学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「ジュディ」のユダヤ人性

2015-01-31 | 映画・演劇・美術・音楽
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 1月31日(土)11時19分57秒

>筆綾丸さん
>彼女が捨てたのは Cohen という典型的なユダヤ人の姓で、
>Judith は Judy として残した
これはご指摘を受けるまで全く気づきませんでした。
ジュディ・シカゴの改名について、井野瀬久美恵氏は本文(p232)と注(25)で次のように書かれています。

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 かつてシカゴは、女性たちが集い、自分の物語を語るというこの作品のコンセプトについて、キリストの「最後の晩餐」と重ねながら、「食事や酒の準備をしたのは女性たちであろうに、最後の晩餐に女性は登場しない」と語っていた。シカゴにとって、「ディナー・パーティ」は、それに対する異議申し立てでもあったはずである。
 しかしながら、リサ・ブルームは、この作品のモチーフが「最後の晩餐」と重ねられたことに別の読みを提示し、こう問いかける。ジュディ・シカゴが、自らのエスニシティを露にする「ゲロウィッツ(Gerowitz)」という名字から、エスニシティに関して中立的な「シカゴ」に改名したのはなぜか。ブルームは、家父長制に対する抵抗というシカゴ自身が語る理由をしりぞけ、この改名に「白人クリスチャンというアイデンティティ」へ自らを組みこもうとするシカゴの意図を読み取り、ジェンダーと他の差異との複雑な絡みあいを問題にするのである(25)。ブルームのこの視線は、「黒人性」同様に、「白人性」もまた、それぞれの歴史的、地域的なコンテクストのなかで構築されるものであるという考え方が、歴史学や人類学、文学などの研究において注目を集めるようになった一九九〇年代の動向を反映するものであろう。

注(25) シカゴのユダヤ人家庭に生まれた旧姓Judy Cohen は、一九六一年に結婚し、夫の姓であるGerowitzを名のっていたが、夫の死後、七〇年にChicagoに改名した。シカゴ自身は、自伝のなかで、この改名を「家父長制への抵抗」と語っている。シカゴ、前掲訳書、八二-八三頁。しかしながら、ブルームは、そこにユダヤ人性という彼女のエスニシティが抱える問題を読み取ったのである。詳細は、Lisa Bloom, "Ethnic Notions and Feminist Strategies of the 1970s: Some Works by Eleanor Antin and Judy Chicago." 城西国際大学で口頭発表されたこの原稿(一九九七年九月二〇日)は、北原氏の好意で論者も目を通すことができた。北原、前掲論文、一〇七-一〇八頁、リサ・ブルーム「民族性という亡霊─一九四〇年代と一九八〇年代のアートに関する言説を再考する」(斉藤綾子訳、リサ・ブルーム編、前掲訳書、三七-七九頁)も合わせて参照。
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注(25)の「北原、前掲論文」とは北原恵「"招待"への再考─《ディナー・パーティ》をめぐるフェミニズム美術批評」(『超域文化学紀要』第3号、1998年6月)、「前掲訳書」はリサ・ブルーム編『視覚文化におけるジェンダーと人種─他者の眼から問う』(斉藤綾子ほか訳、彩樹社、2000年)で、いずれも私は未読ですが、井野瀬久美恵氏の文章を素直に読む限り、そもそもリサ・ブルーム氏がJudithの愛称であるJudyのユダヤ人性に気づいておらず、北原恵氏と井野瀬久美恵氏もリサ・ブルーム氏の誤りを踏襲していることになりますね。
ジュディ・シカゴにしてみれば、自分がユダヤ人であることなどJudyだけで十分明らかではないか、改名前の姓が生まれたときのCohenか、あるいは死別した夫のGerowitzかはともかくとして、改名は「家父長制への抵抗」との自分の説明のどこに誤りがあるのか、という話になりますね。
まあ、ジュディ・オングという台湾出身の歌手もいますので、ジュディ自体は決してユダヤ人性を示すものではない、ユダヤ人ではないジュディなどいくらでもいる、ということが常識であれば別でしょうが、そのあたりは実態としてどうなのか。

Lisa Bloom

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

後深草院二条と criteria 2015/01/29(木) 15:14:04
小太郎さん
『 Letters to Juliet』を Bunkamura のル・シネマで観たときは年配の女性客が多かったのですが、フランコ・ネロ(往年の西部劇「ジャンゴ」の主役)が大葡萄園主役で出ていて、とても懐かしかったですね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%89%E9%96%93%E5%BD%8C%E7%94%9F
ジュディ・シカゴは草間彌生と交流はあるのかな、と思いました。草間の説明は英語の方が充実していて、日本ではなかなか書きにくいことも、ずばり書かれていますね。画業から判断して、彼女の強迫観念は父親によるものと考えていましたが、 mother でしたか。自己解釈により mother に転換しているのではないかという気もしますが・・・。
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Kusama has experienced hallucinations and severe obsessive thoughts since childhood, often of a suicidal nature. She claims that as a small child she suffered severe physical abuse by her mother.
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http://en.wikipedia.org/wiki/Circumcision
「Her father came from a twenty-three generation lineage of rabbis, including the Vilna Gaon.」というジュディ・シカゴに関するウィキの説明ですが、彼女の出生時前後、ユダヤ教における女性の circumcision はどうなっていたのか、と気になりました。
また、「 Born in Chicago, Illinois, as Judith Cohen, she changed her name after the death of her father and her first husband, choosing to disconnect from the idea of male dominated naming conventions.」とあり、彼女が捨てたのは Cohen という典型的なユダヤ人の姓で、Judith は Judy として残した、という点が引っ掛かりますね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%88
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%86%E3%83%9F%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%AD
ユディト(Judith)は歴史上、多くの画家に繰り返し描かれてきましたが、ホロフェルネスの首を刎ねた( behead )女性ですね。ジュディ・シカゴはユディトとともにアルテミジア・ジェンティレスキも招待していて、アルテミジアは四つの criteria をすべて充たしていると思われますが、後深草院二条は 1 と 3 の criteria は充たすものの、2 は充たしておらず、4 は不明、と言ったところでしょうか。
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1. She had made a worthwhile contribution to society
2. She had tried to improve the lot of other women
3. Her life and work had illuminated significant aspects of women's history
4. She had provided a role model for a more egalitarian future.
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追記
http://www.fashion-press.net/news/12758
同性愛の罪で逮捕され服毒自殺した天才数学者の映画は、是非、観たいですね。
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