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二条良基を離れて

2020-02-05 | 『増鏡』の作者と成立年代(2020)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年 2月 5日(水)10時25分53秒

小川剛生氏は2006年に『二条良基研究』で角川源義賞を受賞されましたが、これを受けて『三田評論』(2007年5月号)に小川氏と磯田道史氏の対談が載っています。
その中で、小川氏は、

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小川 まず二条良基が作者として最もふさわしいと言われている『増鏡』が好きで読んでいたということがあります。『増鏡』は鎌倉時代の宮廷を描いた歴史書ですが、動乱の世にこんな優雅なことを書いていていいのかと、時代錯誤だとしてあまり評価されていなかった。だけど、乱世のなか平安時代の残っている優雅な面を書いているわけですから、これはちょっと尋常な精神の持ち主じゃないなと逆に思ったんですね。実際文学として読んでみるとなかなか一貫性のあるおもしろい読み物だし、時代に背を向けているのは、それはそれで一つの主張を持った人物の生き方ではないか。それで良基について書かれたものを読んでみたら、これが『増鏡』の作者だということと切り離して考えても、おもしろい人物だったんです。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c002dfe093cdd035ca24de729c4a79b5

と言われており、二条良基より『増鏡』の方に最初に関心を持ったそうなので、『増鏡』に対する小川氏の思い入れは相当なものですね。
そして、

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『増鏡』については、逆に二条良基の伝記、業績の研究から入って、結果的にどう見えてくるかという手法でやったほうがいいと思った。非常に迂遠だけど、初心忘れるべからずという感じでやったんです。
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とのことで、小川氏は『二条良基研究』(笠間書院、2005)の「終章」で、『増鏡』の作者は丹波忠守、二条良基は監修者という新説を提示されました。
正直、私はこの新説にあまり感心しませんでした。

「なしくずし」(筆綾丸さん)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7b52c8b6c2aeb88a2bd26efa1d53ff42
「牛」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/42f7ab621d785857c49ff7b2e418780c

そして、『二条良基研究』に対する国文学者・歴史学者からの絶賛に近い評価にもかかわらず、この新説に限っては特に追随者はないまま十五年が経過し、とうとう『人物叢書 二条良基』で小川氏本人が撤回、という経過を辿った訳ですね。
ということは、「『増鏡』については、逆に二条良基の伝記、業績の研究から入って、結果的にどう見えてくるかという手法」は、結果的にそれほど有効でもなかったようです。
さて、私自身も『増鏡』作者を四半世紀にわたって追いかけている訳ですが、私は最初に『とはずがたり』に興味を持って、『とはずがたり』を理解するために『とはずがたり』が大量に引用されていると聞いた『増鏡』に近づきました。
その結果、『とはずがたり』と『増鏡』の作者は同一人物ではなかろうかと思っていろいろ調べて、今でもその結論は間違っていないと考えています。
このような経緯だったので、私の立場では『増鏡』は当初から二条良基とは切り離されています。
そもそも『増鏡』には西園寺家の記事が溢れているのに対し、摂関家の記事は僅少であり、まして二条師忠という人物が西園寺実兼を引き立てるための滑稽な役回りで登場しているので、師忠の子孫である二条良基が作者であるはずはないことは、私にとっては自明です。
従って、小川氏が紆余曲折を経て復帰された従来の通説、即ち二条良基作者説を批判しようとする意欲は全く涌かず、また、従来の通説を批判したところで自説の根拠づけにはなりません。
そこで、私も自らの原点に戻って、『とはずがたり』と『増鏡』の関係を、改めて徹底的に分析してみたいと思います。
そして、仕切り直しの準備として三浦龍昭氏の「新室町院珣子内親王の立后と出産」を選んだのは、同論文には遊義門院が登場し、『増鏡』と『とはずがたり』の関係について考えるヒントを提供してくれているからです。
ということで、早速、「新室町院珣子内親王の立后と出産」の検討に入りたいと思います。
同論文は、

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 はじめに
一 珣子内親王立后とその背景
二 出産をめぐる祈祷─「御産御祈目録」と「中宮御産御祈日記」
 おわりに
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という具合に、ずいぶんあっさりと構成されています。
三浦氏の執筆意図を確認するため、次の投稿で「はじめに」を紹介します。

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