生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年07月16日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

治療で一番難しいのが、患者さんの思い込みの修正です。思い込みは信念でもあるし、個人の自由意思の領域でもあるので、下手をすると人権侵害ともなりかねません。しかし、どう洞察してもこの患者さんの<この思い込み>を変更しないかぎり、つまり考え方を変えない限り、この苦しい心のストレスは多分、永久に解決出来ないだろうとセラピストとして確信した場合、侵害を承知で患者さんと対決する事があります。選択肢をキチンと説明しながら、後は、患者さんに任せます。その前に、こちらを選べば多分、こうなるでしょう、あちらを選べば恐らくこうなるでしょうが、それは中々難しい、というような事をいったら、患者さんは益々混乱していくので、毅然として言い放つ場合もあるのです。この問題について暫く思索します。

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年07月15日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

終末治療を受けている患者さんが<この世は天国だなあ、死んでしまったら木阿弥だなあ>と呟いていたのをふと思い出しました。明日をもしれない患者さんから、この言葉を聴けるとは考えてもいなかったので、この場面は生涯、忘れません。死ぬよりは生きていたい、というこの患者さんの哲学は人間の原点かもしれません。終末治療を受けている患者さんでも、このような考え方が出来るのならば、考え方を変えれば世界も変わる、という古代からの思想を基に、もう一度、この世は、ただひたすらに厳しいとか、辛いとかいう思い込みを修正する必要があるかもしれません。現実という世界を解釈する方法をいつも柔軟にしておく必要があるようです。

 

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年07月14日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

色々と人生経験を積んでいくと、電車の混雑の中でも、人に一歩、譲る余裕が生まれてきました。わざとではなく、自然に譲れるようになりました。自分の人生が幸せなので、自然に二コリとしながら、譲るのです。中には譲られても、威張りながら平然としている人もいますが、10人に一人は私に微笑みを返してくれています。微笑みがあると、生活が益々、幸せになるのに気付きました。年齢が増えてきたら、ニコニコ自然に振る舞えるようになろう、と思うこのごろです。10代でも、20代でも、人に対してこのようにニコニコ微笑んでいる人を見かけますが、この若い微笑みは、どこから生まれてくるのでしょう。頭がさがります。

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年07月13日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

だいぶ前の話ですが、色々の出会いの中からの、謡を教えて下さる方がいました。声を出す喜びがこんなにも深く大きいものとは!感動の連続でした。昔、某大学病院で患者さんに向かい偉そうに<心を解放する一番良い方法は歌と踊りです>など言っていましたが、あの歌と踊りも確かに素晴らしいのですが、この謡での発声を少しずつ練習していると、下手なのは当然として、五感と体感で、物凄い大きな解放感と喜びを感じてしまうのです。この喜びは抑圧されている全てのものを宇宙に吐き出すような感じになり謡を始めて本当に良かったと思いました。ここ数年、新型コロナのせいでお稽古の会が開かれず、何となく寂しい感じです。近いいつか開催されんことを祈りつつ。

 

 

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年07月12日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

心理療法の勉強は自分と他者が幸福になる為のものですが、とかく挫折と絶望に陥りやすい領域が<自己分析>という作業です。とても大切な作業ではありますが、現在遭遇している困難は<自己分析>も必要ですが<災いを転じて福となす>知恵と安心感と努力が、一番、大切かもしれません。人間は弱く、知恵は案外ありませんので、謙遜に神仏の前にひざまずき祈りながら、この困難を良い方向へ転じられるよう考えていく必要があります。

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年07月11日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

今までの人生で不安感から身体症状が出てしまい、自爆した経験を、今、恐れずに自己分析すると、どんな場合に身体症状がでたのか、その傾向を把握する事が出来ます。傾向がわかれば、この生き甲斐の心理学を学んでいれば、その分析方法も理解しているはずです。第1章から第8章までは全部書き終わっていますので、是非ご覧下さい。貴重な話ばかりですから。さて身体症状が出る事例は殆ど人は同じ原因からですので、将来の対策を事前に考える事が出来ます。夢と現実のはざまを、どう生き抜くか、その対策について暫く考えていきます。

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年07月10日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

生命があるものは、自分の生命を維持する為に多種の生命を食べないと生きていかれないシステムを若い頃は随分と悩み苦しみました。植物も生命を有していますし、どこを見ても毎日私が頂く食事は全部多種の生命を私は食べています。この生命同志の食べ合いを気にして食欲が無くなった青春時代を思い出します。このシステムについて古代から色々の哲学、思想がありますが、どれを見ても納得出来るものは一つもありません。神は愛なり、と私は信じていますので、天国に召された時、神様に一番最初に質問したいのがこのシステムです。

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年07月09日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

理性を重視しすぎて自分の五感と体感を低くみている人に遭遇します。心理療法での事例としてはこの傾向を有する人の特徴は、自分の理想から自分や他者を批判していること、自分の弱さ、愚かさを忘れて他者を攻撃しています。もうひとつの特徴は自分の問題なのか、相手の問題なのか、このあたりの識別が出来ていません。自他混合の人間という意味です。理想と現実、自分と他者、この識別は、私も時々混濁すますので、あまり人の事は言えません。この遠因は防衛機制にあるのでしょう。見たくない自分、真実を知るのが怖い、現実を直視出来ない、この領域の問題は非常に難しい心の領域です。さて理性も大事ですが、日々の生活の中で味覚を重視する習慣をつけると、案外、生きる喜びが激増するようです.

 

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年07月08日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

有名な逸話ですがアメリカ、特にニューヨークの若者たちの精神衛生調査の際、首題の戦争の時の神経症統計に著しい数字の違いがあったそうです。哀しい統計ですが、アメリカに限らず、イギリスなどでも戦争があると神経症患者数が激減します。日本の第二次世界大戦の戦後は私は小学生でしたがお腹がすくと、何でもしました。空腹は人間を狂わせる、と言いますが、狂うという表現に疑問を感じます。平和の時代の倫理道徳と戦争中の倫理道徳は同じテーブルでは語れません。食べていく為の人間の努力は現代の常識では考えられません。食べていける生活設計を基本としない心理療法には大きな問題が潜在しています。福祉国家が上手に展開した北欧三国の精神病患者数が相当高いのはいいことか、わるいことか、わかりませんが、少なくとも人生計画樹立に際しては、食べていける環境を優先して生きていきましょう。特に現代の子供たちは逞しく食べていこうと言う思想が欠落しています.

 

 

 

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年07月07日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

アレキサンダー大王が有名な哲学者ダイオゲネスに会いたいと、わざわざ部下を引き連れて、その居場所を訪ねますと、家の無いダイオゲネスは、その時は、道路の脇の樽の中にいて、日向ぼっこを楽しんでいました。会話の後、アレキサンダー大王が、望みのものをとらせる、と言うと、自分は今、日向ぼっこを楽しんでいるので、そこをどいてくれ、と言った有名な逸話があります。大王は感心したそうです。これは大哲学者だから出来る事ですが、私のような庶民はこういうわけにはいきません。食べていける方策をキチンと樹立したうえで、自分の生き抜く目的、生き甲斐を探して生きていきたいものです。哲学の前に食事の手配です。

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年07月06日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

人が誰かと最初に出会う、その時の最初の一言で全てが決まる時がありますので、この言葉は恐ろしいような気がします。親友の紹介で初めて会った人が何か刺のあるような言葉をつぶやき、それが挨拶の最初の一言であれば、多分その新しい関係は上手く行きません。最初の一言はその人の日々の想い、特に人間に対する優しさ、愛情、自分や他者を粗末にして生きているかどうか、を的確に表現しているものです。このような人の言葉は自虐的、皮肉風、希望の無いような、つまり他者否定のような言葉が出てきます。大脳は相性を数秒で判断すると言われていますのでインスピレーションを私は尊重しています。暫くこの最初の一言が歴史を変えたり人間関係を支配したりするので色々と思索してみようと思います。

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年07月05日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

同じ現実を見たり触れたりしていても、吐き出す言葉の明るい人も居れば、周囲を憂鬱にする人もいます。その吐き出す言葉の内容で、その人の平素の思索内容が分かります。言葉として口に出す言葉は自分と周囲の人の幸福感を左右しますが、出来れば周囲の人々を明るく元気にする言葉を口にしたいものです。口に出す言葉の暗く憂鬱な人は、何となく可愛そうな気がしますが、本人は案外、自分は明るく元気に生きている、という自意識があるようです。この口にする言葉と自意識の違いはどこからくるのでしょうか?難しいところですが、生きている喜びがないと、この口にする言葉が周囲を更に暗くしていきます。言葉を飾る必要はありませんが、自分の厭なものを吐き出す手法として言葉を使う人が、もし、居るとすると、その人は随分と損をしています。口にする言葉が自分も周囲の人々も楽しく明るく生きる喜びの象徴となるよう修行したいものです。

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年07月04日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

難しい学術用語は正確な討議をする場合、どうしても必要となりますが、案外、簡単な現実受容のノウハウがあります。専門用語を使用しないで人々を元気づけようとする場合、案外、下記の3点が心理療法で役立ってきました。(1)なるようになれ(ケ・セラ・セラという流行歌(2)人は考えた通りの人間になる(3)時を待とう。難しい言葉の置き換えると(1)人事を尽くして天命を待つ(2)3Vの法則(自分の夢をイメージ化し、言葉化し、行動に移す)(3)防衛機制を外し自然体となりのびのびと行動し、そして結果を待つ。この3つの基本があれば厳しい現実を楽しむコツがわかってきます。とにかく自分流の現実を逃避せず直視する楽しみ方を探してみて下さい。厳しい現実を解釈するノウハウを自分流で確立したいものです。

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年07月03日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

恋愛妄想、現実逃避、夢も希望もないと悩む人々、この辛い現実の前に人々は、どう解決しながら生き抜いているのでしょう?心の病になってしまった事例は難しいのでここでは書けません。心の健全な人々でも、この大問題の取り扱いは非常に難しい領域です。現実に適応出来ずに真実をみようとしない事例は必ずしも異常とは言えません。例えば私の場合は耐えがたい問題に遭遇した時はロザリオを胸に秘めて仕事をしています。お守りを胸にしていれば人々は安心します。これも現実を受け入れられない場合の防衛機制です。14の防衛機制は異常ではなく神様が人間に与えて下さった心の仕組みですから大いに利用しましょう。元気になれば堂々と厳しい現実と正面切って取り組めますが、心が疲れ、弱り果てている時は、あえて厳しいものと取り組む事は愚かな事です。このあたりの自己分析をするには相当勉強していかないと対処は無理でしょう。知識と体験の積み重ねを時間をかけて修行する以外、現実を100パーセント受け入れるのは生身の人間には不可能です。信仰心は恩寵ですが、祈る心は誰にでもありますから、謙遜に祈りながら、知識獲得と修行をしていきましょう。現実を受け入れるという事は本当に難しいことです。

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自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答

2022年07月02日 | 第15章自分は何処へ旅してるのか?

人間の心は本当に不思議です。私から見れば、何と可愛そうな人生を送っている人だろう、と同情していたのですが、本人は人生は冒険とスリルに満ちていて楽しいなあ、と笑っているのです。この心情は、どこから生まれてくるのでしょうか?観察していくと、現実の解釈にその理由が存在していました。膨大な借入金、家族の離散、しかし彼は失望していません。いつか必ず大丈夫だ、と信じて生きています。不思議な人です。数回の倒産にも拘わらず、遂に彼は元の暖かい家族とも再会し、会社も建て直し今、のんびりと余生を送っています。中学を越後で過ごし集団就職を東京で果たし、苦労して会社を興したけれども、時代の波に翻弄され苦労して、成功した幼友達です。彼の偉さは厳しい現実を素直に受け入れ、冒険心にみちみちていて、いつも悔し紛れに、現実は楽しい、と友達に見栄を切りながら生き抜いてきた友人です。

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