じつは滋賀県ちゃんと行ったことあるのは比叡山の延暦寺くらいで、山から琵琶湖を見下ろしたり、
湖西線や北陸本線の列車の窓から琵琶湖を眺めて溜息はついても、平地を歩き回ったことがない。
そこで生きているうちに滋賀をほっつき歩こうと思ったわけ。
ひこにゃん、ひこにゃん、ひこにゃん、にゃん♪
京都から近いのは知っていた。新幹線ひかり号の停まる米原で、北陸本線しらさぎ号に乗り換えた
ことは何度もある。そのとき米原の駅前を見渡すと、食事するにも宿泊するにも心細い感じだから、
玄関口がこれじゃあ滋賀を歩くのは難儀そうだと思ってたんだけど……各駅停車ですぐ隣の彦根駅
に降りてみると、なんだ飲食店もホテルもあるじゃん。……ホッ!
彦根駅から見た彦根城
あいにく雨が降っているけど、彦根なら泊まるところがあるから(安土とかにはないかもしれない)
ひこにゃんのいる彦根城でもひやかして一夜の宿をとることにすべし。
駅前でビニール傘を買って城まで歩く
お堀(内堀の外の中堀)の外に「埋木舎」という、ひねくれた名の屋敷がある。桜田門外の変で惨殺
された幕府の大老、井伊直弼がまだ世に出る前、ごくつぶしとして蟄居していた住まい。
堀の角の向かい側に「埋木舎」とやらがある
彦根藩の11代藩主の十四男に生まれて、とてもじゃないけど藩主の座につけるはずもなかった直弼は、
兄の直亮が12代藩主になると御殿を追い出されて、埋木舎に15年も蟄居したんだってさ。
こちらがその埋木舎とやらの門
蟄居というわりに立派な屋敷じゃないかと思うのは、うさぎ小屋に住み慣れた日本人の目で見るから
なのかな。当時はこれで、わび住まいだったの? (ちなみに三百石もらってたそう)
これが埋木舎の屋敷で……中に入ると立派な駕籠とか置いてある
十四男といっても何不自由ない暮らしをしてるように見えるが、本人は不遇をかこってたのだろうか。
世の中をよそに見つつも埋木の 埋もれてをらむ心なき身は
なんて歌が残ってるくらいだから、それはもう不遇かこちまくったパンク青年だったにちがいない。
「No Futureでござる」 「左様しからばご尤も」
ところが36歳のとき、13人もいる兄がコロコロ死んだり、養子に出たりしていて、直弼に藩主の座が
回ってくる。ペリーが浦賀にやってきたりして大変な時期に、幕府の大老になって開国しちゃったり、
安政の大獄で強権ふるったりして、桜田門外の変で斬られちゃった。
埋もれていれば斬られずに生きられたものを
おかげで彦根藩は25万石に削られて、そのまま明治維新を迎えちゃった。そういう事情を知ってみると、
ひこにゃんの中には井伊直弼が入ってる感じがしてくる。
埋木舎をあとにして、ひこにゃんが舞う彦根城へ
初代藩主の井伊直政は、関ヶ原の戦いで東軍の先鋒としての武功を家康に認められ、石田三成の
佐和山城(すぐ近く)をそっくりもらって18万石の大名になった。大阪冬の陣で、子の直孝の働きが
認められて30万石に加増。だから、25万石に減らされるのは微妙といえば微妙。
中堀の内側をクルマがビュンビュン通行する
佐和山城を徹底的にこわして、利用できるものをすべて利用してつくられたのが彦根城なのだそうで、
石垣も全部ひっぺがしたから佐和山城の跡には石が二つしか残ってない。他にも天守閣は大津城の、
西の丸の三層櫓は小谷城の、天秤櫓は長浜城のを移築したとか。いくさの世が終わって、あちこちの
城から「いいとこ取り」して普請したのが彦根城なのね。
秀吉の居城だった長浜城から移築した天秤櫓
天秤櫓の手前の橋は非常時に落とせる仕掛け
大津城から移築してきた天守閣は国宝の扱い
姫路城、松本城、犬山城と並ぶ、四大国宝天守閣なんだって。西国から幕府を守る主要な城として位置づけられて、
江戸城、名古屋城のように天下普請(大名に命じて築かせる)されたとは知らなかった。家康の意向で、井伊家は
甲斐の武田の象徴だった「赤備え」の武具をまとって、いつも先陣を任されたという話。だからなのか、ひこにゃんの
兜が赤いのは!
これが赤備えの武具
ひこにゃんが兜だけかぶって、あと丸腰なのは天下泰平ってことか? うっ、ぶるぶる、雨に濡れてカラダが冷えた。
歩き回るのこれぐらいにして宿をとろう。お城の前に、彦根キャッスルホテルというのがある。聞いてみたら泊まれる
っていうからチェックイン。
みやげ物やさんを併設している観光ホテル
ホテルの窓から撮った彦根城
たまには朝ごはんの写真でも
翌朝ちょっと天気よくなったので、チェックアウトして城のまわりを歩いてみる。昔の街並みを保存した通りに
宗安寺というお寺があって、気になったので寄ってみる。
お寺の門は、佐和山城の表門だったものを移築してきたと書いてある
城だけじゃなくて、寺も寄せ集めて普請してある。本堂は長浜城の御殿を持ってきて使っていたが、いまはもう
建て替えられて、鬼瓦だけ残っていた。
これがその長浜城の鬼瓦
夢京橋キャッスルストリートに面してる
そこから城のほうに戻り、城を突っ切って玄宮園という大名庭園に行ってみる。天守閣を見上げるかたちになる。
ここらでビアガーデンでもやって、ひこにゃんが行ったり来たりすればウケそうだと思った。
湖西線や北陸本線の列車の窓から琵琶湖を眺めて溜息はついても、平地を歩き回ったことがない。
そこで生きているうちに滋賀をほっつき歩こうと思ったわけ。
ひこにゃん、ひこにゃん、ひこにゃん、にゃん♪
京都から近いのは知っていた。新幹線ひかり号の停まる米原で、北陸本線しらさぎ号に乗り換えた
ことは何度もある。そのとき米原の駅前を見渡すと、食事するにも宿泊するにも心細い感じだから、
玄関口がこれじゃあ滋賀を歩くのは難儀そうだと思ってたんだけど……各駅停車ですぐ隣の彦根駅
に降りてみると、なんだ飲食店もホテルもあるじゃん。……ホッ!
彦根駅から見た彦根城
あいにく雨が降っているけど、彦根なら泊まるところがあるから(安土とかにはないかもしれない)
ひこにゃんのいる彦根城でもひやかして一夜の宿をとることにすべし。
駅前でビニール傘を買って城まで歩く
お堀(内堀の外の中堀)の外に「埋木舎」という、ひねくれた名の屋敷がある。桜田門外の変で惨殺
された幕府の大老、井伊直弼がまだ世に出る前、ごくつぶしとして蟄居していた住まい。
堀の角の向かい側に「埋木舎」とやらがある
彦根藩の11代藩主の十四男に生まれて、とてもじゃないけど藩主の座につけるはずもなかった直弼は、
兄の直亮が12代藩主になると御殿を追い出されて、埋木舎に15年も蟄居したんだってさ。
こちらがその埋木舎とやらの門
蟄居というわりに立派な屋敷じゃないかと思うのは、うさぎ小屋に住み慣れた日本人の目で見るから
なのかな。当時はこれで、わび住まいだったの? (ちなみに三百石もらってたそう)
これが埋木舎の屋敷で……中に入ると立派な駕籠とか置いてある
十四男といっても何不自由ない暮らしをしてるように見えるが、本人は不遇をかこってたのだろうか。
世の中をよそに見つつも埋木の 埋もれてをらむ心なき身は
なんて歌が残ってるくらいだから、それはもう不遇かこちまくったパンク青年だったにちがいない。
「No Futureでござる」 「左様しからばご尤も」
ところが36歳のとき、13人もいる兄がコロコロ死んだり、養子に出たりしていて、直弼に藩主の座が
回ってくる。ペリーが浦賀にやってきたりして大変な時期に、幕府の大老になって開国しちゃったり、
安政の大獄で強権ふるったりして、桜田門外の変で斬られちゃった。
埋もれていれば斬られずに生きられたものを
おかげで彦根藩は25万石に削られて、そのまま明治維新を迎えちゃった。そういう事情を知ってみると、
ひこにゃんの中には井伊直弼が入ってる感じがしてくる。
埋木舎をあとにして、ひこにゃんが舞う彦根城へ
初代藩主の井伊直政は、関ヶ原の戦いで東軍の先鋒としての武功を家康に認められ、石田三成の
佐和山城(すぐ近く)をそっくりもらって18万石の大名になった。大阪冬の陣で、子の直孝の働きが
認められて30万石に加増。だから、25万石に減らされるのは微妙といえば微妙。
中堀の内側をクルマがビュンビュン通行する
佐和山城を徹底的にこわして、利用できるものをすべて利用してつくられたのが彦根城なのだそうで、
石垣も全部ひっぺがしたから佐和山城の跡には石が二つしか残ってない。他にも天守閣は大津城の、
西の丸の三層櫓は小谷城の、天秤櫓は長浜城のを移築したとか。いくさの世が終わって、あちこちの
城から「いいとこ取り」して普請したのが彦根城なのね。
秀吉の居城だった長浜城から移築した天秤櫓
天秤櫓の手前の橋は非常時に落とせる仕掛け
大津城から移築してきた天守閣は国宝の扱い
姫路城、松本城、犬山城と並ぶ、四大国宝天守閣なんだって。西国から幕府を守る主要な城として位置づけられて、
江戸城、名古屋城のように天下普請(大名に命じて築かせる)されたとは知らなかった。家康の意向で、井伊家は
甲斐の武田の象徴だった「赤備え」の武具をまとって、いつも先陣を任されたという話。だからなのか、ひこにゃんの
兜が赤いのは!
これが赤備えの武具
ひこにゃんが兜だけかぶって、あと丸腰なのは天下泰平ってことか? うっ、ぶるぶる、雨に濡れてカラダが冷えた。
歩き回るのこれぐらいにして宿をとろう。お城の前に、彦根キャッスルホテルというのがある。聞いてみたら泊まれる
っていうからチェックイン。
みやげ物やさんを併設している観光ホテル
ホテルの窓から撮った彦根城
たまには朝ごはんの写真でも
翌朝ちょっと天気よくなったので、チェックアウトして城のまわりを歩いてみる。昔の街並みを保存した通りに
宗安寺というお寺があって、気になったので寄ってみる。
お寺の門は、佐和山城の表門だったものを移築してきたと書いてある
城だけじゃなくて、寺も寄せ集めて普請してある。本堂は長浜城の御殿を持ってきて使っていたが、いまはもう
建て替えられて、鬼瓦だけ残っていた。
これがその長浜城の鬼瓦
夢京橋キャッスルストリートに面してる
そこから城のほうに戻り、城を突っ切って玄宮園という大名庭園に行ってみる。天守閣を見上げるかたちになる。
ここらでビアガーデンでもやって、ひこにゃんが行ったり来たりすればウケそうだと思った。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます