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「発給文書1500点から見えてくる新しい尊氏像」(by 角川書店)

2021-02-04 | 建武政権における足利尊氏の立場
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 2月 4日(木)18時13分42秒

2月2日の投稿で、

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吉原説は後続の研究者たちによって基本的に支持され、現在では中先代の乱までは後醍醐と尊氏は決して対立関係にあった訳ではないことが多くの研究者の共通認識となっていると思われます。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/786499f16170be4f041762c180b82c23

と書いてしまいましたが、九大系の大御所・森茂暁氏は未だに頑固な佐藤進一派ですね。
森氏の近著『足利尊氏』(角川選書、2017)を見ると、「第二章 足利尊氏と後醍醐天皇」の第二節「建武政権下の対人関係」では、「尊氏への破格の厚遇」を縷々述べた後、

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 いっぽう後醍醐も尊氏に対する牽制を怠っていない。『梅松論』にみえる、公家たちが好んで口ずさんでいたという「尊氏なし」の詞〔ことば〕は、後醍醐が尊氏を政権の中枢から意図的にはずしていた様子を示唆するものである。
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としていて(p93)、「後醍醐が尊氏を政権の中枢から意図的にはずしていた」との立場は佐藤氏と共通です。
そして、

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 こうした尊氏と後醍醐の関係は、武門の統括を企図しつつ後醍醐との間にも摩擦を生じた護良親王の問題を除けば、当初さしたる波瀾もなく維持されたにちがいない。しかし政権担当者たる後醍醐にとって第二の武家政権樹立の可能性を秘めた尊氏の存在は看過できるものではなかった。
 足利側の立場から書かれた『梅松論』によると以下のとおり。建武元年六月七日、護良は尊氏を討つべく大将として尊氏の屋敷に押し寄せたが、首尾よくゆかず計画は失敗。背後から糸を引いていた後醍醐はすばやく責任転嫁したので、罪は護良一身に負わされることになった。かくして一件の張本人とされた護良は建武元年一〇月二二日の夜、参内のついでをもって武者所の手の者によって逮捕された。こうして護良の失脚への道が開かれる。同一一月護良の身柄は足利直義の腹心細川顕氏に請け取られ、鎌倉へと移される。
 ここに尊氏は武門の支配権を奪取しようとする強力な政敵護良を排除することに成功した。しかし後醍醐にとっては依然として問題は解決されない。後醍醐と尊氏がともに政治・軍事の主導権を握ろうと競合するかぎり、政権内部での内紛の火種は絶えなった。
 尊氏と後醍醐との政治路線の食い違いが、翌建武二年七月に関東でおこった中先代の乱を契機に表面化したことはまちがいない。その食い違いは、前述したように、尊氏による恩賞地あてがいの袖判下文の本格的発給によっていっそう明確になる。
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と続きます。
森氏によれば、尊氏は「後醍醐にとって第二の武家政権樹立の可能性を秘めた」存在であり、尊氏にとって護良は「武門の支配権を奪取しようとする強力な政敵」であり、「後醍醐と尊氏がともに政治・軍事の主導権を握ろうと競合するかぎり、政権内部での内紛の火種は絶えなった」のだそうです。
つまり建武新政発足の当初から後醍醐・護良・尊氏の三つ巴の緊張状態がずっと続いていて、護良が失脚しても「後醍醐にとっては依然として問題は解決され」ず、「中先代の乱を契機に」、「尊氏と後醍醐との政治路線の食い違い」が「表面化したことはまちがいない」のだそうです。
このあたりも、森氏は佐藤説を頑固に維持されています。
ただ、森氏のこのような認識が『梅松論』に大きく依存している点は、私にとって「看過できるものでは」ありません。
森氏は護良による尊氏襲撃ばかりか、それを後醍醐が「背後から糸を引いていた」ことまで事実だとするのですが、「足利側の立場から書かれた『梅松論』」にしか記されていないこの話を、何故に森氏は信頼するのか。

現代語訳『梅松論』(「芝蘭堂」サイト内)
http://muromachi.movie.coocan.jp/baisyouron/baisyou19.html

森氏が一次史料の取り扱いには極めて厳格なのに、『太平記』や『梅松論』のような二次史料に対しては極めて甘いことが私にはどうにも不思議なのですが、この点でも森氏は佐藤氏の正統な後継者ですね。
角川書店サイトには、『足利尊氏』について、

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これが尊氏研究の最前線!発給文書1500点から見えてくる新しい尊氏像。

足利尊氏は、室町幕府政治体制の基礎を固め、武家政治の隆盛へと道筋をつけた人物である。その評価はこれまで時代の影響を色濃く受けて定まらず、「英雄」と「逆賊」のあいだを揺れ動いた。近年、南北朝時代を再評価するムーブメントのなかで、足利尊氏への関心は飛躍的に高まった。新出史料を含めた発給文書1500点を徹底解析しながら、これまでになく新しいトータルな尊氏像を描き出す。

https://www.kadokawa.co.jp/product/321603000854/

とありますが、古文書の「徹底解析」は認めるとしても、ここに描き描き出されているのが「これまでになく新しいトータルな尊氏像」かというと、そんなことは全然なくて、むしろ佐藤進一氏が半世紀以上前に描いた古色蒼然たる尊氏像と瓜二つですね。
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