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女たちの「ディナー・パーティ」─ノスタルジアの帝国史を超えるために─

2015-01-28 | 映画・演劇・美術・音楽
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 1月28日(水)11時25分46秒

図書館で歴史学研究会編『シリーズ歴史学の現在 帝国への新たな視座』(青木書店、2005)というタイトル・編集・出版社の全てがガチガチに硬派っぽい本を手に取って眺めていたら井野瀬久美恵氏の「女たちの「ディナー・パーティ」─ノスタルジアの帝国史を超えるために─」という論文が載っていて、このタイトルに、もしかしたら後深草院二条が登場するのでは、というカンが働き、あわてて読んでみたら、やっぱり出ていました。

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問題の所在─ジュディ・シカゴの「ディナー・パーティ」─

 一九七四年、前衛的フェミニスト・アーティストとして知られるジュディ・シカゴ(一九三九~)は、ある作品の製作に着手した。のべ二〇〇〇人のヴォランティアの協力を仰ぎ、五年の歳月を費やして一九七九年に完成したその作品は、一辺が一四メートル、高さ約六六センチの正三角形のテーブルで、その上には、各辺一三人、合計三九人分の皿、ナイフ、フォーク、玉虫色のゴブレットなどが並べられている(図1)。この陶製のインスタレーション、タイトルを「ディナー・パーティ」という。皿の存在によって示される三九人の招待客は、全員が女性であり、欧米の神話や歴史のなかから選ばれていた。
 「ディナー・パーティ」は、サンフランシスコ近代美術館に展示されるや大評判となり、三ヵ月で九万人もの入館者を集めた。その後、この作品は、カナダやイギリス、オーストラリアなど六ヵ国一五ヵ所を巡回し、一〇〇万人を超える人の目に触れたといわれている。
  「ディナー・パーティ」はいわゆるフェミニズム・アートの系譜に属し、そのコンセプトは、「女たちが集まって自分たちの物語を語る」というものである。もちろん、女たちが実際にこのテーブルを囲んで「自分たちの物語」を語るわけではない。各皿の下に敷かれたランチョンマットには、欧米の神話や歴史から選ばれてその席に座ることになった女性の名前が刺繍されているが、ギリシャの女流私人サッフォー、一六世紀イングランドの君主エリザベス一世、一九世紀アメリカの詩人エミリー・ディキンソンといった顔ぶれからもわかるように、それはあくまで想像上の集まりであった。
 この作品の特徴は何より、テーブルの上に置かれた皿の絵柄に認められる。その席に座る女性をイメージしたとおぼしき陶製の皿には、女性性器を象った絵柄が色鮮やかに描かれていたのである(その構図に一枚として同じものはなかった)。サンフランシスコ近代美術館での盛況ぶりにもかかわらず、当初からこの作品に対する美術界の反応が冷たかったのはそのためであろう。事実、皿に描かれた絵柄は展示直後からさまざまな物議を醸し、その過程で、作品名である「ディナー・パーティ」という言葉自体に、特別の含みが与えられるようになっていったと考えられる。(後略)
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ま、この「ディナー・パーティ」に登場する39人はあくまで「欧米の神話や歴史のなかから選ばれていた」女性たちであり、後深草院二条は含まれていないのですが、「女たちが集まって自分たちの物語を語る」というコンセプトがキャロル・チャーチルの『トップ・ガールズ』を連想させる訳ですね。
今日はこれから外出しなければならないので、続きはまた後で。

Judy Chicago
The Dinner Party

>筆綾丸さん
>『ジュリエットからの手紙』
原題が Letters to Juliet (ジュリエットへの手紙)なのに、邦題が「ジュリエットからの手紙」というのはちょっと面白いですね。
ストーリーの上で、というかヴェローナの「ジュリエットの家」ではジュリエット宛の手紙に返事を書いているそうですから、邦題も事実を正確に反映していますね。
その上で、過去の人物に現代人が一方的に手紙を送ることはあり得るとしても、その返事が来るというのは驚きですから、邦題の方が洒落ているような感じもしますね。

>『イスラーム国の衝撃』
未読ですが、なかなか評判が良いみたいですね。

※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。

r>g(『21世紀の資本』) 2015/01/26(月) 12:45:19
小太郎さん
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784862151360
丸の内の丸善三階で、桜井英治・清水克行両氏の対談集『戦国法の読み方―伊達稙宗と塵芥集の世界』を拾い読みしましたが、桜井氏の発言は随所で(高等?)漫談風であり、理由は不明ながら頗る御機嫌な様子ですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/21%E4%B8%96%E7%B4%80%E3%81%AE%E8%B3%87%E6%9C%AC
http://www.msz.co.jp/book/detail/07876.html
一階で『21世紀の資本』を拾読みしていると、若者が連れの女性に、「これ、買うまでもない、立ち読みで充分」と豪語していて、怖いもの知らずの若者は羨ましい限りでした。この書の要諦は、経済的不平等の要因はr>gという不等式で表示でき、これは資本主義の必然的な原理であって、富の再配分などは妄想と云うべきで、富める者は益々富み貧者は愈々貧しくなるのだ、という身も蓋もない話であり、こういう「物語」を熟読する意欲はもうないなあ、と思いました。

http://www.eiseibunko.com/exhibition.html
永青文庫『信長からの手紙』を観ながら、経済通の信長なら、r>g 、是非に及ばず、と言ったかな、と思いました。

http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166610136
池内恵氏『イスラーム国の衝撃』を読み始めました。
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イラクとシャームのイスラーム国( al-Dawla al-Islamiya fi 'Iraq wa al-Sham; ISIL:the Islamic State of Iraq and Levant; ISIS:the Islamic State in Iraq and al-Sham )
一般に英語圏や日本で「ISIS」あるいは「ISIL]と呼ばれる。英語では「アイシス」「アイシル」と発音される。米政府が「ISIL]を用いていることもあって、日本ではそれに追随する場合も多い。
訳語が複数存在して混乱した印象を与える原因は、「シャーム」という語の翻訳の困難さに由来する。シャームとは、現在のシリア・レバノン・ヨルダン・パレスチナを含む広い範囲を指す。近代英語への訳語としては、「拡大シリア(Greater Syria)」が最も厳密である。しかし「拡大シリア」と訳すと、略称が四文字で収まらず、また必ずしもこの地理概念が英語圏で広まっているわけでもない。欧米語では「シャーム」にある程度重なる地域を「レバント(the Levant)」と呼ぶため、al-Sham の英語訳に the Levant の語が充てられることがある。しかし「レバント」という呼び方は、欧米側の始点からのもので、植民地主義的な意味合いが感じられる場合もある。したがって、半植民地的主張を掲げる「イスラーム国」の呼称とすることには、躊躇を覚える。
また、「ISIS]とするにせよ、「ISIL]とするにせよ、欧米側では the Islamic State の部分を極力発語せずに略称でのみ呼ぼうとする傾向がある。この組織が「イスラーム」を代表するものではなく、「国家」としても承認しえないという意思表明なのだろう。アラブ諸国の政府やメディアも、「イスラーム国」が「イスラーム的」でも「国家」でもないと主張するために、アラビア語の頭文字をつないだ略称「ダーイシュ(Da'ish)」で呼ぶことが多いが、「イスラーム国」への共鳴者はこの語を強く忌避する。(67頁)
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某局のBS番組で、自民党の女性議員(カイロ大卒)が、私は国家として認めないのでISILと言う、と述べていたのですが、ISILのSは State の略称だから、「欧米側では the Islamic State の部分を極力発語せずに略称でのみ呼ぼうとする傾向がある」としても、国家(State)と認めていることに変わりはないのでしょうね。外国の報道を注意してみると、英国のBBCはIS(the Islamic State)、フランスのル・モンドはEI(l'Etat Islamique)、ニューヨーク・タイムズはthe Islamic State, also known as ISIS or ISIL、オバマ大統領はISIL、イタリアのラ・レプッブリカはSI(lo Stato Islamico)・・・などと呼んでいますね。「シャーム」という地理概念は初めて知りました。

猿あるいは禿鼠のこと 2015/01/27(火) 13:44:20
http://www.juliet-movie.jp/
展覧会『信長からの手紙』は『ジュリエットからの手紙』という映画を意識したような名ですが、信長の書状とシェイクスピア『ロミオとジュリエット』の製作時期がほぼ同年代だというところが、この表題の隠し味なんでしょうね。
図録には、「細川コレクションの信長文書59通、一挙公開」の次に、「 The letter from Nobunaga 」とあるのですが、59通もあるのに、なぜ letter は単数形なのか、変ですね。映画の原題( Letters to Juliet )のように letters と複数形にしなければならず、図録の英訳では、信長自筆の唯一の書状を展示した稀有な展覧会というような意味になるのではないか。

追記
図録中、「一条院覚慶を足利義昭として」(3頁)と「奈良興福寺一条院の門跡」(25頁)の一条院は、一乗院の間違いですね。

『信長からの手紙』の「No.82」(天正5年)は、「猿帰候て、夜前之様子具言上候・・・」で始まっていて、この「猿」は秀吉を指すという説と忍びの者を指すという説と両説ある由ですが、格調高い天下布武の黒印を捺した折紙が「猿」で始まるというのは、戦国期の諸大名の数多の印判状の中でもおそらく唯一無二のもので、信長のユーモアに改めて感動しました。
宛所は、長岡藤孝、惟住長秀、瀧川一益、惟任光秀の四名ですが、信長のユーモアにいちばん共感を示したのは誰だろうな、とどうでもいいようなことをつい考えてしまいます。長秀と一益は論外として、古今伝授の幽斎か、金柑頭の光秀か。あるいは右筆の楠長諳か。もうひとりの右筆武井夕庵は、後で聞いて、俺が書きたかったな、と思ったかどうか。
折紙の黒印状の冒頭が忍び者で始まるとはさすがに思えず、やはりこれは秀吉のことだろう、という気がしますね。

昨日のテレビで、ヨルダン国民のインタビューを字幕付きで聞いていると、「イスラム国」のことを「ダーイシュ(Da'ish)」と発音していて、なるほどと思いました。
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