五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

当たり前だと思う事

2013年11月01日 | 第2章 五感と体感
先日、熊野古道中辺路の山の峠に住む90過ぎたおばあちゃんが熊野古道特集の番組に出ていました。
生まれて育ったのもこの隣の家で、嫁ぎ先はここ。つまり90年間山々が連なる風景を見渡す峠に住み続けていらっしゃいます。修行者や登山者のために峠の茶屋を農家をしながら営んできたそうです。
人生の岐路を真面目に考えていらっしゃる俳優の佐野史郎さんが、おばあちゃんと会話する内容がなんとも引きこまれるものでした。
互いに多くを語らず、「山を降りようと思った事はないか?」という質問におばあちゃんは「この暮しは当たり前だ」と一言。どんなにお経を読んだって出てこない言葉だな、と思いました。おばあちゃんの表情にはまったく猜疑を感じません。長年日に当たって畑に出ていたことが解る健康的な肌のつやに深く刻まれた皺がとても美しく印象的でした。

自分の今の暮らしにほんとうに猜疑の心がないことは、今の世の中では奇跡に近いかもしれません。

「理想と現実のギャップが不安感を生む」と言われると、ついつい「理想」という言葉が「大きな夢とか壮大な自己実現」と捉えてしまいがちです。

この場合の理想とは、勿論言葉通りの理想も含まれますが、自分に既に根付いている「当たり前だと感じていること」や「成育史上育まれてきた考え方」自体が既に理想、つまり「せねばならない」「こうありたい」なのです。

「当たり前」という言葉は、第三者にとっては当たり前ではありません。

自分が当たり前だと風習、習慣、戒律にしても、他の場所に行けば、常識に外れた行為かもしれませんし、信じられない考え方と捉えられるかもしれません。

幼い頃の育ちも人それぞれです。

そして、段々と自分と他者の違いが見えてくる時期がやってきます。

良くも悪くも見えてきたとしたら、「自分は自分である」ことへの目覚めだと思っても良いかもしれません。

親が何を言おうと、先生が何を言おうと、友達が何を言おうと、自分は自分なのです。

その自分をどう取り扱うかを自分の内から答えを見い出すことができたら、きっと一人で充分に生きていくことができるでしょう。

自分が当たり前だと思っていること。やるべきことが自分の義務だと思っていることを今一度検証し直してみると、視界が広がるきっかけが訪れるきっかけを得るかもしれません。

「囚われていることが自分を苦しめている」という予感がしたら、ちょっと窓を開いて外の風景を眺めてみては如何でしょうか。。。熊野の山々が見えるかもしれないし、日に輝く海がみえるやもしれませぬ。。。

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