五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

静御前と吉野山

2013年03月17日 | 第2章 五感と体感
源頼朝の追っ手から逃れようと吉野の山に潜んだ義経と静御前。そこで義経は静御前を都に返す決断をします。
修験の吉野に入ることで生き延びた天武天皇ととうののさらら(持統天皇)を重ね合わせ、五百年あまり時を経ても変わらぬ吉野の霊性を義経も静御前も感じ、希望を持って腹を括った決断を想像すると、いとも哀しき別れにしおしおとした想いがこみ上げてきます。

昨日拝見した能は「二人静」でした。

吉野の山に入った僧が、里の女に「静御前に出会った」話を聞きます。里女が出会った女が静御前であることを疑う気持ちが出ることによって、里女に静御前が乗り移るのです。そして、想いを語ることで執念を晴らし去ってゆきます。

同じ装束を身につけ、同じ面をつけ、同じ舞いをすることが、能楽「二人静」の見どころです。

疑う気持ちがあるのなら、私はあなたに乗り移り、あなたの身体を使って私を解ってもらいます。。。という気持は、どの人にも湧き出す気持であるかもしれません。

「伝えたい相手に気持を伝えたいのに、それが叶わない思いを何としてでも伝えたいこと」を二人の舞い「合い舞い」によって表現するのです。

能の面白さは、簡潔さです。幽玄や夢幻であると同時に、表現したい事を最小限にまとめているのが能楽であると私は思っています。所作の形から読み取ることは見る側の感性に委ねられるように思います。であるから故に、素晴らしい舞台と出合いたいといつも期待を籠めるのです。自分が出来ない分、舞台に焦がれるのです。

昨日の里女に、将来の期待を籠めて、美しい謡いと舞いを観続けてゆきたいと思いました。
心から応援しています。


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