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林健太郎氏「国史学界傍観」

2014-05-27 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
「国史学界の今昔」の第36回(『日本歴史』559号、1994年12月)は林健太郎氏(2013-2004)の「国史学界傍観」で、その最後の方に大学紛争のことが出てますね。
聞き手は伊藤隆氏です。

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伊藤 東大紛争の時は、国史はどうだったんですか。
林 あの時の文学部の三大ハト派が、堀米庸三君と井上光貞さんと、それから社会学の福武直さん。ハト派というのは学生の言い分を聞いてやらなければいけないという主張ですが、私は向こうはだいたい無茶なんで、要求を入れたって闘争を止めないから無駄だという考えだった。しかし見解の相違が人間的な対立になることはなかったですね。これは文学部のよいところです。まあ教授会は三分の二くらいがタカ派でした。
伊藤 タカ派の方が多かったですか。
林 それは多かったですね。しかし各学科ともばらばらでね。国史では佐藤進一さんは井上さん以上のハト派。尾藤正英さんは中間派で考え方はややタカ派に近かったかな。東洋史は山本達郎さんと榎一雄君はタカ派で、西嶋定生さんはハト派。護雅夫さんは気が弱い人だから、タカ派にはならないで、どっちかっていうとハト派。西洋史はタカ派は私だけですよ。柴田三千雄君は井上さんと同じ立場、成瀬治君はおとなしい方だから。(笑)
伊藤 やっぱり井上先生は何かちょっと左翼コンプレックスがあるんですね。
林 ちょっとあったですね。あの時は。
伊藤 いや、だいたい一貫してあったんじゃないですか。あの方は。
林 そうですかね。でも始めのうちは和辻哲郎さんの古代史研究を尊敬していて必ずしも津田さん派ではなかった。大体戦前は侯爵だったから、そういうことに対するコンプレックスはあったかもしれませんね。
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東大の教員だった伊藤隆氏が何で他人事みたいに聞いているのかと変に思いましたが、伊藤氏自身は紛争終息後の1971年に東大に移っているそうですね。
伊藤氏の井上光貞氏に対する評価には若干の疑問を感じます。

林健太郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E5%81%A5%E5%A4%AA%E9%83%8E_(%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%AD%A6%E8%80%85)
伊藤隆
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%97%A4%E9%9A%86_(%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%AD%A6%E8%80%85)

私は共産趣味が多少あるものの、根が権力的・反動的体質なので、暴力を肯定する集団に甘い顔を見せても仕方ない、という林健太郎氏のサバサバした判断が一番適切だったように思いますね。
林健太郎氏の『昭和史と私』(文藝春秋、1992年)には戦前の歴史学研究会の動向や羽仁五郎・井上清氏らによる「歴研クーデター」の模様も描かれていて、歴史学研究会の歴史を知るには便利な本です。

>筆綾丸さん
チューリップの球根は多くが有毒で、食用のは特別な品種なんですね。
オードリーがそんなものを食べていたことはもちろん、第二次世界大戦末期にオランダにいたことも知りませんでした。

Audrey Hepburn
http://en.wikipedia.org/wiki/Audrey_Hepburn

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7383
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