五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

迷う

2010年08月15日 | 第2章 五感と体感
今、自分が迷っているとしたら、
自分の置かれている立場を冷静にみているからでしょうか?
それとも、問題を受容できないために、別のものに置き換えようとする心が働いているからでしょうか?
それともまったく的外れなことを迷っているのでしょうか?

迷い悩む自分もしくは他人との対話は、いつもこのことに着眼しています。

これは現実吟味力のことです。

何かを決断する時、かなりの意志が働きます。

思い悩み、迷う状態が、健全な状態であるのか、それとも決断できない、受容できない何かが働いているから故の「迷い」なのか?

自分の理想と現実のギャップを点検してみることで、迷いの真相に気付くかもしれません。

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心と身体と魂

2010年08月14日 | 第2章 五感と体感
人は心と身体と魂で成っているそうです。

心と身体は先祖から受け継がれた遺伝に加え、生まれてから今日までの成育史により育まれ、経験と共に軌道修正しながら学習していきます。

魂は、病むこともなく老いることのない万物の普遍性そのもの。

人は無意識にその普遍性を柱にしているように思います。

そのために自分という心と身体がバランスを取っていくようです。

人の心と体は、一本の鋼(ハガネ)で成っているわけではありません。

自分の内に秘める多様性を楽しむには努力が必要かもしれません。

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ほんとうのこと

2010年08月13日 | 第2章 五感と体感
昨日のNHKのドキュメンタリー番組を見て、「他人に真実を伝えること」について考えさせられました。

終戦から65年。
最前線で玉砕した兵士の生還者のインタビューによる表情は、どんな言葉を使おうとも伝えきれるものではありません。言葉を絞り出す表情そのものが、人のあらゆる感情の曼荼羅を凝縮したようなものでした。

口にしてしまった後の感情をそのまま放置してしまったであろう取材者の責任は大きなものです。

ドキュメンタリーを作る側は、「制作」することが使命なのでしょうが。

ほんとうのことを口に出すことは、たぶん制作に携わったスタッフの想像以上の苦しみが伴うことを意識してほしい、と思いました。

ひとりの人間の命の重さは、たった数分のものでは表現できません。

人が体(たい)をもって醸し出した感情の曼荼羅は、裸になること以上のものであることを忘れてはならない、と心に刻ませていただきました。

…やはり、戦争はしてはいけません。

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340万年前?

2010年08月12日 | 第2章 五感と体感
アフリカ・エチオピアで340万年前に使われていた石器が見つかったそうです。

恐竜の時代から比べたら、確かに近年かもしれませんが、「何億年」という単位を聴くよりも「何百万年」という単位のほうが何故か遠いような気がします。

現生人類の起源と結びつける現代に生きる自分の脳みそが、きっと理解不能な混乱を起こしているからなのでしょう。

でも、よく考えてみると、宇宙創成があったからこそ今ここに自分が存在しているわけです。

壮大な歴史から成る自分自身は、奇跡がもたらした生物のひとコマです。

もしかしたら何億年後かに新しい知能をもった生物がいて、私たちが捨てたゴミが地層の奥深くに眠り、それがその生物たちにとって貴重な燃料資源になっているかもしれません。

夏休みの朝っぱらから、妄想に耽けるのも「夏休みならでは」ということでしょうか。

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休むことも訓練

2010年08月11日 | 第2章 五感と体感
何かに囚われていると、休むことができなくなります。
仕事のことばかりが気になり、身体は仕事をしていなくても脳みそだけが動きます。

生活というのは「締め切り」と「条件」の繰り返しです。

何時までに起きなきゃいけない
ゴミの日に忘れずにゴミを出さなくちゃいけない
ご飯は栄養を考えて食べなくてはならない
何時何分の電車に乗って会社、学校に行かなくてはならない

何らかの活動をしていれば、毎日がこんな風に過ぎていきます。

仕事での締め切り、勉強のレポート提出、家庭のあれこれ…

でも年中、締め切りに振り回されていたら、脳みそは当然オーバーヒートします。
脳みそがオーバーヒートしなくても身体症状に表れたりします。

夏真っ盛り。

「えいやっ!」という気持ちを奮い立たせて「休息宣言」しちゃおうじゃないですか。

脳みそオフ。。。2010年後半を乗り切るためには、この時期お休みすることは必要なようです。

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夏の宴

2010年08月10日 | 第2章 五感と体感
いつもは男ばかりの我が家に女子大生が3人がやってきました。
スペイン研究会でフラメンコを踊る仲良し達です。

箸がころがっても可笑しい年頃はまだまだ続いています。
反面、身を制して受験を乗り越えてきた芯の強さも窺えます。

大事な子供を東京の大学に行かせているご両親の気持ちを察すると、きっと見えない心配もおありでしょう。

でも、友達や先輩後輩、バイト先の人間関係、恋愛等、いろいろなことが起こりながらも皆こうやって逞しく自立していくんだなぁ~という思いが湧きました。

普段私は、女子中高生との関わりの中で仕事をしているわけですが、家庭と学校という狭い環境の中であるから故、思春期の葛藤は一層深まっていくようにも思います。
高校を卒業し、親との深い関わりから飛び出した大学生でも良くも悪くもしっかりと親との間で育まれたアイデンティティを引っ提げて少しばかり広い社会で生き抜いていくわけです。
自分が引っ提げる個性は、自分でしかコントロールできません。
なんでも言い合うことのできる友の存在が、自分の軌道修正を可能にしていくようにも思います。互いの観察力が互いを助けているとも云えそうです。

学生時代の友達の存在は、とても大きいものです。

5人でパエリアを頂きながら、楽しいひとときを過ごさせてもらいました。

私の学生時代も、なぜか私の居ないときにも我が家に男子達がご飯を食べに来ていました。
極貧の男子達に料理をふるまうのは母の楽しみでもあったようです。歴史は繰り返す、というわけで…
また夕飯を食べに遊びに来てね~

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二人のマリア像

2010年08月09日 | 第2章 五感と体感
スペインのゲルニカ村の無差別攻撃によって焼け残ったマリア像のお顔と、原爆によって顔だけが残された浦上天主堂のマリア像が、ゲルニカで対面した場面をテレビで拝見しました。

カトリックではマリア様は古来から信仰の対象として大切にされています。カトリックというよりもキリスト教以前の女性神からの延長として、といったほうがよいかもしれません。

無残で残酷な仕打ちにも関わらず、お顔だけが焼け爛れずに現存していることに、今生きている私たちの方向性、生き方にテーマを与えられていることを強く意識しました。

ピカソが描いたゲルニカも、衝撃的な出会いでした。モノクロの画面に描きだされる恐怖と怒りがゲルニカの現状をキュービズムという画法によって多角的に表現してています。
この画法は、ゲルニカを描くためにあったのかもしれない、と思ったほどです。

そして、今、この時代に対面した二人のマリア様が並んでいる様子を拝見し、地球に国境があることに不思議さを感じました。

人は魂と心と体で成っています。それらには国境も無く、人種の違いも無く、宗教の違いもありません。地球に住んでいる生物の一部であるヒトに過ぎないのです。

長崎・原爆の日。今年は32国から要人が参列するそうです。平和を願う「ひとりひとり
」が更に繋がっていくよう、私も「ひとり」の一人として祈ります。

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残暑的気分

2010年08月08日 | 第2章 五感と体感
立秋が過ぎ、気持の上で夏のピークを超えたたような気分になっています。

暑さは秋分の頃まで続くのでしょうが、暦の24節季に風情を感じながら自然と向き合ってみると確かにその通りのように思います。

この季節になると、仕事で何度も足を運んだ蓼科の別荘地を思い出します。八ヶ岳を望みながら山道に入るの場所に舗装されていない道がありました。2キロほど続く砂利道の脇には蕎麦畑が広がっています。道端にはアザミやワレモコウが咲き、ススキがさやさやと風になびきます。以降5,6年通う縁があり、夏の終わりを森の空気と共に過ごした経験はちょっとした私の宝物です。

現在は我が家の萩を眺めながら、奈良の都、京の都に思いを馳せるのが私の残暑の過ごし方です。

…居ながらも 居ざる想いは 萩の宮…

はい、お粗末さまでした。皆様、よき夏休みを♡♡♡

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怒っている人の対応

2010年08月07日 | 第2章 五感と体感
夏休みの季節だというのに、なんだか不快なニュースが耳に入ってきます。
新聞やテレビを見つつ、ブツブツと怒ったり、嘆いたりしているのは、どうも私だけではなさそうです。

自分に直に降りかかってくる問題であれば、心の底から感情が湧きだし、相応の問題解決に向けて邁進するのでしょうが、自分に関係なければ呟き程度の反応です。

自分に降りかかる問題で、理解不能なことが起こると怒り出す人がいます。
私も無きにしも非ずですが。。。
何故私は怒っているのかを検証するようにしたいのですが、怒りの感情が爆発している時は、そんなわけにはいきません。でも、そのまま出し切ったほうが良さそうです。じきに落ち着きます。

でも、その怒りの感情に、パターンがあるならば、何故怒るか?を自問自答してみたほうが良いかもしれません。

自分は、どんな時に「怒りの感情」になるのか。どんな言葉を掛けられるとカチンとくるのか。そうなる背景は一体何なのか?

湧きだす感情には意味があります。身近に「怒っている人」が居たら、怒りの感情を傾聴してみては如何でしょうか。傾聴しているうちにその人の本音に、本人自身がたどり着くかもしれません。人から指摘されたところで何も解決しません。自分から湧きだす感情を自分が感じ取ることが大切なのですから

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体感で覚えること

2010年08月06日 | 第2章 五感と体感
太極拳とか、茶道華道、弓道、柔道、ダンス、さまざまな楽器、それだけではなく生活における習慣等…
考えてみると、私たちは色々なことの「型」を体得しながら生活しています。

型がぎくしゃくしていると、違和感を感じます。

包丁を使えない人が、恐る恐るマナ板で魚をおろしている光景を浮かべてみると、それだけで背筋が寒くなります。

自分の所作が、正しい位置で動くようになるまで、長い修練が必要なのでしょうが、修練を積んでいくと、体が段々と覚えていき、自分のものになっていきます。

こうやって言葉で言うのは簡単なのですが、いざ、何かを体得しようとすると、そうそう上手くはいきません。

人は何故、型を覚えることに夢中になることができるのでしょう?

型を覚えることに夢中になりながら、出来ていくことに喜びを感じるのは何故でしょう?

赤ちゃんはあたりを観察して様々なことを覚えていきます。驚くほどの成長です。
きっと成長する喜びを体で覚えているのでしょう。
大人になるとその喜びを別のことで体感していきたいのかもしれません。

「成長し続ける人の特性」を体得する欲求で満たそうとしている人を見ていると、その人の生き甲斐が見えてきます。

「体感で覚える」ことを大事にしたいものです。

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風に揺られる萩

2010年08月05日 | 第2章 五感と体感
夏真っ盛り
猛暑が続いています。
しかし、今日で「暑中見舞い」はおしまいで、明日からは「残暑見舞い」ですね。

毎年ブログに登場する我が家の萩は、皆の期待に答えて今年も枝がぐんぐん伸びました。

程よい位置に植えたはずなのですが、まだまだ成長中の紅葉の木は今年も追いやられ、萩の枝に隠れています。今年は押しやられた腹いせに手で払って飛び出そうという寸前の状態、と表現したほうが相応しいかもしれません。
紅葉も少しは大きくなり、「そのうちあんたを見降ろしてやる!」という気合いが段々出てきたようにも思います。でも、どう見てもまだ負けています。

そんな紅葉の呟きなど聞くに及ばず、萩は今日も朝の風に揺られてさやさやと音を立てています。

目に浮かぶのは、萩がそよぐ鴨川沿いを歩む牛車。風景が音に乗って見えてきます。

秋の入口と夏の出口、暦は秋へと移行していきます。

夏の暑さはまだまだ続きますが、暦を意識すると多少涼やかに時を過ごすことができるかもしれません。

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信じないで見えてくるもの

2010年08月04日 | 第2章 五感と体感
「何かを信じていることを本人が意識しているならば、「信じている」
何かを信じていることを本人が意識していないならば「信じない」」
という条件下で、
「信じないで見えてくるもの」を経験している人を洞察していると、ちょっとした共通点を見出すことができます。

見えてくるものに本質を見出しているように一見見えるのですが、自分の不安感を表層的に癒すことでその場を凌いでいるのです。

信じることに不安を感じているケースも多いかもしれません。

「何を信じる」かは人によって様々です。

「信じること」に違和感を感じた場合、そこから湧きだす不安感は何なんでしょう?

自分を成り立たせているもの、つまり人の成り立ちが宇宙創成のころから繋がっていることを意識してみると、自分の不安感が軽減するかもしれません。

真夏の思索は、そんなところから始めたいと思います。

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言語伝達

2010年08月02日 | 第2章 五感と体感
本当に言いたい事を、言いたい人に言っているだろうか?

親子だからこそ言えないこと。。。

向き合う視点がずれていくと、どんどんずれていきます。

態度で示しても、それは伝達にはなりにくい場合が多いように思います。

言葉で確かめ合うことが必要だと思っているのでしたら、ぜひ、夏休み中に、勇気を出してみると良いかもしれません。

言語伝達はとても大事なことです。

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身を置く場所

2010年08月01日 | 第2章 五感と体感
自分という持ち物「体と心」は変えようがありませんが、自分の起き場所を変えてみると、自分の内から違ったものが見えてきます。

不安感が大きくモヤモヤし、不安の種が水にふやけたよう掴めない状態だと身を置く場所を変えることも不安要因の一つになるかもしれませんが、「えいやっ!」という決意もいつかは必要です。

自分ができる小さな決意が流れを変えていくキッカケになるように思います。

身を置く場所は、自分でいくらでも変えられます。

他人は自分を変えてはくれません。

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