第71回配信です。
呉座説も「結局、人々の専制支配への怒りが体制を崩壊させた式の議論」〔2020-09-09〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/3a05fda1f50c2afc2ca40b7feee442db
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呉座勇一氏 「楠木正成が頑張りました」説
亀田俊和氏 「護良親王が頑張りました」説
ちょっと仕切り直しします。〔2020-09-14 〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d86e6a94ca234b007dbadd4a68da5891
鎌倉幕府滅亡は「下部構造」では説明できない。
社会経済的には「革命」の機が熟していないにもかかわらず、現実に「革命」は行われてしまった。
ロシア革命に似ているのではないか。
当時の常識としては、革命は先進的な工業国家で起こるものとされていた。
しかし、後進的な農業国家であるロシアで革命が起きてしまった。
この非常識を実現させたのはレーニン。
「前衛党」がプロレタリアート革命を指導すべきだと主張。
ウラジーミル・レーニン(1870‐1924)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3
共通の「理念」を抱いた少数の「前衛党」が「革命」を主導したのではないか。
「理念」を体現するのはもちろん後醍醐天皇。
足利尊氏はその「理念」に賛同した鎌倉末期「ボルシェビキ」なのではないか。
そして、足利尊氏が何者かを理解するためには足利尊氏の正室・赤橋登子が何者かを問うことが必要。
もしも名越高家が久我縄手で死ななかったら(その1)(その2)〔2021-07-26〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e111b78a5e127216675f337f822d9254
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