五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

惑わされている自分

2015年06月07日 | 第1章 意識と知覚
惑わされている自分2015年6月7日

湧き出る感情の取り扱いについて、ほんとうに自分自身の傾向を知っているだろうか。
その自問自答ができるのは、身近な家族との関係性を意識化したときかもしれません。
最近、自分が半世紀間ある概念にとらわれ続けていたことに気付き出し、「ああ~~損したわ~」と、思うことが度々あるのです。
つまり、感情の取り扱いが上手でないのは、自分では無く身近な家族であることに改めて気付いた時に、今までそのことに気付いていたはずなのに、実は私自身が、その呪縛から本当に解き放たれていなかったことにハタと気付いたのです。
湧き出る感情の処理の一つとして、同じ事を第三者に訴え続けたとしてもそれは解決にはなりません。同じ事を繰り返して訴えたところで、訴える先は焼け石に水のようなものです。第三者は確かに静聴してくれますが、悩みが深くて長い期間の問題であればある程、広い広い宇宙に小石をポンと投げる事と同じなのです。
ほんとうに返してほしい人が自分の理想の答えを返して欲しくても、その相手が自分の傾向と向き合わない限り、叶うことではなさそうです。
であるから故に、問題意識を持った自分が何らかの気付きを求めて自分自身の傾向と向き合った方が手立てがあるようです。

変わらない家族の傾向を変える事に力を注ぐことよりも、「自分の傾向と向き合い、変わらない相手との関係をどのような解釈で向き合うか」を優先してみると「自分自身の個性の正中線」が如何に大事なことであるかが見えてくるのです。自分の一貫性を他者に惑わされないためには、現在相手に惑わされている自分を認める事が転換のきっかけになるようにも思います。

相手に惑わされている時は、暗示にかかったように自分の役割があたかも相手のニーズに応える事であるかのように思い込んでいるのですが、自分がその相手に惑わされていると体感的に自覚した時に、澄んだ青空を感じたのです。
「人の身体は神の神殿である」とは、そんな気付きがある時に「なるほど」と思うわけです。

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