学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

渡邉裕美子論文の達成と限界(その1)

2023-06-21 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』

国文学研究者・櫻井陽子氏の「頼朝の征夷大将軍任官をめぐって―『山槐荒涼抜書要』の翻刻と紹介―」(『明月記研究』9号、2004)は、頼朝が征夷大将軍任官を希望したことを自明としていた歴史研究者に大変な衝撃を与えましたが、私は渡邉裕美子氏の「慈光寺本『承久記』の和歌─長歌贈答が語るもの─」(『国語と国文学』98巻11号、2021)は、少なくとも承久の乱に関心を持つ歴史研究者にとっては、櫻井論文に匹敵するほどの破壊力を持つ論文ではないかと思っています。
そこで、今年一月・二月に行った検討と重なりますが、改めて歴史学にとって渡辺論文が持つ意味とその限界を検証してみたいと思います。
渡邉論文は、

-------
一、はじめに
二、『承久記』所収和歌の概要
三、作り替えられる辞世歌
四、応答しない贈答歌
五、順徳院の長歌
六、道家の返歌
七、配所の王の長歌の先蹤
八、長歌贈答が語るもの
-------

と構成されていますが、「一、はじめに」の冒頭には、

------- 
 承久の乱の顛末を描いた『承久記』の諸本は、現在、慈光寺本、流布本(古活字本)、前田家本、『承久軍物語』の四系統に分類されるのが一般的である。そのうち最古態本とされるのが慈光寺本で、一部加筆が見られるものの、成立は仁治元年(一二四〇)以前にさかのぼるとされる。
-------

とあります。
この後も渡邉氏は「後続の諸本」という表現を繰り返されるので、慈光寺本を「最古態本」とする立場に賛成されていることは明らかです。
しかし、慈光寺本は語彙・文体・内容が非常に個性的で、和歌に関しても、「なんと言っても注目されるのは、慈光寺本に見える順徳院と九条道家の長歌贈答」で、「他の軍記物語を見渡しても、長歌を載せている例は簡単には見出せず、希有な例」とのことですから、「後続の諸本」からは孤立しています。
このような孤立的・個性的・独創的作品が最初に出現し、「後続の諸本」はそこから個性的・独創的な記述を丁寧に削除して、あまり面白くない平板な作品に変えて行った、という流れは、私にはどうにも不自然に感じられます。

渡邊裕美子氏「慈光寺本『承久記』の和歌─長歌贈答が語るもの─」(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/56caf9976eac24e7ca2c54afc81626e6

さて、「二、『承久記』所収和歌の概要」に入って、渡邉氏は諸本の和歌を網羅的に整理された後、慈光寺本の特徴を三点指摘されます。

(1)慈光寺本は他の諸本に見られる、後鳥羽院の配流先への道行きの歌にまったく関心を示していない。
(2)慈光寺本の和歌は上皇配流後の贈答に集中し、しかも、それらは後続諸本以外には一切他出が知られない。
(3)処刑された範茂の辞世歌の位置が諸本と異なる。

渡邊裕美子氏「慈光寺本『承久記』の和歌─長歌贈答が語るもの─」(その2)(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/539dde20f4869b0252b1c636692ec5b0
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/440dee9893f138a3d2b407fc3e466abe

前回検討に際しては、この後、渡邉氏が依拠されている慈光寺本が「最古態本」だとの近時の通説的な見解に若干の疑問を呈するなど、いったん渡邉論文を離れて、慈光寺本の周辺を少し探りました。

慈光寺本は本当に「最古態本」なのか。(その1)~(その4)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c25a682f90750c44c19caed426eb4141
【中略】
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/163881a9ba2466771003a2000f2fe64d

大津雄一「慈光寺本『承久記』は嘆かない」には賛成できる点がひとつもない。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/0f07a3c0aa92664d6fb1f0edd2cd08ec

『葉黄記』寛元四年三月十五日条は葉室光親の「院宣」発給の証拠となるのか。(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2fe371163038f874da844371f30c93c8
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/6bb541a7acb9f83e2f97658944be699e
『葉黄記』寛元四年三月十五日条の「或人」のことなど。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e2d39376be5361026cada799b379ceb7

野口実氏「承久宇治川合戦の再評価」の問題点(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/720bda78e0bd74b0ec0fa850e7591248

そして、渡邉論文に戻る前の準備作業として、承久の乱で後鳥羽側の敗北が決定した後の戦後処理のうち、特に公卿・殿上人の処分が流布本と慈光寺本でどのように描かれているかを確認してみました。

戦後処理についての流布本と慈光寺本の比較(その1)~(その6)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/85a1f999a76d4276037c63f2f39ee598
【中略】
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/7c4940d614c7baa80f97b4bfd483e20d

一次史料の『葉黄記』が二次史料の『承久記』に「汚染」された可能性について
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e2cf0a2e77d6fab5859a22adcc9e1f21

戦後処理についての流布本と慈光寺本の比較(その7)~(その9)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e8ea8e8bf40b6d72010639241e816639
【中略】
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/082d6a1df74a8db8b23a7b3546cd0f87

また、長江荘について改めて検討しているときに、慈光寺本の亀菊エピソードに登場する藤原能茂という人物が非常に不思議な存在に思われてきました。

「関係史料が皆無に近い」長江荘は本当に実在したのか?(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/af58023942711f54b112cc074308b3ad
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d28bb5de2a337a74f14bad71e5aa96a3

そして、慈光寺本の作者は藤原能茂ではないかという仮説に至りました。

慈光寺本『承久記』の作者は藤原能茂ではないか。(その1)~(その5)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/870b1319bf4c43646f8d868ba2830b4b
【中略】
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/460d88959eeb1d2c67f1431cf0abc2bf

この仮説を踏まえて、久しぶりに渡邉論文に戻ることとしました。

慈光寺本『承久記』の作者は藤原能茂ではないか。(その6)(その7)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/046b68ab2d02709e3bead37a73118c2f
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/581532859e25780fef4ee441ea4ce703

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする