌倉幕府の滅亡』
私も昨日入手したので読んでみました。
納得できた点もあり、若干の疑問を抱いた点もあるのですが、当面は宗教ないし宗教美術関係に集中したいので、感想等は控えます。
今日は彌永信美氏の「キリシタンをめぐる三つの『背景』」(『アジア遊学 127 キリシタン文化と日欧交流』勉誠出版、2009年11月)に紹介されていた釈徹宗氏の『不干斎ハビアン 神も仏も棄てた宗教者』(新潮選書、2009年)を読んでみたのですが、浄土真宗のお坊さんでもある釈氏の見解には微妙な違和感を感じる部分が多いですね。
最後の方に「江湖」が出てきましたので、少し引用しておきます。(p237以下)

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 ハビアンは「絶対・普遍」の概念をもったキリシタンさえも相対化した。並みの力量ではないと思う。さらに、仏教・儒教・道教・神道と、その当時、身の回りにあったすべての制度宗教を相対化してしまったのである。しかしハビアンは、宗教を排除した「世俗主義」にも同調を示したわけではない。
 そこに開けてきたのは第三の道である(その第三の道は現代スピリチュアリティの領域とも重なるところがある。)
 ハビアンはその領域での立脚点を「江湖(ごうこ)の野子(やす)」と表現した。『破提宇子』の序文にはハビアンが自ら「江湖の野子好菴」と署名している。「俗界の野人ハビアン」といったところだ。「江湖」は禅僧の世界を表す言葉でもあるが、この場合は「野子」という言葉が続くところから、「俗世界」を指すと思われる。「野子」という言葉には、すでにどのような宗教教団にもコミュニティにも属していない、属するつもりはない、というハビアンの立脚点が表現されている。結局、ハビアンが最後に着地したポジションは「俗界の野人」だったのである。
 ハビアンは自らの宗教性だけを拠り所として、ただひとり、裸で死んでいく覚悟を引き受けたに違いない。
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不干斎ハビアン
http://www.shinchosha.co.jp/sensho/editor/2009/603628.html



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