Mr.コンティのRising JAPAN

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ドイツ帝国の危機?

2006-03-10 | EURO Football
 
Das Dritte Reich 直訳すれが第三帝国。これは悪名高いヒットラー統治下時代のドイツ時代の事をこう呼ぶ。当時ドイツで発行された切手を見ると “ Das Dritte Reich “ と印刷されている。戦後のドイツの復興の精神的支えとなったのは1954年ワールドカップスイス大会、決勝でマジックマジャール、ハンガリーを逆転で降して世界王者になった事だ。試合終了の瞬間のラジオ中継のアナウンサーが “ Aus! Aus! Aus! Das Spiel ist Aus ! Deuschland ist Weltmeister ( 終了! 終了! 終了! 試合終了!!ドイツは世界王者に !! ) と叫んだのはドイツでは有名だ。当時1次リーグでもハンガリーと当りそこでは 3-8で大敗しながら決勝戦で 3-2と勝利を収め、奇蹟の優勝と紹介する日本のマスコミもいるが、これは部分的には正しくない。当時の試合形式は特異で1次リーグは4カ国が集まったが総当りでなく、上位シード国と下位シード国の2カ国ずつがそれぞれ対戦し各国2試合の勝敗で上位2カ国が準々決勝に進出するというフォーマットであった。そして得失点は関係なく勝数で並べばプレーオフで勝者を決めた。例えばドイツが所属したGroup 2 は ハンガリー、トルコが上位シード、韓国、ドイツが下位シード国。当時のドイツ代表ヘルベルガー監督は格下トルコがシードされた事を活用。初戦のトルコ戦に 7-2 と大勝すると次戦のハンガリー戦は主将のフリッツ=バルターこそ起用したがレギュラー7人を休ませる布陣。国境を越えてスイスにまできたドイツサポーターからは非難のブーイングが飛ぶ中ハンガリーに3-8 で完敗。しかし続く韓国を 9-0と一蹴したトルコとのプレーオフにはベストメンバーで楽々 4-1 と快勝し準々決勝に。しかも準々決勝は各組1位の国同士、2位の組み同士でゾーンが分かれて折り、ドイツは決勝まで比較的楽なユーゴ、オーストリアとの戦いを経ての決勝進出であった。一方のハンガリーはブラジル、ウルグアイといった当時の列強との戦いを経ねばならなかった。また1次リーグのドイツ戦でエース、プスカシュがくるぶしを痛めて決勝戦までプレー出来なかった。 この優勝を含めて、ドイツはワールドカップ優勝3回、準優勝4回。欧州選手権優勝3回、準優勝2回と欧州では最高の成績を誇る。確かにこの背景には幸運もあった。1974年地元ワールドカップでは1次リーグ、注目の東西ドイツ対決に 0-1 で敗れたがこれにより2次リーグではオランダ、ブラジルとの対戦が避けられた。1982年スペイン大会では初戦のアルジェリアにまさかの敗北を喫したが第三戦で同じドイツ語を母国語とするオーストリアとの出来試合によって2次リーグに進出、そして決勝にたどり着いた。また前回のワールドカップ決勝戦までの対戦相手を思い出して欲しい。サウジアラビア、アイルランド、カメルーン、パラグアイ、アメリカ、韓国。列強と呼ぶにはふさわしい国があったかどうか?決勝戦がワールドカップ史上初めてブラジルとの対戦と言う事実がその幸運を物語る。このドイツが地元ワールドカップを3ヵ月後に控えて苦しんでいる。3月1日、フィレンツェのイタリア戦はジラルディーニョ、トニーのFWにいいようにしてやられ、ポドルスキー、クローゼ、バラックの攻撃陣はネスタ、カンナバーロの前に仕事が出来ず。 4-1 と歴史的な完敗。今週行なわれた Champions League でもブレーメンはユーベの前に競り負け、期待のバイエルンはサンシーロで AC Milan のインザーギの自信付けさせられ役に。これにはビエリとトッティ以外のイタリア人が大喜びしているに違いない。また、昨日行なわれた UEFA CUP 。HSV Hamburg はブカレストで Rapid に終了2分前に連続失点を食らい 2-0 と先行された。高原が71分までプレーしたのが救いか?私が当地に駐在時代の1994年も UEFA CUP でアイントラハトフランクフルトが Rapid に敗れたが続くホームでの勝利で逆転をした。そして Schalke04は Champions League のグループリーグでAC Milan に敗れて3位に終わり UEFA CUP に回ったがここでもイタリアの Palermo に 1-0 と敗れるスタートに。イタリア、ドイツをそれぞれ代表するクラブ AC Milan と バイエルンミュンヘンは過去6試合 Champions League, Champions Cup で直接対戦したが 89-90年シーズンのChampions Cupの準決勝のセカンドレグ、ミュンヘンで延長戦の末 2-1と勝利した以外白星はなく、シーズンでさえファーストレグをサンシーロで 1-0 で勝利を収めたミランが決勝に進み、連覇を達成している。当時インテルにはくリンスマン、ブレーメ、ローター=マテウスのドイツ3人衆がいたが、彼らが控えに回りドイツに帰国していった事は私でもショックだった。ドイツのクラブチームが大舞台でセイリエAのチームを破ったのは 96-97Champions League決勝戦でユーベントスをアンドレアス=メラー擁するボルシア=ドルトムントが破ったことくらいしか記憶に出てこない。それだけ選手個々のレベルに今でも更に格差が出ているのだろうか?だがそれだけではないと思う。ドイツ代表監督はスイス大会のヘルベルガー監督、イングラント大会~ドイツ大会のシェーン監督、スペイン大会のデアバル監督そしてベッケンバウアー監督と非常にシャープでインテリジェンスに富んだ監督が多かったのではないか?フェラー、クリンスマン。歴代の監督より劣るとは言いたくないが、元バイエルン、ドルトムントの監督ヒッツフェルト等他にも候補者はいたであろう。7月にワールドカップを頭上に持ち上げているのがドイツでなければ….. 想像はしたくないがドイツが優勝するという観測も希望的なのかな??