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近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

妙義龍が“つまらん横綱”白鵬を破る!

2013年01月16日 | 相撲の話し
妙義龍!白鵬に完勝でした。

白鵬は、またも張り差し、妙義龍にはまったく効果なし。

これで、相撲協会も観客も、そして、白鵬嫌いの私も大喜び!思わず画面に向かってガッツポーズでした。

横綱として、人気が“とてつもなく無い”白鵬が、勝っても、白鵬が連勝記録を更新しても、白鵬が優勝しても、“興行”としての大相撲には、何の意味もないのです。

白鵬は、“つまらん!横綱”です! “ベビーフェイス”を装う、“腹黒いヒール”です。朝青龍は“明るく、楽しい、判り易いヒール”でした。

ここまで書くと、白鵬のどこが?ヒールなのか?との、疑問の声が聞こえますので、一番判り易い例を一つ。

以前にも書きましたが、兎に角、兎に角、汚いヤツなので、それは、立ち会い前に、身体の汗を拭わないのです。白鵬は汗かきで、そのことを利用しているのです。

対戦相手は汗を嫌がっているのです。手が滑るのです、チカラが入らないのです、臭いのです。でも、でも、反則では無いのです。

以前に一度、審判部が部屋の親方を通じて注意したそうですが、その直後は、それとなくタオルで、少しだけ拭ったようなポーズで誤魔化し、やり過ごし、今も変わらず“汗かき作戦”は継続中です。

横綱が、そんな事でいいのか? そんなヤツが双葉山を目標にしている何て、公言しているのです。

確かに、双葉山の取り口を真似していた時期もありました。

先ずは受けて立ち、相手に相撲を取らせてやり、その後、おまえの相撲はそれでお終いか?それでは、では、では、と、おもむろに本領を発揮し勝ってしまうのです。これが“横綱相撲”です。

でも、白鵬の横綱相撲は一時だけでした。直ぐに、一方的で、速攻で、圧倒で、勝つ取り口になったのです。受けて立つ余裕は無くなったのです。

でも、でも、それでも、世間は横綱の圧倒的な強さとして“賞賛”したのです。圧倒的に強ければ、そんな取り口にはなりません。

そして、最近は、立ち会いの速さが落て、それをカバーするために、張り差しを使うようになったのです。

心も、チカラも、技も、かなり、かなり、落ちて、それでも、勝つためには、反則でなければ、禁じ手でなければ、何でもありの「横綱相撲」なのです。

ここまで云ってきて、何ですが、やはり、“大相撲”は“興行”なのです。踊り、お芝居、映画、演劇、寄席・・・・・・等々、芸能の側面を持つのです。

ですから、いろいろと、それなりの“演出”が必要なのです。

戦前、大相撲の興行には国からの興行鑑札が必要で、その鑑札に“裸手踊り”となっていた?ような事を、以前、聞いたことがあります。

そんな事で、戦後、相撲協会は、国技”だとか、“神事”だとか、いろいろと“きれい事”を前面に掲げ、大相撲の地位向上を図ったのです。

でも、しかし、この“きれい事作戦”が行き過ぎて、興行的、芸能的側面を、表立って云い辛い環境を作ってしまったのです。自分で自分の首を絞めたのです。

そんなきれい事を、真に受けたのか?商売のネタと思ったのか?週刊誌が、“八百長”ネタで大相撲を叩きました。まあ、世の中、正義をかたり不正を声高に叫ぶ輩は、かなり、あぶない連中なのです。

“八百長問題”以降、大相撲は“つまらなく”なり、つまらないヤツが横綱の地位に長く居るのです。

でも、ホント、稀勢の里! 琴奨菊! なんとかしろ!!! 

それで、興行です、芸能です、それなりの“演出”は必要です、でも、しかし、無気力相撲の横行は、これもまた、つまらないのです。

この演出の“塩加減”がムズカシイのです、微妙なのです、ですから、興行であり、芸能なので、文化なのです。

大相撲は、それなりに高度な演出と、高度な技と、高度な肉体と、高度な知恵で成り立っている、日本の伝統文化なのです。

兎に角、白鵬を圧倒した妙義龍はイイ!!!

でも、ホントは、一番、期待しているのは隣町牛久の“稀勢の里”なのですが、ホントに進歩が無い!

そろそろ、同じ部屋で、これも隣町土浦の“高安”に乗り換えるか?


それでは、また。



コメント (1)
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