学問空間

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0061 赤江達也『「紙上の教会」と日本近代』(その6)

2024-04-04 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第61回配信です。

今回、配信に際し、若干のトラブルがありました。
自分では40分ほど話したつもりだったのですが、前半が全く録画されておらず、後半の20分のみの配信となってしまいました。
自分の作業手順に問題はなかったので、通信回線の問題かな、などと思っています。
前半部分は後で改めて配信します。


一、前回配信の補足

森有正「南原繁先生」(丸山真男・福田歓一編『回想の南原繁』所収、岩波書店、1975)

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【前略】
 一九五〇年八月、私は戦後第一回目のフランス政府給費留学生に選ばれて、一年の予定でパリへ来た。しかし私は一年でかえらず、それから二十四年間フランスにいてしまったのである。私は海外派遣の助教授であったから、それは直ちに私の身分上の問題となった。私はそれを覚悟していたから、留学期間が終ると共に、辞任をお願いし、その理由を書き送った。これは文学部、殊に私の属していた仏文科の先生方には大変な御迷惑と御心痛をおかけすることになってしまった。しかし、結局一、二年して私は辞任させて戴き、依願免官となった。
 それから暫くして、私は偶々パリにいた加藤周一君とランデーヴーをとり、時間より少し早目にオルレアン門にあるアクロポルというカフェー(今はもうない)へ行ってかれを待っていた。店のガラス戸が開いて人が入って来るので、見るとそれが南原先生ではないか。【後略】
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二、「なぜ無教会派だったのか」(p238以下)

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第三章 無教会の戦後
第一節 啓蒙の精神――南原繁,矢内原忠雄の宗教的啓蒙
1 キリスト教知識人の再登場
2 南原繁の「精神革命」論
3 矢内原忠雄の「日本精神」論
4 宣教としての啓蒙
5 無教会主義の倫理と宗教的啓蒙の〈精神〉

https://www.iwanami.co.jp/book/b261295.html

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 なぜ無教会派だったのか

 それにしても、本書の「はじめに」でも述べたように、敗戦後の状況において、キリスト教知識人のなかでも、とりわけ無教会派の人びとの存在感が際立っていたのはなぜなのだろうか。これまでの考察をふまえるならば、次の四つの理由を挙げることができる。
 第一に、彼らは、戦争における「殉教者」(竹内洋)とみなされていた、ということが挙げられる。とくに、日中戦争の批判によって大学を追われた矢内原は、「殉教者」の代表的な存在だとみなされた。また、無教会派は、大制翼賛会【ママ】へと組織的に組み込まれた日本キリスト教界の大勢とは対照的な位置を占めていた。こうしたことから、無教会主義者は、戦時期の統制と弾圧の下で「非転向」を貫いた抵抗者・批判者というイメージを帯びることになる。
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大政翼賛会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%94%BF%E7%BF%BC%E8%B3%9B%E4%BC%9A
日本基督教団
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9F%BA%E7%9D%A3%E6%95%99%E5%9B%A3
皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E7%B4%80%E4%BA%8C%E5%8D%83%E5%85%AD%E7%99%BE%E5%B9%B4%E5%A5%89%E7%A5%9D%E5%85%A8%E5%9B%BD%E5%9F%BA%E7%9D%A3%E6%95%99%E4%BF%A1%E5%BE%92%E5%A4%A7%E4%BC%9A

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 第二に、彼らは、愛国的で自立的な存在であるとみなされたことが指摘できる。彼らは、教派教団に所属していないために、宣教団体とのつながりをもつ他の諸教派とは異なり、アメリカなどの諸外国と手を結んでいるという嫌疑を免れていた。しかも、彼らは「日本的キリスト教」を唱えることで、西洋的価値を体現しながら、欧米の影響から自立しているように見えた。キリスト教の立場からときにアメリカを相対化することは、西欧的な価値の体現者としての彼らの正統性をいっそう高めた。
 第三に、彼らは、ある意味では純粋に学問的な立場を代表する存在にみえた、ということがある。彼らは宗教団体に属していないために、大学と宗教団体の葛藤といった問題が生じることがなかった。しかも、彼らは大学制度と出版市場と無教会運動という三つの場を横断する存在であった。それゆえに、教団やその神学の制約を受けることがなく、大学からも相対的に自由で独立した存在として発言することができた。
 第四に、彼らは、キリスト教の「精神」を代表する存在にみえた、ということが挙げられる。南原の「精神革命」や矢内原の「日本精神」に見られるように、彼らはキリスト教を制度化された「宗教」としてではなく、宗教的な「精神」として語った。こうした語りは、彼らが「教派主義」や「党派主義」から自由であるようにみせ、しかも、聞き手に対して宗教団体のように改宗や所属を要求しないようにみえた。そうした点で、必ずしもキリスト教徒ではない教養知識層にとって、無教会主義は比較的馴染みやすい宗教思想であった。
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コメント
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