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久しぶりの東北(その2)

2017-02-28 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 2月28日(火)11時34分0秒

国道45号線を引き返して志津川地区に戻り、戸倉で国道398号線に入ったころには雨も小降りになりましたが、工事用車両の通行が多いので勝手に適当なところで停まる訳にも行かず、戸倉小学校跡地・戸倉神社周辺の激変ぶりも車から眺めるだけでした。
南三陸町と石巻市北上町の境にある神割崎で缶コーヒーを飲んでから通称「神割ロード」を進み、南側に海を眺めつつ新北上大橋まで行ってみましたが、北浜支所・吉浜小跡地や釣石神社付近に新しく造られた巨大堤防はすごい迫力ですね。
土木好きの私には胸躍らせる光景でしたが、堤防が完成し、土地が嵩上げされたとしても、果たして人がどれだけ戻ってくるのかなあ、という感じもしました。
新北上大橋を渡って大川小学校跡地に寄った後、長面方面に向かおうかなとも思ったのですが、ここも工事用車両が多いので遠慮し、雄勝経由で女川町に行くことにしました。
途中、水浜・分浜に寄ってみたところ、かなり荒れていた分浜五十鈴神社周辺も手入れがなされていました。
この社殿は拝殿と本殿の間が屋根に覆われた長い階段になっているちょっと珍しい造りで、以前、階段から飛び出してきた野生化した猫に驚かされたことがある私にとってのプチ思い出の地です。
女川は事前にある程度情報を集めていたので地区単位での変化にはそれほどの驚きはしなかったのですが、町立病院のある高台、というか周辺の嵩上げが進んだので今はそれほど高くも感じられない場所に立って周囲をぐるっと眺めると、よくもまあ、これだけ山を削ったものだなあと感心しました。
リアス式海岸で平地が少ないとはいえ、山を崩せば、ある意味無限に平地は造成出来る訳ですが、女川のようなもともと経済力のある土地でないと、ここまでの改変は難しいのだろうなと思いました。
時間の関係で牡鹿半島には廻らず、女川街道を石巻に向い、渡波から日和大橋を渡って石巻工業港周辺を少し見た後、鳴瀬大橋で国道45号から県道27号線(奥松島パークライン)に入り、野蒜周辺を見てから松島町で国道45号に戻りました。
ここでプチ懸案の仙台・江厳寺の石母田家墓地訪問もチラッと考えたのですが、朝早くからずっと運転をしていたのでいささか疲れており、仙台市街の狭い道路で事故でも起こしたらイヤだなと思ってあっさりあきらめることにしました。
ついでに温泉に入ることに決めて、仙台港北ICで仙台東部道路に入って常磐自動車道の亘理ICで降り、「わたり温泉鳥の海」に行ってみました。
雨はすっかり止み、日も射してきて、5階の露天風呂から眺める海岸線は絶景でした。

>筆綾丸さん
ご紹介の記事のタイトルにマントル影響云々とあり、何のことかと思いましたが、

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研究者はプレートの下にあるマントルに注目する。マントルは岩石でできているが、水あめのようにゆっくりと流れる。陸のプレートの跳ね上がりに遅れる形で、徐々に滑った方向に動く「粘弾性緩和」が起きている。
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ですか。
ま、別に理解できて引用した訳ではありませんが、専門研究者にとっても謎だらけの世界なのですね。


※写真

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

「蔦紅葉」 2017/02/27(月) 17:52:37
小太郎さん
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO13400150W7A220C1TJM000/
今日の日経に、東北沿岸において沈んだ地盤の隆起が続いている、という記事がありますね。

http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/kumokiri3/
雲霧仁左衛門が俳諧の宗匠に化けて安濃津藩の江戸家老と対決する場面で(「雲霧仁左衛門3」最終回)、藤堂氏の家紋(蔦)を踏まえ、
 蔦紅葉 果てはあらずや 冬の霧
と詠むのですが、蔦紅葉は秋の季語だから、「冬の霧」では基本的なルールに抵触して、俳句になりえません。原作者(池波正太郎)が間違えるはずはないから、たんに番組制作者が無知なだけなんでしょうね。ほかにも変な設定はありますが、面倒なのでやめます。

呉座氏の著書の売れ行きは、応仁の乱終息以降における歴史的な事件になるかもしれないですね。NHKが大河ドラマにしないことを祈ります。
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