真善美2015年6月9日
真善美を事典で調べてみました。
認識上の真、理論上の善、審美上の美。人間の理想としての普遍妥当な価値を云う。デジタル大事泉より
認識上の真、理論上の善、審美上の美。人間の理想としての普遍妥当な価値を云う。これに聖を加える事もある。広辞苑
とても頭がすっきりする説明です。
この場合の「聖」は広辞苑のいくつかの意味の中で「けがれなく尊い事」と解釈したいと私は思います。
人間が何らかの尺度を持ち思索し解釈する、その「尺度」を「普遍妥当な価値」と置き換えると腑に落ちる体感が湧いてきます。
普遍妥当な価値の尺度は、人の意識と研鑽によって洗練されていくものだと解釈していますが、洗練されてゆけばゆくほど、より「単純」で「素」であるものに審美の価値を見出してゆくもので、その美しさを見出してこそ真善美としての美と云うことができるようにも思います。
宇宙の始まりから段々と自ずと形になっていったものに無駄なものはありません。自然に含まれている諸々の生命のかたちも美しいものなのです。
「美」という字を解体してみると「大きな羊」となります。貢物が美しいものの語源となると「大きな羊ほど美しい」=「価値がある」というわけで、そうなると私が解釈している「美」はかき消されてしまいます。
審美上の美は、宇宙の始まりから段々と自ずと形になっていったものに感ずる人の心の状態を示すこと、と私なりに解釈していたいものだ、と思うのです。
☆☆ ☆☆
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認識上の真、理論上の善、審美上の美。人間の理想としての普遍妥当な価値を云う。デジタル大事泉より
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この場合の「聖」は広辞苑のいくつかの意味の中で「けがれなく尊い事」と解釈したいと私は思います。
人間が何らかの尺度を持ち思索し解釈する、その「尺度」を「普遍妥当な価値」と置き換えると腑に落ちる体感が湧いてきます。
普遍妥当な価値の尺度は、人の意識と研鑽によって洗練されていくものだと解釈していますが、洗練されてゆけばゆくほど、より「単純」で「素」であるものに審美の価値を見出してゆくもので、その美しさを見出してこそ真善美としての美と云うことができるようにも思います。
宇宙の始まりから段々と自ずと形になっていったものに無駄なものはありません。自然に含まれている諸々の生命のかたちも美しいものなのです。
「美」という字を解体してみると「大きな羊」となります。貢物が美しいものの語源となると「大きな羊ほど美しい」=「価値がある」というわけで、そうなると私が解釈している「美」はかき消されてしまいます。
審美上の美は、宇宙の始まりから段々と自ずと形になっていったものに感ずる人の心の状態を示すこと、と私なりに解釈していたいものだ、と思うのです。
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