歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

⑦ 赤坂見附で回転展望台に想いを馳せる

2011年10月26日 | 東京の風景
一昨日の続きです。

迎賓館の脇を赤坂見附に向かって、歩いていると云うか、坂を下っていると云うか、兎に角、今回のコースは、登ったり下ったり、下ったり登ったりの、アップダウンに富んだ、脚を鍛えるには最適なコースなのです。

それで、目指す“赤坂見附”なのですが、何故に赤坂と云うのか? 調べて見ました。
むかし、むかし、迎賓館の辺りは、赤根山と呼ばれ、その“赤”根山へ登る“坂”があった所から、この辺りの地名が“赤坂”となったそうです。

それでは、見附とは何ぞや?
それはです。街道の分岐点など交通の要所に置かれた“見張り所”のことを“見附”云うそうです。

先ずは、軽い“うんちく”でした。

それと、赤坂見附の直ぐ先には“四谷見附”もあります。ここらは、坂も多くあるところですが、見張り所も多いところなのです。むかしは丘陵地帯だったのです。


こちらは迎賓館の“東門”です。和風別館への入り口のようです。正門と比べると、地味で、ひっそりで、あまり使われている形跡がありません。東門と云うよりも裏門の趣。


鹿鳴館から迎賓館で、アジアの国で、西洋風の宮殿で、歓迎晩餐会はフランス料理で、これでは、ちょっとまずい!と思い、純和風での“おもてなし”をと、1974年に別館が建てられたようです。

1974年と云うことは、いまから37年ほど前ですから、つい最近なのです。この門もそのころ新設されたの? それとも、迎賓館は紀州藩の屋敷跡に建てられたのだから、その名残りの門?


瓦には菊の紋章。


監視カメラです。もしかして、わたくし、赤坂御用地から、迎賓館の周囲を、怪しく歩き周り、辺りに向かってカメラでパチパチ撮影しているので、不審者として、ずっと監視されていたりして? それではと、カメラに向かって“ニッコリ笑ってピースサイン”を送ったのでした。余計にヤバイ?


左手にはホテルニューオータニです。あちらは“旧伏見宮邸”の跡地そうです。


こちらのホテルは、1964年東京オリンピックの開催にあたって、1日約3万人の海外宿泊客が予想され、オリンピック委員会と政府の要請で、大谷重工業社長の大谷米太郎が建てたそうです。

業界違いの“鉄鋼メーカー”が何故? 畑違いのホテル業界に?なのですが、まあ、いろいろあったのでしょう。

東京オリンピックは、私が中学1年の時でした。各学校に観戦の割り当てがあり、私は駒沢公園でサッカーの試合を観ました。そのころサッカーは観たことも、やったことも無く、何だか、よく分からない観戦でした。

そのころ日本で初めて高層ホテルとして、ニューオータニが騒がれたことを、うっすら覚えています。てっぺんの回転展望台は、何と、あの、戦艦大和の砲台の回転技術が使われているのです。

その後、わたくしは社会に出て“回転展望台の建設”に関わっていた時期があり、回転展望台には、それなりの思い入れがあるのです。わたくしが関わった、新宿の“ワシントン会館”の回転展望台も、王子飛鳥山公園の回転展望台も、現在は取り壊され、影も形もありません。

それで、こちらもニューオータニ。


そして、下って来た坂は、“紀伊国坂”でした。紀伊国坂と書いて“キノクニ坂”紀州藩上屋敷があったことから付いたそうです。赤根山に登る坂で赤坂、紀州藩屋敷脇で紀伊国坂、一つの坂に二つの名前。

たぶん、赤根山の地名からの赤坂が“先”で、紀州藩の屋敷から付いた紀伊国坂は“後”のような気がします。


そろそろ赤坂見附です。



それでは、また次回。



コメント
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