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Confessions of a Namahage Mask(なまはげ仮面の告白)

2012-12-31 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年12月31日(月)18時40分0秒

「被災地の神社・寺院の状況」というブログを始めたので、あちらのブログだけを見ている人は私のことを特別に信心深い人だと思っているかもしれないですが、まあ、それほどの信仰心はないですね。
東北に来る前、修験道については少しだけ興味があって、出羽三山をはじめとする東北の修験の聖地にはあちこち足を運んだのですが、修験道を語る人たちによく見られる粘っこい表現にはなじめませんでした。
その種の人たちは、結局のところ、実際に大自然の奥深くに入って何か神秘的な体験しない人には修験は理解できないのだ、みたいな結論を出すのですが、私は、体験主義の人たちは基本的にアホだと思っています。
修験の影響力が強かったこともあって、東北の多くの神社には神仏習合の要素が色濃く残っており、神社の境内に鐘楼があり、石仏が置かれているのは当たり前ですね。
また、神社の御神体が仏像で、不動尊神社・観音神社といった名称を持つ神社も多数あります。
多くの神社で墓地との関係が強いのも、東北の神社の特色のひとつです。
まあ、それが参道の横に墓地がある程度ならばよいのですが、墓地に取り囲まれた角田市の大荒山神社を初めて訪問したとき、正直、自分は死の世界と直に接触している神社は好きではないな、と思いました。

さて、最近は神仏習合について肯定的に語る宗教学者が多くて、京都大学教授鎌田東二氏などがその代表ですね。
例えばこんな感じです。

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千葉県市川市の日蓮宗遠壽院に付設される総合修法研究所が10日、同院行堂出身者らを対象に第32回修法研修会を開催した。鎌田東二・京都大教授が「現代における神仏習合の実際とその未来」と題して講演。日本の宗教はさまざまな神が習合してきた伝統を持ち、明治期にいったん神仏分離したものの、今後は「神仏諸宗共働時代」になると述べた。
http://www.chugainippoh.co.jp/religion/news/20121213-004.html

私も安丸良夫氏の『神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈』などから神仏分離に興味を抱き始めて、辻善之助博士の『明治維新神仏分離史料』なども少し拾い読みするなどしているうち、自然と神仏分離に批判的な態度をとるようになり、反面、神仏習合については何となく肯定的に捉えていました。
しかし、東日本大震災以降、考え方が相当変化しました。
仮に地震と津波だけだったら特に変化はなかったはずなのですが、原発事故に対する多数の宗教関係者・宗教学者・歴史学者の反応を見ていて、私は非科学的・非合理的な考え方をする人々に大変な嫌悪感を抱きました。
神仏習合について肯定的に語る人々の多くは、原発事故に関して非科学的・非合理的な対応をしていましたね。
また、近世社会において、時代の制約を受けつつ合理的精神を発展させてきた人々にとって、神仏習合は耐え難い非合理な風習だったのだろうな、と想像するようになりました。
で、結局、自分が明治維新の時期に生きていたら、神仏分離・廃仏毀釈の狂騒に抵抗するどころか、率先垂範して神仏習合化した神社を襲撃し、仏教的色彩の強い建造物を打ち壊し、神社内の仏像を放り出して焼き払う方に回ったのだろうな、と気づきました。
これはなかなか衝撃的な経験でしたね。

参考:鎌田東二氏
http://1000ya.isis.ne.jp/0065.html
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2011071704074.html

※追記 「なまはげ仮面の告白(その2)」があります。
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/725da3df64782ef57ef8165d4a6142c3
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