五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

東横線渋谷駅さようなら~

2013年03月15日 | 第2章 五感と体感
現在みなとみらい~横浜~渋谷を走る東横線の渋谷駅が地下となります。地下に移るだけではありません。なんと川越まで延びるのです。びっくりです。

渋谷駅の改札口に立つと、ヨーロッパの大きな駅に居る気分にもなります。阪急梅田駅も好きですが、渋谷駅の開放感もとても好きです。終着駅のホームは、何故か優雅な気分になります。

大きなトランクを持ち、出会いと別れを描くにはもってこいのプラットホーム。それは、何故か終着駅でなくては心が湧き立ちません。

何もかもコンパクトに効率よく済ませてしまう現代に、終着駅の存在は、ロマンチックな心の余裕を持たせてくれるのです。

そんな私の好きな駅が今日で無くなります。

寂しいなぁ~~と思います。

渋谷駅を降り、母に手をひかれ、渋谷の東急本店まで歩いた道玄坂の坂道の感覚は未だに残っています。通学にも通勤にもお世話になり、現在の自宅の最寄り駅も東横線です。

今日は特別な思いで東横線を慈しみながら乗車します。

渋谷駅の改札口とホームが、目に見えない本当の思い出になってしまうことに、寂寥感を感じつつ…。

本日は東急セミナーBEの「生き甲斐の心理学講座」の日です。なんやかんやと東急電鉄に縁がある私の人生に、自分の隠れた夢の実現を小さいながらも意識した朝です。

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自分を扱う

2013年03月14日 | 第2章 五感と体感
自分の傾向を自分自身がハタと気付くと、周りの反応の意味がわかったりします。

その時に、自分の傾向に居直る人もいれば、他者を批判する人もいれば、自分に自信が無くなる人がいます。

自分に居直り我を点検し変えていくことをしないのも哀しいし、周りの人を敵に回すことも哀しいし、自信喪失も哀しいことです。

自分の傾向にハタと気付いた瞬間、自分がどんなふうに生き延びてきたか、つまり自分の生育史を今一度振り返ってみると、自分の取り扱いを考える余裕が生まれてくるかもしれません。

自分を取り扱うのは、他者ではありません。取り扱うのは自分自身です。

腑に落ちた事を大切にしつつ、他者と向き合う事に感謝と満足の感情を持ちながら暮らしていきたいものです。

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基本が上手い

2013年03月13日 | 第2章 五感と体感
サッカー好きの方なら、先ほど終了したバルセロナ対ミラン戦を観戦されたことでしょう。
または、結果を気にされていたことでしょう。

ミランを応援している息子とバルサとの試合を固唾を呑んで観戦し終えたところです。
今年度のミランは、私が見ていても元気復活で、選手の美しい顔がますます美しい。。。だからこそ、敵地での試合に1点入れて欲しかった思いがあります。

残念ですが、やっぱり強いバルサを痛感しました。

実況のコメントの中で「基本が世界一上手いですねぇ~~」としみじみ語るシーンがあり、基本が世界一上手い。。。という言葉に試合後も、じわじわと反応している私です。

備わっている素養に加え、基本習得を身体に入れていく純粋さも素地の一つかもしれませんが、せめて、基本ができているかを意識化して、検討する謙遜さは、幾年経っても、経験が長くても、逆にそれだからこそ必要な心持ちなのだと思います。

自分流で事を進めていたら、いつしか本筋からずれていくこともありそうです。

基本が体得されていれば、何か突発的なことが起こっても、その基本が応用力を引き出してくれるのです。

できることに胡坐をかくと、いつか必ず大きな石が自分に落ちてくるかも。。。

基本が上手いと言われるに至ることは生涯無いと思いますが、だからこそ自分が行っているあれやこれやの基本をひたすら習得することを続けていきたいと思いました。

何のために生きているか?と問われたら、きっと、このことを答えるのが今の自分に相応しい言葉かもしれません。

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菩薩様の頬笑み

2013年03月12日 | 第2章 五感と体感
宮城県亘理郡山元町でお世話になっているデイケアホームの理事長Nさんのお宅にホームステーしたのは今年の節分の頃でした。

津波で自宅も経営しているホームも流され、職員とNさんの御主人が亡くなりました。多くの方々が津波で命を失いました。

そして、その夏にはホームを再開しました。

ホームを再開し、二度目の春です。

昨日は、山元町にもサイレンが鳴り響き、鎮魂を祈られたそうです。
私もこの時間、黙祷を捧げました。

常磐線が根こそぎ無くなり、新しい線路の位置がようやく決まったことは聞いていますが、電車が走るまでには、相当の時間を要しそうです。買い物も不便ですし、お墓に供えるお花すら気軽に用意することが出来ない状況です。

そのような中で、ホームを経営し、職員の皆さんと働き、昨年秋まで続けていた仮設住宅でのパラソル喫茶も先日第21回目を開催しました。

Nさんは、いまや私にとって宮城の母のような方です。

Nさんが今住んでいるお家の庭には、多くの石の彫刻等が設置してあります。以前住まわれていた方のご趣味だったのでしょう。ともかく楽しい気分にさせられる彫刻が庭のあちらこちらに置かれてあるのです。
その中の一つに私の背丈ぐらいの菩薩様が門を入ると直ぐに立たれています。よーく見ると、その菩薩様の頬がほんのりとピンク色をしているのです。Nさんにお聞きすると「あら、気が付きましたか^^、アイシャドーと口紅も付いているのよ。。。ふふ、可愛らしいでしょ。」と、いうお返事。あ、ピンク色にしたのはNさんのようです。お茶目な行為に、ますますNさんのことが大好きになりました。

平地が広がる明るい町、山元町は、集団移転の工事も徐々に進んでいるようです。
ホームが山側に移転すれば、もっと利用者も増えていくことでしょう。
きっと、ますます忙しく働かれてゆくNさんだと思います。

自らを明るく過ごすNさんに習い、自分の道を信じて歩いていきたいと思うのです。

頬紅つけた菩薩様の頬笑みの写真を眺めながら。

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円空展

2013年03月11日 | 第2章 五感と体感
昨日、東京国立博物館(東博)で開催されている円空展を拝見してきました。

円空の彫る仏様をまとめて見る体験は初めてです。

沢山の仏様をひとつの場所で一気に拝観することができたことで、円空の一貫した彫り具合と湧きたつ情動が、朗らかな気となって、会場が緩んだ空気を作り上げていたように思います。

朗らかな仏様のお顔が朗らかな気を漂わせ、拝観者を和ませていたようです。

昨日の展覧会で、円空が北海道で暮らしていた時期があることを知り、円空自身が出会った異文化が彼の作風を突き動かしたことも感じ取ることができました。

アラスカへと繋がる文化交流の出発点である北海道の大地の祈りと暮らしを垣間見つつ、円空に向き合う事ができたことに、アニミズムと神仏習合の融合が無理なく自然に溶け合っている円空の大きさに一層の朗らかさを覚え、久しぶりに休日を共に過ごした友人と緩んだ時間を過ごしました。

表現者円空は、普遍性を求道し続けた修行者であることと同時に現代美術作家の先駆けでもあるな、と。

東日本大震災から二年。あの日のことを思い出すと、二年前の今日のお昼に訪れた新宿御苑のベンチから仰いだ青空を思い出します。
今日一日、祈りながら過ごします。
東大寺二月堂 修二会が本日で11日目です。祈り深まり、練行衆の皆様の紙衣の衣もしっとりと馴染んでおられることでしょう。観想修道会での四旬節の祈りも人知れず深まっていることも意識しつつ、祈りの連鎖の中に加わらせて頂きます。

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二十四節気 七十二候

2013年03月10日 | 第2章 五感と体感
昨日、東北では「二十四節気 七十二候」がブームとなっている。。。と某新聞社の呟きが目に留まりました。

「ありゃりゃ、まさに私がやっていることじゃない!」と。

「人の思いは普遍的だ」と思い、嬉しく思いました。

津波で全てのものを失い、何も無いまっ平らな土地に立ち、この2年間の被災地との交流の中で私が今感じている事は、「この土地に住まう人々の身体と心と魂には、必ず風習や習慣、文化、そして季節の体感が身体に宿っていて、その宿るものが静かに蘇ってきている」ということです。

失ったものの記憶が身体に宿っていて、それを季節ごとに体感を持って思い返すことで段々と蘇ってくる時期になってきたことを山元町との関わりの中でしみじみ感じ、そのことを1月の勉強会で言語化し合う中で「生き甲斐の心理学教育」を行ったことは、私にとっても大きな学びとなりました。

身体の中に宿っている体感の記憶は、何かのきっかけが無くてはなかなか蘇りません。
そのきっかけに「二十四節気・七十二候」を利用したのです。

好きな節気
嫌いな節気
自分の誕生日の節気
お祭りの節気
風習の節気。。。

自分自身が体感していることを思い起こし、それを節気を通して言語化していくと、皆さんがまるで目の前でみているような、しかも実際にあるものとして捉えているような言語化をされていくのです。

それらの話をしていくうちに目はイキイキして、段々と陽の気が身体に取り込まれていくことが私にも見えてくるのです。

三月に入り、二十四節気では啓蟄の頃です。土に隠れていた生き物がもぞもぞと動きだす時期です。七十二候では「つちのしょううるおいおこる」から「かすみはじめてたなびく」の頃です。
春分を迎える前の春霞を情緒で捉えていくと潤いの春の体感を楽しむことができるかもしれません。

花粉や大陸から飛んでくるあれこれも気になりますが、自分の体感で春を感じることを二十四節気七十二候を通してやってみると、自分の命を改めて想うことに繋がるように思います。

生きていることの意味を見い出していくことにも繋がりそうです。


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東横線の渋谷駅ホーム

2013年03月09日 | 第2章 五感と体感
3月15日をもって、今まで慣れ親しんできた東急東横線の渋谷駅ホームが地下へ移動します。しかも、東横線が東武東上線に繋がるのです。

みなとみらい線が開通する時も桜木町までの線路が閉鎖され、時代の流れに寂びしさを感じましたが、今回は、自分の思い出が全てほんとうに過去のものとなってしまうような気持になっています。

日本では時代を経ても変わらない街の風景を期待することは難しいのかもしれません。

街の様子が変化していくことに馴れていた自分の感覚が、久しぶりに変化を否定するモードに切り替わっていることに気付き、昨日はそのような思いで、渋谷駅の改札口から三本の線路とプラットホームを見納めました。

「東横線の渋谷の駅は昔は地上二階の所にあったのよ」ということを言う日が、自分が生きている時に訪れるとは、、、。

でも、よくよく考えてみると、今の10代20代の人だって、同じ気持に駆られるわけで。。。つまり、親子ほどの年齢の差なんて、五十歩百歩かもしれない、と、にやりとするのでありました。

3月16日以降は、東横線で寝過したら川越へ行ってしまう事を心に留めて、電車にのらなくては((笑))

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生き甲斐を考える

2013年03月08日 | 第2章 五感と体感
生き甲斐を失うと、人はとたんにヘナチョコになります。

「だったら生き甲斐を作ればいいじゃん」と、簡単に言葉にしたところで、簡単にいかないのが現状だと思います。

だいたいこんな事を書いている私自身も「自分の生き甲斐って何だろう」と、思いながら日々を暮らしています。

これだ!と思うものがあっても、自分の生き甲斐に他者の否定的な感情を感じると、急に虚しい感情に襲われたりします。
そうすると自分の生き甲斐にぶれが生じたりするのです。

確定した自分の生き甲斐を頑なに押し通すことも大事なことかもしれませんが、「自分の生き甲斐とは何か?」を思索しているほうが、自由で柔軟な感じがします。

その思索をするために、必要な思索が、「自分は、何のために生きているのか?」という問いであり、さらに「自分の身体と心と魂を自分自身が大切にしているか」という問いによって自分を確認することで、自分自身が生きている意味を正面から自分自身に問う事ができるかもしれません。

「自分の生き甲斐を考えていると、考えたような人になる」というのは真実だと私は解釈しています。

修二会8日目。春の風は、日に日に暖かくなってきました。

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修二会も半ば

2013年03月07日 | 第2章 五感と体感
3月に入り、年度末の仕事や行事を重ねているうちにあっという間に一週間が経ちました。

今年で1,262回目の東大寺二月堂修二会は、今日を境に後半に入りますね。
14日まで行われる修二会を想うと祈りに包まれた平安感を得ている自分が居り、仕事が重なりながらも心に平安感を感じています。

自分でも単純だなぁ、、、とは、思うのですが、どこかで誰かが私達のために祈ってくれていることを思い、それを意識すると、心地良い信頼感が湧き出してくるのです。

一日に起こる色々な事や人間関係のあれこれは、その祈りに包まれて次第に自分の表情も朗らかになっていくのです。

11人の練行衆の僧侶に自らを委ね、あと一週間を心ゆくまで祈りを感じていこうと思います。
祈りを体感することは、私自身の人間観にも繋がってゆくのです。

馬酔木の花も咲き、松明の杉の香り漂う奈良の都に想いを馳せて、今日も世俗仕事に励みます。

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もぞもぞと啓蟄

2013年03月06日 | 第2章 五感と体感
昨日か本日か定かではありませんが、24節気の啓蟄の頃です。土の中で眠っていた生き物がもぞもぞと動きだす頃です。

昨日の腰越勉強会のお菓子は、啓蟄という名のついた和菓子を求め、皆さんと頂きました。

和菓子の形態に、「イモムシっぽい~」とか「うーーん、何だかもぞもぞ動きそう!」と、好き勝手なことを言い合いながらも動きだした春の土の気配を感じ、梅の花の先に臨む江の島は、春霞に包まれており、そんな空気の中で午後の勉強会を楽しみました。(春霞ではなく、花粉か風塵か。。。わかりませんが。。。)

鎌倉腰越の勉強会は、今年で8年目です。月に一度和やかに行っている勉強会ですが、ロケーション素晴らしいので、会場に居るだけでも一カ月の疲れが抜けてゆく感じがします。

今日は気温が高くなりそうです。

緩んだ空気で、人間も動きやすくなります。

雪国の皆様にとりましては今年は特にまだまだ待ち遠しい春かもしれませんが、寒さで固くなっている身体も、この緩るみで徐々に解れてくることでしょう。

そろそろ「春眠暁を覚えず」の時期がやってきます。ほぐれていく身体を労わりながら、冬の疲れを徐々に取り除いていきたいものです。

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楽しくやろう

2013年03月04日 | 第2章 五感と体感
天岩戸に隠れてしまったアマテラスオオミカミを何とか外に出そうと、岩戸の前で歌や踊りをして賑やかしくしていると、さすがに「なんだか楽しそう、、、何をやっているのかしら。。。」と、そっと岩戸を開けたアマテラスオオミカミ。

その時の御顔があまりにも白かったので、「おもしろい」ことを「面白い」の語源になったと聞いています。

確かに、長い間、暗闇に隠れていたので面が白いわけで、好意的に興味を持ち、嬉しい気分になったりすることが、その面白いに繋がることに、滑稽さを感じたりもします。

歌や踊りをやって楽しくしていた人々が、岩を開けたアマテラスの顔を見て「面が白い」と、思ったわけですから、見る方も見られる方もお互いにびっくりした、という解釈になるわけです。

相互で響き合わなければ、面白いとは、なかなか思えません。

これは、私の勝手な解釈なので古事記の学術的解釈ではありません。でも、この解釈は、私が私自身アマテラスを解釈するうえで大切にしている持論?です。

でも、人は、楽しそうにやっている人を見れば、なんとなく自分も楽しい気分になってくるし、楽しいものに引き寄せられるのは人の自然な感情の流れであるように思います。

眉間に皺を寄せ頑なであったり、「自分だけが正しいことをしているのだから右にならえ」という気持でやっていたら、誰も寄ってきません。

楽しくやっていれば、努力の苦しみもいと面白しですし、楽しくやっていれば、人がなんとなく近寄ってくるのです。

仕事も然り

趣味も然り

楽しい心持でやっていたいものです。

他者のためにやるのではなく、自分のための行動を自分自身が慈しむことをまずは大切にしていたいものです。

自分の行動を慈しんでいれば、自ずと他者へと還元されてゆくはずです。


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年に一度心に留める事

2013年03月02日 | 第2章 五感と体感
卒業式は、学校のアイデンティティを感じ取る絶好の機会です。
毎年卒業式に出席させて頂き、そこで改めて関わる学校のアイデンティティを見据え、再認識するのです。

解っているようでいて意識が薄れることは多々あります。人間は指差し点検が必要です。

馴れているからといって、我が道のみを邁進していると、いつしか軌道からずれている自分に気付かなくなります。

自分の心身を糺し、学校のアイデンティティを感じ取ることで、改めて自分がどんな役割なのかを再認識するというわけです。

「自分の正中線」と「自分が属する場の正中線」との気を合わすことを年に一度させていただくことで、新年度をニュートラルな心持で臨むことができるのです。

昨日は、壇上に立たれたお一人お一人の言葉が、自ずから出た身の丈に合う言葉であることを感じました。「ことのは」は言霊です。この言霊が心身にまじわり、体(たい)を通して、他者へ還元していくことを続けていくと、それは祈りとなります。
私自身もこの祈りの中で、粛々と自分の役割を遂行してゆこう。。。と、心に留めた一日でした。

よき卒業式に感謝し、新年度に向けての自分を整える時期を大切し、共に働くパートナーに感謝し、来年度も引き続き絶妙なコンビネーションで過ごしていきたいものです。

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卒業式

2013年03月01日 | 第2章 五感と体感
今日は、関わる学校の卒業式です。

卒業生の皆様、保護者の皆様、おめでとうございます。

6年間の学校生活を糧に広い社会に旅立っていく生徒さん方を見送りつつ、本日も感慨深い思いに包まれることでしょう。
そうはいっても、卒業後、事あるごとに顔を見せに来てくださる皆さんの成長ぶりを心待ちにできるのも、私の生き甲斐になっているなぁ。。。と、思います。

学校の枝垂れ梅は、きっと式が終わる時間帯には8分咲きになっているはずです。
今日の暖かさは、寒さが厳しかった冬からのお恵みのような気がしています。

ハレの日を共にお祝いできることに感謝です。

昨日の仕事で私の三学期も終了しました。
卒業式の設えの中、生徒を想い奔走される先生方の愛にもしみじみと有難く思い、この学校で仕事をさせて頂いていることに私自身にも喜びを感じています。

スタートラインに立つ皆様の幸せを心からお祈り申し上げます。

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