歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

⑭ 青山通りで“サンマの塩焼き定食”は930円です

2011年11月16日 | 東京の風景
一昨日の続きです。

首相官邸を後に、外堀通りの横断歩道を渡りまして、青山通りに入ります。

通りの上は高速道路の高架で覆われ、とても、とても、視界が悪く鬱陶しいのです。このあたりが、かの渋滞情報で良く耳にする、“谷町ジャンクション”なのです。

それにしても、質屋“セキネ”ですが、いつか、何処かで、耳にした、目にした、何とも懐かしい名前です。こんな処で出会うとは奇遇です。


青山通りでは、“サンマの塩焼き定食”が、ナント!ナント!もひとつオマケに、ナント!930円もするのでした。どんなお店で、どんな器で、どんなサンマが、どんな盛られ方で、テーブルにお出ましになるのでしょうか。

店の賃貸料も、店内の装飾も、調度も、板前の腕も、みんな、みんな、超一流なのでしょう。青山通りの、そういうお店で、サンマの塩焼き定食を食する客も、それなりに一流の方達なのでしょう。

秋刀魚でこれですから、“鰤の照り焼き”とか、私の好きな“鰆の西京焼き”の定食だと、目の玉が飛び出る価格になるかも。

そうでした。“サンマの塩焼き定食”で思い出しました。とある場末の定食屋さんで、50前後のサラリーマンの3人連れの一人が、サンマ定食を食べながら、“ウチの子供達は、サンマの喰い方が下手で、もう、汚らしく食い散らかす”と嘆いていたのです。

食事を終わった私は、その3人連れのテーブルの脇を通り過ぎるとき、嘆いていた親爺の皿を覗くと、何とも“汚ねえ”食い散らかし方に驚いた記憶があります。子供が子供なら、親も親なのでした。

と、云う、私ですから、“サンマの喰い方”には自信があるのです、超一流なのです。骨には身の欠片ひとつ、皮の欠片ひとつ、残さず、骨格標本になるような、美しくも、見事な骨だけが、皿の中央に横たわるのです。

そして、この骨に、熱いお湯をかけ、骨湯でいただけば、もう、猫も振り向かない、跨いで通るほど、全てを食べ尽くし、しゃぶり尽くし、骨の髄まで味わい尽くしてしまうのです。

まあ、骨湯までは滅多にやりませんが、ホントに綺麗に食べるのです。これは、自らの命を投げ出し、私の命になってくれた、サンマへの感謝の気持ちの現れなのです。

何て、きれい事を述べましたが、ホントは、兎に角、サンマが旨いと云うことで、結果として、綺麗に食べてしまうのでした。でも、しかし、食べ終わり満腹になると、サンマの良い匂いが、嫌な臭いに変化するのです。

魚を料理した後、調理器具とか、皿とか、室内に漂う臭いとか、こんな処が、魚離れの原因だと思うのです。豚、牛、鶏、等には起こらない現象です。牛ステーキを食べ終わって満腹になっても、イイ“匂い”は悪い“臭い”に変化しません。

これって、やっぱり、ホントの魚好きではないから?

終着点に近づき、14回目で終わりそうなので、15回目で終わるように、本日は、サンマの話しで1回分引き延ばしたのです。

何となく、“じゅうし”で終わるのは縁起が悪そうなので、次回15回目で終了させる魂胆なのです。

自転車の変速機は6段あるのですが、4段目は使わないのです。段々、歳をとると、そんな気持ちになってくるのでした。

どこの病院にも、四号室は無かったような気がします。入院した部屋が四号室では、助かる人も助からない気がして来るのです。何たって、人間、気分、気持ち、考え方、次第で身体の具合も変わるのです。

景気も気分次第です、金のない人は借金をして、金のある人は貯金を下ろして、みんなが明るく元気に使い捲れば、景気は必ず良くなります。

話しが、あっちに行ったり、こっちに行ったり、サンマに行ったり、景気話しに行ったり、今日は、いつもよりも、かなり、かなり、とっちらかってお終いです。

次回15回目で、都心シリーズは終わる予定です。

それでは、次回。


コメント
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