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川合康氏「鎌倉幕府研究の現状と課題」を読む。(その1)

2023-03-08 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』

黒田俊雄と上横手雅敬の両氏が承久の乱をどのように捉えているかを確認した後、慈光寺本『承久記』に戻る予定だったのですが、川合康氏の見解は興味深いので、川合氏の「鎌倉幕府研究の現状と課題」(『日本史研究』531号、2006)を先に検討したいと思います。
私は川合氏の「公権委譲論」批判には賛成で、川合氏が権門体制論の「予定調和」の世界とはかけ離れたリアルな鎌倉幕府成立史を描き出した手腕は大変なものだと思います。
しかし、それだけに何故、川合氏が自らを権門体制論の枠内に置くのかが不思議なので、その論理を検証してみたいと思います。
川合論文は、

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 はじめに
一 中世国家論と鎌倉幕府─権門体制と超権門的性格─
二 鎌倉幕府の歴史的個性─東アジアの特異な武人政権─
三 「京武者」秩序と御家人制─幕府成立期の二つの武士社会─
四 鎌倉幕府の軍事的基盤─都市としての京と鎌倉─
 おわりに
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と構成されています。
まずは「はじめに」の後半部分を紹介します。(p20)

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 私は二〇〇四年に『鎌倉幕府成立史の研究』(校倉書房)を著したが、拙い内容であるにもかかわらず、幸いにして研究視角を異にする評者の方から様々な御批判をいただくことができた。なかには、中世国家論に対する私自身の立場の表明が明確でなかったためか、論者によって正反対の批判を受けた部分もあり、私にとっては現在の研究状況と自らの理解をあらためて問い直す良い機会となった。
 小論は、こうした批判を踏まえて、あらためて私の鎌倉幕府成立史研究の視角を明確化するとともに、そのうえで鎌倉幕府研究の現状を整理し、今後の課題を考えようとするものである。もちろん私の能力不足から、小論であつかう範囲は鎌倉幕府研究のごく一部の領域に限定されざるをえないが、少しでも今後の研究に資するところがあれば幸いである。
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「幸いにして研究視角を異にする評者の方から様々な御批判をいただくことができた」に付された注(4)を見ると、川合著に書評を書かれているのは次の五氏です。

 上杉和彦(『人民の歴史学』165号、2005)
 西田友広(『史学雑誌』114編11号、2005)
 三田武繁(『日本歴史』690号、2005)
 古澤直人(『歴史学研究』811号、2006)
 西村安博(『法制史研究』55号、2006)

このうち、西村安博氏(同志社大学法学部・法学研究科教授)の書評はリンク先で読めますが、p168には、

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著者に拠れば、治承・寿永の内乱に関するこれまでの理解は、院政期における荘園公領制の成立=中世国家の成立と、治承・寿永の内乱=鎌倉幕府の成立との時期的ズレをいかにうめるかに強い関心を向けており、幕府権力や内乱の政治過程を抽象化して、予定調和的に歴史上に位置付けるところに特徴があるという。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jalha1951/2005/55/2005_55_164/_pdf/-char/ja

とあります。
即ち、川合説は従来の「予定調和的」研究を打破した点が極めて魅力的なのですが、その川合氏が何故に権門体制論のような「予定調和的」理論に親和的なのかが私にとっては謎です。
ま、結論を急がず、第一節から丁寧に読んで行きたいと思います。(p21)

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 一 中世国家論と鎌倉幕府
    ─権門体制と超権門的性格─

 かつての鎌倉幕府成立史をめぐる主要な研究視角が、幕府と朝廷との公武交渉に注目し、朝廷から幕府への公権委譲の過程を追究するものであったことは、あらためて述べるまでもないであろう。そのことは、いわゆる「鎌倉幕府成立時期論争」としてとりあげられる画期の多くが、例えば、寿永二年(一一八三)の十月宣旨や文治元年(一一八五)の守護地頭補任勅許、建久三年(一一九二)の源頼朝への征夷大将軍任官など、朝廷から幕府に何らかの公権・官職の付与がなされた時点に置かれていることに象徴的に示されている。
 このような公権委譲論は、例えば「東国国家論」の代表的論者である佐藤進一氏が、寿永二年十月宣旨による東国行政権の獲得によってはじめて一私人の頼朝の家政機関が国家の行政機関に転化したと理解され、その時点に幕府の成立を求められたように、鎌倉幕府研究においては、幕府権力の「公権」化をとらえる際の基本的視角として、「権門体制論」「東国国家論」を問わず共有されてきたものであった。
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いったん、ここで切ります。
佐藤進一の「東国国家論」は「公権委譲論」である点で「権門体制論」に近く、また、承久の乱をきちんと論じない点でも「権門体制論」に近くて、「東国国家論」を名乗るには不徹底な面がありますね。
私は、「東国国家論」を徹底するならば、独立国家となるためには他国(「旧宗主国」)の「承認」が必要なのか、という問題設定をすべきであろうと考えます。
隣接する他国(「旧宗主国」)は普通はそんな「承認」はしたがらないだろうから、国家の要件さえ満たせばそれで独立国家となり、隣接する他国の「承認」は確認的なもので、両国関係を安定化させる意味しかないのではないか、と考えます。
国際法の「国家承認」の問題と似た状況ですね。
ま、鎌倉幕府の場合は二国しか存在しない状況での議論ではありますが。

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参考:国家承認(百科事典マイペディア)

国家の合併・併合,分裂・分離独立などによる新たな国家が既存国家によって国際法の主体として認められること。そのための条件としては,まず国家としての実質(領土,国民,政府)が備わっていること,国際法を守る意思と能力を有していることなどがある。それが備わっていない段階で承認を与えるのは〈尚早の承認〉として不法とされる。承認の形式としては宣言や通告などの〈明示の承認〉のほか,外交使節の派遣・接受,領事認可状の請求・付与,条約の締結などによる〈黙示の承認〉がある。承認は承認国によって行われる個別的行為であるが,国際機構などの組織がこれを集団的に行う場合もあり,この場合は集合的承認と呼ぶ。例えば,EC(ヨーロッパ共同体)が1991年1月にクロアチアとスロベニアに対して,および同年4月にボスニア・ヘルツェゴビナに対して行った承認などである。承認の法的意味については議論があり,これによって初めて国際法の主体として認められるという創設的効果説と,単なる宣言的な意味しかないとする宣言効果説があるが,後者の考えが有力とされる。 革命などによって政府の変更があった場合に,新政府の地位を認めることを政府承認という。

https://kotobank.jp/word/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E6%89%BF%E8%AA%8D-267466

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