歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

⑥ いろいろあった迎賓館

2011年10月24日 | 東京の風景
19日から“ちょっこし”休憩していましたが、赤坂御用地から学習院初等科の前を通り、迎賓館を目指して歩いています。

初等科正門前です。前日、運動会での元気な様子がニュースで流れていました。孫より一年上で、うちの孫にも“愛”の文字が入っているのです。


初等科の前を右に折れると、そこは、もう、迎賓館。


ここで、迎賓館について、少しお勉強です。

1909年(明治42年)に、東宮御所として元紀州藩の屋敷跡に建設されました。しかし、外観があまりにも華美過ぎたこと、住居としての使い勝手が必ずしも良くなかったことで当時の皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)がこの御所を使用することはほとんどなかったそうです。

嘉仁親王が天皇に即位した後は離宮として扱われることとなり、その名称も赤坂離宮と改められました。

昭和天皇が皇太子の頃の数年間、赤坂離宮は再び東宮御所としてこの一家の住居となったのですが、裕仁親王が天皇に即位した後は離宮として使用されることはあまりなかったそうです。


第二次世界大戦後、赤坂離宮の敷地や建物は皇室から国に移管され、国立国会図書館とか、法務庁とか、裁判官弾劾裁判所とか、内閣憲法調査会とか、東京オリンピック組織委員会とか、いろいろな組織が同居しながら、しばらく使われていたようです。


その後、白金台の迎賓館(旧朝香宮邸・現在は東京都庭園美術館)が手狭なので、赤坂離宮を迎賓館とする決定が1962年(昭和37年)に当時の池田内閣で決められたそうです。

現在の迎賓館は1974年(昭和49年)に、108億円をかけて完成したそうです。新装開店後の最初のお客様は、アメリカ合衆国大統領として初来日したジェラルド・フォードさんだったそうです


2009年(平成21年)に、旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)として国宝に指定されたのです。明治以降の文化財としては初の国宝だそうです。


迎賓館も、明治からここまで、いろいろとあったようです。建物内部の参観は年一回、事前の公募で行われているようで、応募しても毎回抽選で、そう簡単には観られないみたいです。


迎賓館から四谷方面の眺め。


前の公園でモデルさんを使って撮影会をやっていました。


全景はこんな感じです。撮影は光線の関係を考えると、夕方が良さそうです。


お客様はお泊まりしていないのですが、一応、パトカーが警戒にあたっているようです。後ろの車両も警備関係なのでしょう。パトカーの後ろで堂々と駐車違反をする方は居ませんからね。


鉄索越しの迎賓館を後に、正門を通りすぎ、突き当たりを右に折れ、赤坂見附を目指します。


高層ホテルが見えて来ました。


この辺りを歩いたのです。


それでは、また次回。


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