生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年01月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
時々立ち止まり自分を省みる必要があると言われていますが、具体的にどんな事だろう?なにかに夢中で取り組んでいる姿も美しいし、羨ましく思う人もいることでしょう。日記とかメモを書く習慣があれば、その立ち止まる意味を喜びとして考えておられるでしょうが、中にはメモすら書かずに生活していると、この立ち止まりの喜びを知らないかもしれません。静かに読書をする人、森を散歩する人、道端の野草に目が行く人、他人の哀しさを思えるひと、そのような人々は立ち止まる意味と重要性に気づいています。自分の事だけを考えている人はこの立ち止まる喜びを案外、知らないかも。心休まる静かな音楽も大事なようです。何の為に立ち止まるか、それは悔いのない人生を歩む為に時々、自分の思考と感情の処理方法と行動を見ながら自己実現への道を模索するためだろうなと思います。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年01月15日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
毎日が暑くて生きる事が面倒だ、と思う人もいるようです。そういう発言を聞くと、こちらも哀しくなり連鎖反応が起きてきますが、ここで巻き込まれないように必死の人もいることでしょう。「我」を確立していない人は多分、その「邪念」に振り回されるかもしれません。邪念といいましたのは生きる喜びが人間本来のものなのですが、何らかの事情で生きる事が嫌になった、という事情も非難は出来ませんが分類上は邪念と言われる範囲の思想です。生きる喜びとは何だろう、と祈りつつ思索していると、必ず、その人に相応しい答えが意識化されてきます。答えは他者からは生まれません。本人独得の生育史から生まれてくる答えでないと、価値がないのです。答えが何故見えないかという理由はストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、欝、錯乱の5つ)が、その答えを見えなくしていると言われています。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年01月14日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
時々立ち止まり自分を省みる必要があると言われていますが、具体的にどんな事だろう?なにかに夢中で取り組んでいる姿も美しいし、羨ましく思う人もいることでしょう。日記とかメモを書く習慣があれば、その立ち止まる意味を喜びとして考えておられるでしょうが、中にはメモすら書かずに生活していると、この立ち止まりの喜びを知らないかもしれません。静かに読書をする人、森を散歩する人、道端の野草に目が行く人、他人の哀しさを思えるひと、そのような人々は立ち止まる意味と重要性に気づいています。自分の事だけを考えている人はこの立ち止まる喜びを案外、知らないかも。心休まる静かな音楽も大事なようです。何の為に立ち止まるか、それは悔いのない人生を歩む為に時々、自分の思考と感情の処理方法と行動を見ながら自己実現への道を模索するためだろうなと思います。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年01月13日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
悩みがある時、人はそれぞれのやり方で、色々の解決方法を考えますが、自分の「思考・感情・行動のバランス」に及ぶ人は案外少ないかもしれません。思考が理想に走りすぎている場合が多く、身体が警告しているのに、その警告に気づかないまま日常生活をおくっているわけです。思考が理想に突出していると身体がたまらない、と警告してくれるのですが、どこに現れるかといいますと、感情の乱れとして現れます。感情の乱れにまだ気づかないと行動の乱れとなって現れます。この思考と感情の関係を知らないと自分を不幸に導いていきますので、この関係を意識化しておきたいものです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年01月12日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
案外簡単なようで難しいのが自分自身の心の中の「平安感」と「不安感」の識別です。人生で大事なものは「愛」ですがその愛も、平安感と不安感の揺らめきの中に存在しているので平素、愛と平安感と不安感を意識しておかないと生きる喜びが明確化してきません。ややこしいようですが、一度、愛と平安感と不安感の事例を自分の生育史の中から意識化しておくと楽しい人生が益々楽しくなるでしょう。どんな時に不安になり、どんな時に平安になり、どんな時に愛をしみじみと感じるか、その傾向は人により全部違います。自分の傾向を楽しみながら思索しておきますと、これから「もの想う秋」を巧みに乗り越えていくことでしょう。暑い夏が終わる頃から人は憂鬱になります。秋は四季の中で、人生を豊かにまとめていく重要な季節です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年01月11日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
思考、感情、行動のバランスが良いと、確かに自分の精神衛生がよくなります。その3つのどれかが突出したりしてバランスが悪いとストレスがたまります。3つのバランスを大事にする哲学を持たないと、人は自信をもって生活出来なくなります。よく自分の理想人物、尊敬する人物を語る人がいますが、それは自由なのですが、その理想から相手を批判したり裁いたりする人が多いので困ります。自分をさておいて、他者を批判する、のでは困るのです。理想と現実の混濁、自分と他者の混濁が精神病の始まりですが、自分が悔いのない幸せな人生を送る為には、どうしても、このバランスを真剣に真面目に考えないと、本当の幸せは手に入りません。まず倫理・道徳も大事なのですが、心を明るく爽やかん生きる為に、思考と感情と行動のバランスを意識しつつ、そのバランスのチェツクポイントとして五感と体感レヴェルで、自分の幸福曲線(平安感、友好的感情、健康感、幸福感、統御感の5つ)を保持する為の思考、感情、行動の有り様を自己分析してみましょう。この5つの感情を保持した時の自分の思考、感情、行動をチェックしていくと、自分のバランスの有り様が見えてきます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年01月10日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
時々立ち止まり自分を省みる必要があると言われていますが、具体的にどんな事だろう?なにかに夢中で取り組んでいる姿も美しいし、羨ましく思う人もいることでしょう。日記とかメモを書く習慣があれば、その立ち止まる意味を喜びとして考えておられるでしょうが、中にはメモすら書かずに生活していると、この立ち止まりの喜びを知らないかもしれません。静かに読書をする人、森を散歩する人、道端の野草に目が行く人、他人の哀しさを思えるひと、そのような人々は立ち止まる意味と重要性に気づいています。自分の事だけを考えている人はこの立ち止まる喜びを案外、知らないかも。心休まる静かな音楽も大事なようです。何の為に立ち止まるか、それは悔いのない人生を歩む為に時々、自分の思考と感情の処理方法と行動を見ながら自己実現への道を模索するためだろうなと思います。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年01月09日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
考えている事が美しく善良で真理に繋がるような哲学者でも、感性が何となく汚く、曲折している、しかも、行動ときたら、奇妙な徘徊をする、そんな人もいます。中々、思考・感情・行動の3本柱が誰が見ても、ほほう、と感心するような人物はいません。生涯に2-3人、遭遇した事がありますが、私にはそう見えても、他者は、え?何故、あなたはそう思うのですか、と聞かれた経験があります。この思考と感情と行動のバランスは人間の理想かもしれません。皆様は、どう思いますか?理論的には「思考と感情と行動のバランスが良いと、人は幸福曲線を歩み、バランスが悪いとストレス曲線を歩く」と言われています。このあたりを暫く書いてみます。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年01月08日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
変人だと諦めて生きてきたaさんでしたが、私の話を聞いていく内に、ひょっとして、変なのでなく天才なのでは、と気づきました。気づいたaさんはフランスにいきなり飛んで行き好きな料理の勉強を始め、今は新潟県でケーキ屋さんをして30年。こんな人生もあるのです。変だと思えたaさんはラッキーです。奇人変人とは誰が定義するのでしょう?それよりも、自分が変だと思った場合、ひけめや劣等感で生きる事は馬鹿馬鹿しい事なので、是非、素直に自分の意識の中に変な自分を意識した時、その変なものの中にこそ、自分の才能、興味、生き甲斐があるかもしれない、と思って下さい。変だと思い込ませた周囲が変な場合が大半です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年01月07日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
変な自分を素直に認めると、人間は大きな悟りを得ていきますが、認めないと、いつまでも奇人変人で生きる羽目になります。変な事を言う人だなあ、と思うかみしれませんが、こういうことです。深層心理の世界では自分以外はすべて驚きの対象なのです。品の良い言葉に還元すれば、それを個性の美と言い換えることも出来ますが、殺人魔、変質者も沢山いますので、一概に個性の美とは言いません。ここでは意識して「自分は変だ」と思う人を対象に書いていきます。確かに色々あるでしょうが、一番恐ろしい解釈が変でないのに変だと思い込んで哀しい劣等感のまま生活する事例です。環境により、特に親が自分の事を変だ、と言い続けた結果、沢山の個性の美が抹殺されている事例は多すぎます。ですから今まで、変だと思い込んでいる自分を一度、温かく優しく、まてよ、これは自己実現への道を示唆している天のシグナルかもしれない、と見直して欲しいのです。変だと思ったら、素直に認め、その上で、ひょっとして変なのではなく、自己実現への道を示唆してくれている何なのささやきなのか、と解釈しなおすと、そこに素晴らしい自分の個性を見つける事例は多い事を知っておいて下さい。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年01月06日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人生には沢山の良いこともありますが、哀しい出来事を見ざるを得ない事もあります。その一つにお金持ちの男女がデパートで、ちょっと失礼、という盗難事件が時々新聞に出る事があります。この原因はほぼストレス曲線(不安感、怒り、身体症状、欝、錯乱の5つ)の発散の1形態と言われていますが、とても哀しい生身の人間の姿です。無意識に近い病理現象なので、治療には時間がかかります。解決の方法は自分のストレスの実態を把握し、その答えを自分の中から見つけ解決していく以外、方法はありません。若いお嬢さん達でも冷蔵庫の中のものを食べていく病気も同じ原因です。何とか早く解決して一度しかない人生を明るく元気に爽やかに生き抜いていきましょう。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年01月05日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
「引かれ者のの小唄:刑場に連行され、打首になる人が強がって小唄を謡う例え」ですが、今の私も大袈裟なようですが、そのような傾向に気づきだしました。どういう事かといいますと、悔しいけれど、そろそろ年齢を配慮して物事を考えなさい、というささやきを最近感じだしました。運動不足だからと、年齢を考えずに昔鍛えた合気道をしたりする自分をいさめています。心臓の動機がすさまじくびっくりしました。「寂しくとも今の年齢を配慮しないのは天に逆らうこと」となることを考えなさい、と神様がささやいているのを素直に受け止める必要があるようです。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年01月04日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
その日の京都も暑い一日でした。この暑さの中で河原町三条から京都市役所の裏側から下御魂神社を経て京都御所の南まで歩き、更に熊野神社、京都大学病院、キャンパスを散策し、小山の中にある吉田神社のあちこち、さすが、このまま興味津々で歩いたら、倒れるかな、と予感したので無理に自分を抑え休憩。10時40分に歩きだし、気づいたら1330分、お昼ご飯もいただいていない自分に驚きました。固執障害と誤解されそうですが、いつもはこうではないのです。京都の魅力があまりにも大きいので、自然とそうなってしまいました。今日も元気な自分に驚いています。顔の表情もいきいきしていて、人間の底力を感じています。お金の計算等、嫌な仕事ですと、30分もすると疲労感を感じますが、好きだと疲労感がないのが不思議です。
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年01月03日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
2012年代、テレビ録画の為に毎月京都に通っていました。翌日は今までの人生のご褒美として大好きな神社仏閣を訪問する事にしています。伏見稲荷、御霊神社、興福寺、北野天満宮などなど。私は何と幸せ者だろうと感謝しています。鴨川を散歩すると大きな鷺がいたり、錦小路を歩くと錦天満宮が道真公の父君の屋敷跡だ、との説明文に遭遇したりすると楽しくなります。高瀬川の歴史を想いながら歩いていると由緒ある歴史の史跡にあったりすると興奮の連続です。京都がアメリカの爆撃に遭わずに済んだ事を感謝しつつ歩いています。欧米の歴史も楽しいのですが、飛鳥奈良京都の歴史を改めて勉強したいと思います。平安京時代に生きていた私の直系の母は、どんな生活をしていたのかなあ、と勝手な空想を描く程に、益々京の都が大好きになりました。直系の母はお姫様だったのか、白拍子、或いは河原乞食、或いは、?、色々空想するのですが、とにかく、それぞれの時代を生き抜いてくれたので、今日の私が存在しているわけで、改めて祖母達の生き抜いた力に感謝することにしました。どんな祖先がいたのかなあ?
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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2024年01月02日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?
人は見たくない感情が湧き出すと相当慌てます。これが普通なのですが、自分に限り、こんな見苦しい感情が湧くなんて、許せないと叫びます。私も慌てるほうですが、慌てる人間が大好きです。この自分に限りこんな見苦しい感情が湧くなんて信じられない、と何度、思ったことでしょう。感情を抑圧すると人は、どんな逞しい人でも破壊していきます。旅館の経営者の知人が笑いながら冗談めいた発言をしていました、それは警官、先生、司法裁判関係者の団体旅行を受け入れるのは嫌いだと。何故かといいますと,その筋のお客さんは、平素のストレスを抑圧している人々が多く、その種の人々は,宴会で発散する、その姿が嫌なのだそうです。感情を抑圧せず昇華する方法と智恵を自分流で見出し湧き出す感情の激しさを抑えないで活用する方法を見つけたいものです。湧き出す感情は逞しい生命力になるそうです。
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