大福 りす の 隠れ家

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想像から創造へ

2011年05月22日 00時24分37秒 | 日記
私の勘違いかもしれません 理解の仕方が間違っているのかもしれません。

それをご理解の上 お読み下さい。





前回の日記の続きのようになってしまいますが




私は 不安と恐怖 というものがどうしても捨てきれずにいます。

怒りと同じく 不必要である物とは分かっているのですが 持っていたくないと思っているのに 捨てきれないのです。 



不安になっても 目の前にあることは何も変わらないのに。

恐怖心においても然り。



ある方向から見ると 自分が自分自身に直接影響を与えることは出来るわけではないのに。

自分が影響を与えられるのは 他人様に対して出来ること。

そしてその他人様が 自分に影響を与えて下さる。

それなのに 不安や恐怖を感じていても 今の状況が何も変わる事は無いのに。 ただ在ることが在るだけなのに。



私はこんなことが不安で夜も眠れない。 そう知り合いに相談して慰めてもらっても 不安は拭えない、目の前のことも変わらない。

頭では分かっているのですが。






『類は友を呼ぶ』 この言葉が不思議でなりませんでした。



同じ趣味を持った仲間と集まったりなどすれば 共通点は見つかってくるでしょうし 何よりも同じ趣味というところで既に 「類」 と考えても遠くない話だと思います。


しかし選ぶことの出来ない集まりなどはそうでないと思います。

例えば 流されるままに入った会社、ご近所様、地域の元で入った小・中学校という具合に。



私の周りには 誰にでもさりげなく気を使うことが出来る心をお持ちの方もいらっしゃいますし その一瞬に生きている方もいらっしゃいます そうかと思えば 何かあるとすぐに落ち込んだりする方も 極端にポジティブ、ネガティブを日頃から実践する方もいらっしゃいます。

良い悪いではなく どうしても私も含め同じ類の人間と思えなかったのです。


私はこんなに気を使うことは出来ない 不安だらけの私が一瞬に生きるなんて出来はしない。

何度考えても 同じではない。 全く同じではないにしても 少しは似たところがあるだろうかと探してみても全く見当たりません。





『類は友を呼ぶ』 ふとこの言葉の意味を数年前から考え出し その内に毎日というほど考えてしまっていました。



それがある日 特に何を考えていた訳ではなかったのに 突然腑に落ちたのです。

その説明をしようにも 「腑に落ちる」 ということは 理屈ではない所で起きたこと。 言葉で言い表せないのです。



それでも長い間考え込んでしまっていたことが解決されて 誰かに聞いて欲しい。 そういう思いに駆られました。



その誰かは 私の中ではもう決まっていました。

彼女には偶然 腑に落ちた その日から間もなくあう機会がありました。


彼女に最初説明しようとしても なかなか伝わりません。 それどころか 私が自分の言いたいことを上手く言葉に出来ず また相手も私の言葉を理解できず 今まで大きな声で討論をするということが無かったのに お互いの言葉を遮るかのように最後まで聞かず 声のボリュームは上がっていき 何も伝えることが出来ずお互いがジレンマを残しての一日でした。

1ヶ月ほど経った頃 また彼女とお話しする機会がありました。

するとどういうことでしょう 思いつくままに話すと 私が言葉にしたことを話し終わる前に全て理解してもらえたのです。

腑に落ちてからの時間が必要だったのでしょうか。



こう話しました。




例えば 自分の知り合いに2人の女性が居て その2人からの話を聞いてみると


最初の一人が言うには

近所では色んな騒音や声があって うるさくてたまらない 引越しをしようかと思っているの。

朝は私が起きようとする10分前に ご近所のご主人が出て行かれるのに バイクのエンジンをかけてうるさくて・・・後10分が寝れないって嫌なものよ それに清々しい朝が台無し。

朝はそんな始まりだし 日中は子供の声がうるさくてテレビの音も聞こえにくくて 夕方になるとピアノの練習が始まるご家庭があって もう少し上手ければ聞けるんでしょうけど 私はピアノの音も苦手だから耳について仕方が無いわ。

夜になると遅めに車で帰ってくるご主人のエンジンが響いて それなのにそのご家庭の子供さんが 外に出てきて 「お帰りなさい」 って大きな声で言ってるのよ時間を考えて欲しいわ。



もう一人が言うには

私の住むご近所さんは 意識無くとても私を癒してくれるの。 ありがたくって 何かお返しをしたい気持ちで一杯なの。

朝は私が起きようとする時間の前に ご近所のご主人がバイクのエンジンをかけるんだけれど 毎日決まった時間だから 良い目覚ましになってお寝坊をしなくてすんでるのよ。 それに起きなくちゃならない時間より少し早く目覚められるから 朝に余裕が出来るのよ。

日中は元気な子供達の声を聞かせてもらって 昔を思い出すこともあったり 今の時代の子供たちはなかなか遊び場が無いから可愛そうでしょ 何とかしてあげられないかと考えさせられる問題よね。 お陰で子供達に関する社会問題なんかのお勉強をさせてもらっているわ。

夕方には可愛らしくてたどたどしいピアノの音色が聞こえるの。 あ、昨日弾けてなかった所が今日は弾けてるって思うと こっちまで嬉しくなっちゃう。

車で帰ってくるご主人のエンジン音を聞いて そのお家の子供さんが元気に 「お帰りなさい」 ってパパを迎えに出てくるのよ。 もう遅い時間なのに ずっと待ってるのよ。 大好きなパパなんでしょうね。 パパは幸せよきっと ふふ・・・。




お察しがついていらっしゃると思いますが このお二人はお隣さん同士で住んでいらっしゃいます。


物事の考え方一つで 全てが違って見えるんです。


引越しを考えている女性は 不服を抱いています。

自分で目の前にあることに 不服の色付けをしてしまっているのです。

自分の周りには 落ち着く場が無いと思っています。

ですから 落ち着けないのです。 自分でそういう現実を作ってしまっているのです。


もう一人の女性は 幸せを皆に頂いていると考えています。

自分でその現実を作っているのです。




『類は友を呼ぶ』 それは自分がどういう創造するか という事ではないかと思うのですが・・・。

今の段階で私はそう理解しましたが この先理解の仕方がまた変わるのかもしれません。 

文章にするのは難しいですね。 なかなか思うように伝えることが出来ません。


又、十人十色 色んな理解の仕方があると思います。




私が私の周りの方たちと同じようには思えない。

それは 私が勝手にその方たちを 「この方はこうである」 と決め付けていたのでしょう。

他の方から見れば 私が勝手に思い込んでいる想像とは違った人間像をその方に持っていらっしゃるかもしれません。




最初のお話に戻りますが


私の持つ不安や恐怖心。

まだ在りもしない先のことへ不安を抱いても 今は何も変わらない。 先に起きるであろう出来事を悪いように考え想像することによって それは私の思い込みによって作られ そこに参加して下さる方々が居て下さるからこそ現実となっていくのでしょう。 

そんな現実を経験したくありません。



一日も早くこの 不安と恐怖心を手放すことが出来るよう心がけていきたい思いです。





いつも中途半端な文章の内容で 又そのまま中途半端に終わってしまって・・・。

伝えたい気持ちがあるのですが 全てにおいて 色んな事を感じ取ってまだ日が浅く 自分自身でもどうやって言葉にすれば良いかがまだよく分からない状況です。

それならば書かなければいいのに。 

そうも思うのですが 伝えたい気持ちが大きくて書き始めてしまっています。



まだまだ物知らず、言葉知らずですが 今日もお付き合い下さって有難う御座いました。
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