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生き甲斐の心理学

自分は何の為に生きているのか? 生き甲斐とは何か、自分の魂と成育史と身体を大事にしているか、を思索していきます。

二つの方向、どちらが幸せ!

2006年12月18日 | 第1章:愛の領域
人と会う時、本能的に、相手の良い点、自分にとって心地よい点を見抜く人がいます。大変な努力と修行をして、人間の美しい心、優しい心、技能の秀でた所・潜在能力を見抜くのです。かたや嫌な所を何故か上手に探し出す人も居ます。自分にとって心地よいものを探し出すのは人生の楽しみの一つですが、心から感動し賞賛したくなる衝動を人は時として感じるものです。そんな時の賞賛の心を私は素直に出さない習慣を自然に身につけたようです。面と向かい賞賛していい場合と、相手を駄目にする、傲慢にする、図に乗らせる経験をしてきたからです。沈黙の内に相手を賞賛すると自然に私の眼差しが慈眼となり、その愛情が相手に素直に伝達されると美しい人間関係が沈黙の内に育まれる経験をしたからでしょう。相手の美しい所を探し出す人生を選びたいものです。:<NPD3:賞賛論:33-5>:

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求める相手は誰?

2006年12月17日 | 第1章:愛の領域
求める相手が友達、両親、学友、恩師、恋人と、その折々の人生で異なります。どの場合でも、たまたま、その時、求めた相手が悪いと、人生が狂います。今、放映され来週が最終回の<嫌われ松子の人生>はその典型でしょう。さて、私が高校2年生の時、母が帰天してしまいました。人生の半ば頃まで、夢を見ました。山を越えた或村に母が住んでいる、と聞いて探しに行く夢でした。無意識で愛する人を探し求めていたのです。さて人生では自分の魂と心と身体を理想通りに満たしてくれる人はまずありません。しかし理想は極めて大切で諦めてはならないもの。一番良い在りようは、神仏を中心に螺旋状に理想に向かい、共に上昇していく人が存在すれば、もうその人生は最良のものと言えるでしょう。山あり、谷あり、しかし同じ理想に向けて歩んで行く人、仕事の上でも、愛の生活の上でも、大きな夢、理想等、志を同じくする同志、と目標に向かって歩んでいく人生は最高です。理想の人間が居なければ、同じ志に向けて、共に歩む人が一人でも存在すれば、心は十分、満たされます。まして数名の同志が存在する人生は最高。
:<NPD3:賞賛論:33-4>:

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褒められたくて病気になる人

2006年12月16日 | 第1章:愛の領域
子供から大人まで上手に褒められるのは気持ちがいいものです。Aさんは子供の頃から馬鹿にされ、ケチをつけられて育った、と時々嘆きます。最近、無意識に上司から褒められたい一存で、したくもない仕事や成績を上げる為に無理をして、身体症状が出てきました。人は何故、そこまで褒められたいのでしょう?この傾向を防止し、自由意志でのびのびと明るく自然に生きていく喜びを味わう為には、どうしたら、いいのでしょうか? 身体症状の原因を意識し、知覚し、学習する方法しかありません。頑丈なお城のように逞しく、かつ、のびのびと明るく自然に生きる喜びを学習する道しかありません。:<NPD3:賞賛論:33-3>:

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褒め殺し

2006年12月15日 | 第1章:愛の領域
順調に流れていた生き甲斐ある人生が突然、破壊していく、その原因の一つに人間の傲慢があります。敵を壊滅させる手法として古来から<褒め殺しの手法>がありますが、賞賛されている気分と言うものは非常に気持ちの良いものです。巧妙な敵は巧妙に、微妙に賞賛してきますから、注意しなければなりません。賞賛する行為は時と場合により人を破滅させます。しかし、本当に愛している人が本気で恋人を賞賛する時に、素直になれないと、愛は深まりません。この素直に乗るか、乗らないかが運命を別けていきます。ですから、本物の愛か、偽物の愛かを、識別する訓練を意識して生きていきましょう。愛とは何かを平素思索し、愛の訓練を積む人に愛の勝利があるのでしょう。努力の無い愛は薄い愛です。神仏の愛を信じる人が幸福なのは、裏切られない愛に生きているからでしょう。
:<NPD3:賞賛論:33-2>:

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心地良さと病理

2006年12月14日 | 第1章:愛の領域
異常者とは何でしょうか?歴史背景、その時代の倫理観、家族内での考え方、精神病理学、哲学、経済学などなどで、それぞれの定義は違います。人類は65億になったそうですが、ここでの定義は一人一人の自分は皆、正常だと信じています。しかし、その一人一人が自分以外の相手を変な人、異常者だ、と感じたら、そのまま素直に異常者として定義しておきます。深層心理学の世界では、自分以外の人は皆、驚きの対象者なのです。異常者と断定した、その人が、異常者かもしれませんが、本人が相手を異常者だ、と思うのですから、これ以上、騒いでも、意味がありません。正常か、異常か、はどう識別するのでしょうか? さて、心地よさ、という世界も正常な心地よさと異常な心地良さ、があります。今回はこの心地よさの病理について思索していきます。:<NPD3:賞賛論:33-1>:

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注視される喜び

2006年12月13日 | 第1章:愛の領域
昔、アイルランドの田舎を旅した時、農家の入り口にホワイトビーンとか、ニンニクが飾られていました。旅人の邪眼を防ぐ為だそうです。慈眼(愛の慈しみのまなざし)なら見られた方は幸せになりますが、邪眼(よこしまな心を持つ目)の旅人に見られると子供、家庭、羊、妊婦の胎内の赤ちゃんに恐ろしい災いがもたらされる事を恐れて、それを防ぐ為にホワイトビーンやニンニクを軒先に飾るそうです。
このように愛する人の慈眼は心の平安をもたらし、まして神仏から慈愛のまなざしで見つめられている事を意識出来る人は平安の人です。このように人間は敏感に邪眼と慈眼を識別出来るように創られているので人々を注視する時は慈眼で見つめる訓練を楽しみましょう。生き甲斐支援で一番重要なボランテイアです。
:<NPD3:注視論:32-5>:

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幸せをもたらす注視とは?

2006年12月12日 | 第1章:愛の領域
注視して明るい気持ちになる場合と暗くなる場合があります。注視したくないものは、汚いもの、恐ろしい風景。注視したいものは綺麗なお花や人、自然、星.その中でも(自分が持つ魂)を注視してみませんか?一番簡単に幸せになれる方法を現代人は忘れています。数千年を生き抜いてきた伝統宗教の教えによれば<魂は永遠なるもの、普遍の生命を持ち、互いに愛し合い、自由意志と記憶を持つ知的生命体>と定義されています。死後は身体から離れていく、とも定義されています。自分が持つ魂の研究を学問としてきちんと学びますと大変素晴らしいものが見えてきます。魂があるかどうかは学者にお任せして(信じて見えてくるもの、見えなくなるもの)を心理学として注視してみて下さい。最大の平安感を自分が持つ魂に求めれば無償で与えてくれまし、厳しい現実、自分の臨終には大きな希望を与えてくれそうです。:<NPD3:注視論:32-4>:

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嫌いな人に見つめられると何故怖いか?

2006年12月11日 | 第1章:愛の領域
日々の生活の中で好意を持ち合った人々に囲まれて生きて行く事が出来れば、こんな幸せはありませんが、どうしても好きになれない人が居るものです。しかし、何故か相手はあなたに好意を持っていますがあなたは恐怖を感じる事があります。何故でしょう? 真面目にその恐怖発生の心の仕組みを思索すると、一つの悟りを得ます。この場合の対処法で人生が分かれていきます。この関係には深い意味があります。親の敵の方が対処しやすいのですが、この微妙な関係は複雑で難しい対処を要求されます。原因は色々ありますが、この恐怖心は人を愛する方法を悟らせる一番大切な試練です。逆の立場を想定すると直ぐ、分かります。あなたが或人に好意を持ち、その人にどう扱われるか、それと同じです。人を大切にする方法を真剣に思索するチャンスをその人が与えてくれています。愛の訓練の最高のチャンスです。:<NPD3:注視論:32-3>:

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見つめすぎたら、はしたないか?

2006年12月10日 | 第1章:愛の領域
神仏や聖人の絵画、彫像をうっとりした表情で眺めている姿や祈りを捧げている姿を皆様はどう感じますか? 初恋の人にうっとりと眺められた経験を持つ男女は幸せです。その想い出が子供を愛し、育てる原型になるからです。この愛の原型と呼ばれる風景がそれぞれの人生を豊かにします。友情にしても、男女の愛にしても、信仰上の神仏と人間の関係にしても、この愛の原型が支配している真実を見失うと大きな精神障害が生まれてきます。片想いの関係で嫌いな人に見つめられたら恐怖です。本人相互で認めた愛の関係では、この見つめ合う精神衛生の効果が抜群で、魂の愛の関係に高める精神作用を<みつめあう>は持っています。見つめ合う関係と経験を持たない人生は寂しいものです。豊かな愛情でうっとりと自然を見つめ、祈りを見つめ、可愛い動物をみつめ、綺麗なお花をみつめましょう。
:<NPD3:注視論:32-2>:

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注視され恥ずかしがる人、喜ぶ人

2006年12月09日 | 第1章:愛の領域
ここでは自己愛パースナリテイ障害を勉強しています。人間の一番大切な愛の関係論なのですが、より深く愛を五感と体感で意識し、より幸せに悔いのない人生を歩む為に、ここで思索しようとしています。愛の関係の中での<注視>は極めて重要な位置づけですが、愛する人に注視されて恥ずかしがる人も喜ぶ人も、いづれも健全なありようですが、神仏から注視されている人間と同じような安心感、平安感、健康感、統御かんをもたらす注視は極めて健康的ですが、不安、怒り、身体症状、鬱をもたらす注視は異常な分野といえるでしょう。5回にわたり<注視>の問題を思索していきます。:<NPD3:注視論:32-1>:

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どこを褒めたら互いが幸せになるのだろう?

2006年12月08日 | 第1章:愛の領域
自己顕示欲を本能として持つ人間。上手く活用するか、しないか、で人生が大きく別れていきます。褒めるという精神作用も人間の美しい営みの一つですから、大いに活用したいのもです。人は皆、幸せになりたいもの。褒めるべき所は唯一つ、その人の自己実現への道を促進させるほめ方は正に本当の愛の姿。悔いのない人生はこれだ、と信じている人が居た場合、その道を歩きやすいようにしてあげるのが愛です。自己実現への道として修道会を選ぶ人、神父への道を選ぶ人、音楽家、絵描きさん、小説家、歌手、あるいは家庭を大切にする女性、母性に生きる人、それぞれですが、道を定めて歩き続ける人は本当に美しい。その道を妨害する人は誰?
:<NPD3:自己顕示欲:31-5>:

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<自己顕示欲>のセルフコントロール

2006年12月07日 | 第1章:愛の領域
遺伝と環境により形成された<自己顕示欲>を強制的に排除しようとすると心の病気になりやすくなります。一番良い方法は自分の自己顕示欲を意識し知覚する事。これ以外は無理がたたり、嘘をつくようになったり、欲求不満の現象が出てきます。人間の自己顕示欲は生物体が生き延びる一つの手法なので大切な要素でもあることをお忘れなく。自分の自己顕示欲が気になりだした人は、下記の事を気遣うだけで十分です。(1)意識し知覚する事(2)自然体で明るくのびのびと振る舞う事(3)その結果、信頼出来る友人、知人の反応を密かに観察し、自分の自己顕示欲の愚かさを、明るく反省する事。これで十分です。むしろ仕事で成功する上手なプレゼンテーションにこの激しい性格を応用なさるといいでしょう。
:<NPD3:自己顕示欲:31-4>:

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素直に喜ぶ恋人と喜ばない恋人

2006年12月06日 | 第1章:愛の領域
疑う事も必要ですが、素直に喜ぶ事はもっと必要です。生育史の影響もあり誠実な愛情に対してですら、素直に喜ばない恋人を持つ相手は不幸です。どんなに修行をした人でも生涯、悩みは消えず、幸せな瞬間とても、そう長続きするものではありません。さて激しい恋をしても数年後に罵倒したり、恨んだり、喧嘩をしたり、最悪の場合は離婚したりしますが、何故でしょうか?色々原因はありますが、今回は自己顕示欲を中心に思索しようとしています。自己顕示欲の大半の理由は、愛の孤独感が原因なので、愛の孤独感への対応策をとらない限り、この異常な自己顕示欲は治りません。素直に喜ぶ、素直に信じる事は幸福の条件なので、もう一度、自分の愛の孤独感を正直に五感で感じ取る訓練をしてみましょう。愛の孤独感を意識出来る人間になりたいものです。愛の孤独感を感じているのに<感じていないと思いこもうとする人間>は、ますます孤独感を深めていきます。これを孤独感を抑圧する現象といいます。:<NPD3:自己顕示欲:31-3>:

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褒め殺しと愛

2006年12月05日 | 第1章:愛の領域
恋をした二人が晩年離婚したりする理由は色々ありますが、人間観に原因があります。人間は<魂と心と身体>で成立している真実を無視すると悲劇が生まれます。魂は永遠普遍で、老いることもなく、病むこともなく、愛そのもの性質を有しています。恋をすると相手を賞賛しますが、相手を増長させる賞賛(褒めすぎ)があると、愚かな恋人は図に乗ります。図に乗る恋人を見分ける余裕がないのは、人間としてやむを得ません。どんな人でも魂同志は愛し合っています。この褒め殺しによる悲劇は魂の問題ではなく、心と身体の問題です。心理療法では、或原因を思索する場合、色々の視点から分析する訓練をしますが、今回は、人間誰にでもある<自己顕示欲>から分析しようとしています。恋をして、何故、相手を罵倒したり、非難したり、離婚するか、それは心と身体の問題で、決して魂のせいにしてはいけません。魂のせいにする理論は間違いです。明日、もう少し考えますが、今日の理論を一日咀嚼しておいて下さい:<NPD3:自己顕示欲:31-2>:

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恋は何故褒め合うか?

2006年12月04日 | 第1章:愛の領域
恋をして互いに褒めあった思い出は人生を豊かにします。互いに照れながらも相手の綺麗な所、素敵な点に感動したり、言葉に出して伝えあいます。この体験を持たないと人生は貧しくなります。人からケチをつけられた経験は山ほどあるけれど褒められた経験はない、と哀しむ人に何回かお会いした事もありますが何とも寒々しい気分になりました。。さて恋をして褒め合った二人が何故、数年たつと悪魔呼ばわりするのか、その理由を5回に分けて解説していきます。魂はしっかりと愛し合っているのですが心と身体に自己顕示の病的な現象が一部表出しだしたのです。:<NPD3:自己顕示欲:31-1>:

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