五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

五感の話 「観る」

2010年10月19日 | 第2章 五感と体感
五感のお話2

「みる」について

先日、坂本龍馬と共に近江屋で殺された中岡慎太郎の生まれ育った北川村を訪れました。岩崎弥太郎の生家がある安芸市よりも北東にある山の中にあります。

半世紀ほど前、私の父はその周辺にある三つのダムを設計しました。

その頃はダムを造り電力供給を増やすことが日本経済発展の要でした。くねくねとした山間の路を走り、山路に慣れた妹が運転し、両親が後部座席に。
母も完成したダムを見るのは初めてだったのです。45年ぶりに家族そろって訪れた高知のダムを巡るうちに、父がその頃のことを嬉しそうに語り出しました。
父の現役時代は、仕事の話なぞ聞いたことも無く、食事以外は書斎に籠り、ほとんどが単身赴任。家族であるという意識というよりも目の上のたんこぶ的存在でした。父が帰宅すると家族が硬直状態になり、家庭内の環境は思春期の姉妹にとっては良いとはいえませんでした。

妹も私も「梁奈瀬ダム」「久木ダム」「平鍋ダム」を見たことで、家族内の武装解除がほんとうの意味でできたように思うのです。頭では解っていても、父がしてきたことを見る経験は、どこか不安定な家族の礎をしっかりとさせたようにも感じました。

「抑圧」という鎧は、自分自身の気付きから解きほぐれていくものでしょうが、「事実」をみることは、どんな言い訳や説明、説得にも叶わないことなのです。
他者は、助けてはくれません。

「みる」ことは、自己のリアリティと直結します。「何をみるか?」は、人によって違うのです。

三つの連なるダムを見ながら、電力は累積するのか?と聞くと、1:1:1、つまり1×3のエネルギーをつくるとのこと。

妹と二人で「あ~あ、こうやって物理の授業を受けていたら、人生変わったのに~」とニヤニヤし合った次第です…

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