歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

新潟市を歩いて見たい ⑦ 蜘蛛とカビで大変でした

2010年12月10日 | 歩いて見たい
昨日の続きです。

先ずは、博物館と美術館あたりから、いろいろ調べていきたいと思います。

こちらが“新潟市美術館”で「中央区西大畑町5191番地」にあります。

※写真はWikipediaより転載しました

代表的と云うか、みんなが知っていると云うか、かの“パブロ・ピカソ”の「ギターとオレンジの果物鉢」「貧しい人々」「母の化粧」三点の作品も展示されているそうです。

それで、新潟美術館と云えば、“カビ騒動”と“蜘蛛騒動”があった美術館です。

去年の夏頃に、“土と藁”で造られた作品からカビが発生して、隣の部屋の展示品までカビが繁殖拡大したのです。

今年の2月には、展示室に蜘蛛やら、いろいろな虫やらが、約40匹ほど這いずり回っているのが確認されたりして、4月から国宝の“中宮寺木造菩薩半跏像”、及び他14点の重要文化財等の、企画展「奈良の古寺と仏像」が、文化庁から運営管理に問題があると判断され、開催が中止されたのでした。

この間の一連の“蜘蛛カビ騒動”で、篠田昭市長は30%1か月の減給処分を自らに科したそうです。この騒動の背景には、美術館の人事とか、何やらいろいろあったようです。

今年の6月から8月まで休館して、蜘蛛カビ対策の為に施設の修繕を行ったそうです。主たる原因と噂されていた美術館人事のゴタゴタの方はどう解決したのでしょうか? まあ、それなりに手を打たれたのでしょう。

このところ、各地の自治体では、人事の問題やら、財政再建やら、職員の給与カットの問題やら、それに、反市長派とか、議会との対立とか、リコールとか、職員組合との対立とか、次期市長選とか、市議選とか、県議選とか・・・いろいろ絡まったゴタゴタが聞かれます。新潟市もそれなりにいろいろ大変なのでしょう。

こう云う、いろいろな背景があると、別な意味で、見学に興味がそそられてしまうのです。「土と藁」の作品は未だ展示されているのでしょうか?

ここは、もう、誰が、何と云っても“見学コース”に入れなければと思います。それに“生ピカソ”の鑑賞も初めての経験になります。

それで、県立の美術館と博物館の方は、長岡市にあるそうです。県庁所在地にあるのが一般的だと思うのですが、いろいろな判断でそうなったのでしょう。美術館については、朱鷺メッセの5階に“分館的”な“新潟県立万代島美術館”があるそうです。

今日のところは、こちらにも、いろいろ、それなりの理由と都合により、この辺で終わりたいと思います。


それでは、また来週。



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新潟市を歩いて見たい ⑥ どこから攻めるか? 

2010年12月09日 | 歩いて見たい
“新潟市を歩いて見たいシリーズ”も今日で6回目となります。いろいろ調べていると、情報量が増えて、見たり、読んだり、思い出したりで、“あれやこれや”で、何処を、どう攻めてイイやら、混乱しております。

そこで、本日は“あれやこれや”を思いつくままに、書き綴ることにしました。そうしていると、そのうちに、なんとなく、それなりに、どうにかなのるです。

それで、“思い出したり”なのですが、わたくし、かれこれ30数年前、とある会社に勤めていた頃、新潟出身で一つ年下の男と、よく酒を飲み歩いていたことがあったのです。

彼は、かなり酒に強く、普段は無口でおとなしいのですが、飲むとよくしゃべり、発想も変わっていて、私とはかなり気が合ったのです。彼は会社の寮に住み、寮には知的障害のある同僚が居て、良く面倒を見ていました。ものすごく優しい奴でした。

その彼について、数年前に“新潟の実家に戻っていて体調があまり良くない”何て話しを“風の便り”で耳にしたのです。何故、そんなことを思い出したかと云えば、いろいろ調べているときに“新津記念館”の文字が目に入ったのです。

まったく忘れていたのですが、彼は“新津”の出身でした。新潟に行った時は彼に会ってみたいと思い、新津市を検索したら、新潟市“秋葉区”となっていました。新潟市のすぐ隣の町だったのです。そのうちに連絡をとってみようと思います。

それで、“新津記念館”の方は、地名ではなく、個人の名前で企業グループの創設者で、その住居を公開しているのです。特に文化財に指定されてはいないようです。

それで、文化財ですが、建物として“国の重要文化財”に指定されているのは、“旧笹川家住宅”とか、•旧新潟税関庁舎等(中央区)とか、新潟県議会旧議事堂(中央区)とか、種月寺本堂(西蒲区)。

市指定では、旧小澤家住宅(中央区)とか、旧武田家住宅(西区)とかがあるようです。

お寺は、新潟島の“西堀通り”に面してずらり20以上のお寺が並んでいるようです。西があるので、東堀通りもあるのです。

掘りの付く通りは、元はその名の通り水路でした。昭和39年(1964年)の新潟国体の開催に向けて、昭和30年代末頃までに堀は全て埋め立てられたそうです。

新潟島にほぼ並行して“通り”があり、通りに直交する道を“小路”と呼ぶそうです。それで、新潟島が新潟市の中心街のようで、飲食街、遊興街、料亭街、花街もここの古町通りにあるそうです。

あとは、見て回りたいのは、歴史博物館に、県立美術館に、市立美術館・・・・・・、それに神社も、お寺は、一軒一軒見て回ったら、それだけで、2、3日かかりそうだし・・・。

それと、大事なことを忘れてた、食べ物です。新潟は、“わっぱ飯”に、“へぎそば”に、“のっぺ汁”に、“タレかつ丼”に、“イタリアン”に、“半身空揚げ”に、“ぽっぽ焼き”に・・・、もう、いろいろあるようです。

わたしとしては、先ずは、何と云っても“タレかつ丼”に、“イタリアン”です。かなり“B級”なところに惹かれます。

調べれば調べるほど、行ってみたい、観てみたい、食べてみたいと、いろいろあるようで、これでは、すべて、歩いて、見て、食べて回ると、一週間も滞在しないとムリなようです。でも、そんなにはムリですから、これから、少しずつ、絞り込んで行きたいと思います。

本日は、いろいろ書き綴ってお終いです。


それでは、また明日。







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新潟市を歩いて見たい ⑤ 人口80万人の政令指定都市です

2010年12月08日 | 歩いて見たい
昨日の続きです。

暖かくなったら新潟市内を歩いて見たいと思いつつ、下調べをしている訳です。これまでのところ、萬代橋の周囲については、すこしずつイメージが頭の中にできつつあります。

ごく普通の実用的デザインの新潟駅から、


7号線を歩き15分から20分で信濃川に架かる萬代橋。


萬代橋の駅側の袂にあるのが“万代シテイ”で、ここがかなりの繁華街のようです。“新潟交通”が開発した商業地区のようです。「新潟交通」は、あの「田中角栄」の企業グループと思っていたら、あちらは“越後交通”でした。

ここは、何か、若者向けの商業地区のように見えますし、特に新潟的と云うよりも、東京の渋谷・新宿的な匂いがしますので、この辺を歩くのは“ちょっと”だと思います。


ガイド図です。だいたいこんな配置です。


“朱鷺メッセ”から、“新潟島”望む写真です。左端に小さく見えるのが萬代橋、渡った先をを新潟島と云うそうです。


これが“朱鷺(トキ)メッセ”。“幕張メッセ”と同じようなものです。思い出しました!新潟と云えば、あの絶滅し、中国から連れてきた“トキ”で有名なのです。


こちらは、信濃川を走り回る観光船です。ちょっと乗って見たい気がします。


こちらは、県庁舎から見た“都心方面”だそうです。


こちらが県庁舎


こちらは市庁舎


こういう位置関係になってます。


さすがに、本州の日本海側では最大都市だけあって、高層ビルも有り相当に賑やかな街のようです。人口80万人の政令指定都市なのです。

因みに、我が茨城県の県庁所在地の水戸市の人口は約27万人ですから、新潟市は水戸市の3倍もあるのです。人口が3倍だと財政規模も3倍はあるのでしょう。水戸市は“寂れつつ”あるようですが、新潟市はまだまだ“発展しつつ”あるようです。

今日も、いろいろ調べて、段々と、徐々に、少しずつ、新潟市の街のイメージが頭の中に出来上がってきました。

それでは、また明日。

※写真はすべて“WikiLeaks”からではな“Wikipedia”より転載しました。



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新潟市を歩いて見たい ④ 萬代橋で“柳都さん”と逢いましょう

2010年12月07日 | 歩いて見たい
昨日の続きです。

新潟市のナンバーワンの観光スポットであり、新潟市の“シンボル”と云われている“萬代橋”を、じっくりと調べたいと思います。

地図には“萬代橋”と記載されていないのですが、新潟駅を降りて正面の7号線を道なりに歩くと、萬代橋になります。距離的には約1.5㎞ほどですから、徒歩15分から20分といったところでしょう。


この写真は新潟駅から萬代橋に向かって撮ったものと思います。地図で「万代」とある辺りの交差点だと、写真中央の白いビルが“ホテルオークラ新潟”だと思います。ここは最高の立地条件で、夜景も綺麗でしょうけど、料金が高いので泊まりません。

         【新潟市公式観光情報サイトより転載】


萬代橋の夜景。鉄筋コンクリート製御影石化粧張り“六連アーチ橋”です。橋長307.3m、幅員21.9mで、今から81年前の1929(昭和4)年の完成です。

             【国土交通省 北陸地方整備局のページより転載】

東京の隅田川に架かる橋の長さは「170㍍前後」ですから、橋長307㍍はかなり長いです。これは長い方の清洲橋で186.3㍍。



萬代橋としては3代目だそうで、初代は木造で1886(明治19)年の竣工、橋長は782m幅員は7.2m、この橋は1908(明治41)年に“新潟大火”で焼失。翌年に二代目が竣工。

初代は、何と、個人所有で有料橋だったそうで、明治33年に新潟県が買い取り無料となったそうです。780㍍の大橋を個人が所有していたとは、ホントに驚きです。そのスゴイ大金持ちは、いったい何処の、誰なのでしょう?

1964(昭和39)年、マグニチュード(M)7.5の新潟地震で、半月前に開通したばかりの“昭和大橋”は落下、しかし萬代橋はほぼ無事だったのです。これは萬代橋が強かったと云うよりも、完成後半月で崩壊した昭和橋が異常に弱すぎです。

新潟地震で壊れなかった萬代橋は、「空気潜函工法」と云う工法で造られているそうです。この工法を日本人技術者だけで施工したのが萬代橋で、日本で初めてなのだそうです。

空気潜函工法とは、コンクリートの“函”を、水中に“潜”らして、“空気”の圧力で水を押しのけて基礎工事をするやり方だそうです。作業室は圧力が高いので、ここで働く人達には相当な体力が必要だそうです。現在は機械掘りだそうです。

             【国土交通省 北陸地方整備局のページより転載】

萬代橋は、2004年4月、国の文化審議会は萬代橋のデザインや技術力を評価して重要文化財に指定する答申を行い、7月正式に指定されたそうです。一般国道の橋梁が重要文化財に指定されたのは日本橋(東京都中央区)に次いで全国で2例目になるそうです。

因みに、一例目の日本橋が指定されたのが、1999年(平成11年)の5月です。現在の日本橋は1911年(明治44年)竣工の石造二連アーチ橋で、橋長は49㍍、幅員は27㍍です。

これが、重要文化財に指定された時のパレードの様子。

             【新潟市公式観光情報サイトより転載】


芸者衆のようです。

             【新潟市公式観光情報サイトより転載】
   

もっと近づきます。“きれいどころ”が、もう、いっぱい、いっぱい。新潟では、芸妓さん達を俗に“柳都さん”と呼ぶそうです。


新潟に行ったら、お目に掛かりたいです。花街で遊ぶのは、とても、とても無理ですが、観光客相手にリーズナブルな料金で“お座敷で柳都さんと遊ぶお楽しみコース”何てないの?ネットで探してみるか・・・・・・。

それに、「愛一二三さん」の唄う“萬代橋で逢いましょう”も聴かなければ。新潟は、いろいろありそうです。


それでは、また明日。



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新潟市を歩いて見たい ③信濃川は千曲川だった!

2010年12月06日 | 歩いて見たい
先週の続きです。

先週は“新潟ブルース”が中心で、狭い路地に迷い込んでしまいました。旅の下調べが目的で始めたので、先ずは、広い通りに出ると云うか、新潟市を大づかみすると云うか、まぁ、そんなところから始めたいと思います。

それで、新潟市ですが、今年の10月末現在、男が38万7千482人で、 女は41万6千503人で、合計80万3千985人で、世帯数は31万2千572世帯だそうです。

本州の日本海側では最大の都市で、20007年の4月1日に“政令指定都市”になっていたのでした。新潟県と云うと、魚沼産コシヒカリと、え~と、田中角栄さんと・・・・・・え~と、そのくらいです。

何か、お祭りみたいなものは、あったっけ? 秋田が“竿燈”で、青森が“ねぶた”で、仙台が七夕で、これが東北三大祭りで・・・・・・、あれッ? もしかして、そうでした!東北は、青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県の6県で、何か、東北ぽっいのですが、新潟県は東北地方ではありませんでした。失礼。

そうです。天気予報でやっている“関東甲信越地方”で、関東地方を除くと“甲信越地方”に所属しているのです。甲が山梨で、信が長野で、越が新潟です。東北地方と云う言葉と比較して、単独で“甲信越地方”と云う言葉はあまり耳にしません。

それで、新潟市と云うと、残念にがら何も思いつきません。でも、しかし、何故か新潟市を歩いてみたいと思っているのです。新潟市は、歌に唄われた、萬代橋と、古町通りと、新潟駅なのです。

先ずは萬代橋から、いろいろと探ってみたいと思います。新潟市は、そもそもです。信濃川の河口にできた町で、萬代橋は信濃川河口から二番目に架かる橋です。写真中央のアーチ橋が萬代橋。

右上河口より一番目の橋が“柳都橋”です。新潟は“柳”が通りに多く植えられているそうで、それで、柳の都で「柳都・・・りゅうと」で、柳都に架かる橋で柳都橋。とても分かり易い。

                【新潟市公式観光情報サイトより転載】


それで、信濃川ですが、信濃川と云えば“日本一長い川”と、小学校の社会科の授業で教わったものです。それが、何と、今回調べていたら、驚き!の事実が判明したのです。

皆さん! 知ってました? 信濃川は千曲川だったのです。長野県を流れている時は千曲川で、新潟県に入ると信濃川に名前を変えるのです。そんな事、小学校の社会科で教わったっけ?

                【5年前に小諸市懐古園から撮った千曲川の流れ】

全長367㎞のうち、信濃川と呼ばれている部分が153㎞で、千曲川と呼ばれている部分は214㎞で、千曲川の方が61㎞長いのです。しかし、“河川法上”は千曲川を含めた信濃川水系の本流を“信濃川”と規定しているため、信濃川が日本で一番長い川となっているそうです。

それで、“信濃川”ですが、今回、あらためて、しっかり、じっぐり、その名前を見つめてみたら、“信州信濃の国”から流れて来た川で“信濃川”だったのです。

当たり前かァ? 気が付くのが遅い! 信州信濃と云うと、“信州信濃のソバよりも、私しゃあなたのソバがイイ”何てェ~都々逸?を口ずさんでしまうのです。

5年前、懐古園の入り口近くの蕎麦屋で食べた“信州信濃の蕎麦”です。“野菜の天ぷら”に“おひたし”が付いた“おろしそば”が8百何十円でした。

観光地にしてはお安く、店内も綺麗で、店員さんも感じ良く、とても美味しかったのです。ここは一緒に行った姪の奢りでした。


信州信濃の国では“くねくねと”と、いっぱい、いっぱい曲がって流れているので、“千曲川”と呼んだのでしょう。たぶん、きっと、間違いない!

お終いは、演歌で締めたいと思います。

“五木ひろし”が唄う旅情演歌、千曲川。


そして、あの“新潟ブルース”の山岸兄弟の曲“信濃川慕情”です。こちらの曲は、「新潟ブルース」とは異なり、作詞が山岸一二三と水沢敬吾の共作で補作詞ではありません。作曲は山岸英樹の単独作になっています。唄うは“黒沢明とロス・プリモス”


それにしても、歌詞ですが、いくら日本一の“長い川”で売っている信濃川だとしても、“町に流れる長い川・思い出させる長い川・遠く流れる長い川”と、長い川だけに頼り過ぎでは、と、思います。


それでは、また明日。



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新潟市を歩いて見たい ②原曲?新潟ブルース

2010年12月03日 | 歩いて見たい
昨日の続きです。

新潟市内を歩くのですが、先ずは“新潟ブルース”に歌われた、萬代橋、古町通り、新潟駅、そんな処を手始めに行きたいと思います。

それにしても新潟市を代表し、歌にも謳われる名所の一つに“駅”と云うのも、ちょっと寂しい気がしないでもありません。これは、もしかして、日本の近代建築史に燦然と輝く名建築なのかも知れません。

兎に角、事前に、いろいろと情報を集め、新潟を楽しみたいと思います。それで、急ぎの旅ではないので、話しは一旦、昨日に戻り“新潟ブルース”ですが、“YouTube”に、こんな曲もあったのです。

【新潟ブルース 原曲 ♪ 美川憲一】


“原曲”として投稿しているのです。そうすると、この曲は、新潟地域で別の歌手が唄ってローカルでそれなりにヒットし、その後、大手レコード会社が、それなりに手を入れ、美川憲一で全国販売した?と、そう思ったのです。

原曲ですから、きっと、美川憲一の唄う曲とは、当然、曲も詞も多少異なるものと思っていたのですが、美川憲一が現れ、何処かのオジサンの声が聞こえてきたのです。

これって、そこいらの、フツウのオジサンが唄ったカラオケビデオ? でも、しかし、オジサンが唄う「新潟ブルース」を聞きつつ、敢えて“原曲”として投稿したのには、それなりの意味があるような、そんな思いが、ふつふつと湧いてきたのです。

それで、画面を見ていて気付いたのですが、作曲が「山岸英樹・中川博之」で、作詞が「山岸一二三・補作詞水沢敬吾」となっているのです。

作詞は、山岸さんの詞に水沢さんが手を入れ補い、曲は、かなり手が入り、補ったと云うレベルを越えたので、作曲は“二人で”と、なったのでしょう。たぶん。

調べて見たら、作曲の「中川博之さん」は、ムード歌謡では有名な方で、“ラブユー東京・たそがれの銀座・さそり座の女”等々のヒット曲を作っている方でした。

補作詞の「水沢敬吾さん」は、何と、あの有名な”中山大三郎さん”の別名でした。これで、ローカルヒット曲をメジャーが取り上げ、詞と曲に手を入れて、美川憲一に唄わせて全国販売、そして、大ヒット・・・・・・。そんなドラマの匂いがして来ました。


でも、どのあたりが「原曲」なのか、何度聞いても分かりませんでした。たぶん、これは唄っている方が“原曲”なのです。

そう考えると、もしかして、「原曲」として投稿し、カラオケで唄っている“オジサン”は、フツーのオジサンではなく、手が入る前の関係者で、もしかして、 ローカルでヒットしたときの歌手の方か? もしかして山岸英樹さんか?、もしかして山岸一二三さんかも?知れません。

それと、山岸の「英樹さん」の方ですが、「萬代橋ファン倶楽部」のページでは「之起」となっていました。これで「ヒデキ」と読ませるのでしょう。たぶん、メジャーデビューの際に読みやすく、一般的な「英樹」に変えたのでしょう。

何か、話しが、かなり本筋から外れて・・・、まぁ、それほど本筋なんてェ~もんは、いつも無いに等しいのですが・・・、まぁ、兎にも角にも、枝葉末節的で、興味の無い方にはチョットな話しでした。

兎に角、原曲のカラオケ映像は、萬代橋とか、古町通りとか、新潟駅とか、市内の風景を見ることができて、そう言う意味では、とてもヨカッタです。

それでは、最後に“ロス・プリモス”の「新潟ブルース」を聞いて下さい。わたしとしては、やはり“ムード歌謡”は“ムードコーラスグループ”で聞くのが一番だと思います。


いいですねェ~。やっぱり、ロス・プリモスが一番です。


それでは、また来週。



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新潟市を歩いて見たい ①新潟ブルース

2010年12月02日 | 歩いて見たい
数年前に佐渡ヶ島に行って見たいと思い、かなり具体的に計画を立て、旅館もほぼ決めていたのです、でも、しかし、地震騒ぎで新潟方面は“いまはチョット”で中止したのでした。

そして、いま、何となく、佐渡新潟方面に興味が湧いて来たのです。どちらかと云えば、自然景観と云うよりも、知らない街の、知らない路地を歩いて見たい、そんな気分なのです。

もうそろそろ冬になります。旅行の季節と云うよりも、家でコタツで蜜柑の季節ですから、暖かい春になるのを待って旅にでる、で、その前に下調べでもと考えたのです。

吹きすさぶ雪、打ちよせる荒波、灰色の空・・・、そんな東北、日本海の港町、コートの襟を立て、背中丸めて一人寂しく街を彷徨う・・・、まあ、そんな演歌の世界にも憧れるのです。

でも、まあ、今回は、あたたかい春になったら歩いてみようと、新潟市内のアレコレを調べて見ました。

先ずは、どういうコースで新潟に行くのかです。まあ、これは車で行くのが前提ですので、高速道路のコースとなります。

出発は常磐道の谷田部インターです。それで、調べて、えッ!でした。わたくし一旦、常磐道を東京に向かって三郷で外環道に入り、大泉で関越道に入り新潟と思っていたのです。


でも、しかし、そうではなかったのです。常磐道を北に走り、“いわき”で磐越道に入って新潟なのでした。新潟はわたしのイメージよりも北にあったのです。

三郷・大泉・新潟コースは、361㎞で4時間10分で8600円で、いわき・新潟コースは、353㎞で4時間20分で7450円なのでした。

「いわきコース」は「三郷コース」より12㎞長いのですが、時間は10分短く、料金が1150円高いのでした。これはもう“いわきコース”に決定です。

新潟中央で降ります。料金所を出ると、大きな湖と云うか、沼と云うか、池と云うか、そんなものが、新潟にあったのです。知りませんでした。


初めて見る新潟市の市街地図。何処に何があって、どう歩いたらいいのか?


先ずは、新潟と云えば、角さんで、越山会で、真紀子さんが一番に思い浮かぶのですが、角さんの地元はもっと南の“柏崎”でした。

新潟と云って次に浮かぶのは、あの“新潟ブルース”です。唄っているのは、今年の紅白に落選した、あの“美川 憲一”です。

1967年、昭和42年、わたしが未だ17歳の時のヒット曲です。この翌年に「釧路の夜」がヒットして紅白に初出場しています。紅白出場は26回ですが、残念ながら“新潟ブルース”は一度も唄っていません。


歌詞に出てくるのは、一番に“万代橋”で、二番に“古町”で、3番に“新潟駅”なのです。※映像では1番と3番が歌われています。

ご当地ソングですから、新潟市を代表する観光スポットと考えてよさそうです。でも、今から、43年前の歌ですから、それなりにチェックが必要とは思います。

それと、この曲なのですが有名な作詞家、作曲家が書いたものと思っていたら、作詞作曲ともに地元の方で、それもご兄弟の作品で、作曲は弟の“山岸之起氏”、作詞が兄の“山岸一二三氏の山岸兄弟です。

その後、それなりで、最近になって、新曲を発表しました。何と、先月の15日に発表会があったのです。

曲は“萬代橋で逢いましょう”とても、とても、親しみやすく、覚えやすく、いつか?何処かで? 見たような、聞いたような曲名です。きっと、カラオケで唄いやすい曲なのでしょう。徳間ジャパンからCD,カセットテープ 各1200円で“萬代橋ショップ”で好評販売中だそうです。

それで、発表会ですが、市内は西区の黒埼地区内大野町「割烹山六」で行われ、121名が参加したそうです。唄った歌手が“愛一二三さん” これって、兄の作詞家の名前と同じなのです。

これって、どういう関係なのでしょうか? 特別で、複雑で、怪しくて、艶っぽい関係では? まぁ芸能界の師弟関係ですから、それなりに何かが?あっても、それは、それでOKです。

それで、曲を聴いてみたいと“YouTube”を覗いてみたのですが、残念ながらありませんでした。こう云うローカル曲は“YouTube”で流したほうが宣伝になり、売り上げも上がると思うのです。

発表会の風景はこのブログに詳しく載っています。愛一二三さんの写真も載っているので、ご期待下さい。

http://blog.livedoor.jp/bandaibashi2005823/archives/51856982.html

ヒットするとイイですね。


今日のところは、これでお終い。


次回から、いろいろと市内の情報を集めて行きたいと思います。


それでは、また明日。


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つくばカピオで柳の下にドジョウが3匹

2010年12月01日 | つくば市の風景
昨日の続きです。

この日の会場は、牛肉の網焼きに、手打ちそばに、けんちん汁に、あんころ餅に、きな粉餅に、食い物屋さんは何処も長い列でした。

こんな感じの食べ物屋さんが並ぶ“何とかフェスタ”が、カピオ前広場で開かれたのを何度か見ているのですが、今回ほど列をなして並ぶ姿を見たのは初めてです。


それにしても、あちこちで、そば食ったり、餅食ったり、肉食ったり、立ったり、座ったり、並んだり、走ったり、転んだり、泣いたり、笑ったり、まあ、皆さん大変でした。

わたしの方はと云えば、冷静に、落ち着いて、騒ぎを眺めるだけでした。何を隠そう、実はこの日、私は朝食を食べ過ぎてお腹が苦しかったのです。洞峰公園に車を止めてここまで歩いたのには、そんな理由があったのです。

徒歩30分で辿り着いたのですが、昼近くになっても、あまり食欲はなく、あちこちの騒ぎを見ても、興味も、食欲も、そそられる事は有りませんでした。

この騒ぎ、この“グループ”が催しているようですが、なんですかね?この“みずほの村市場”てェ~のは、みずほ村ってェ~村がつくば市に有ったっけ? みずほ村を活性化させる為の有志グループ? それとも、“株式会社みずほ村市場?”


いろいろ賑わっているなか、ココだけは、とても、とても、ヒッソリしていたのです。おでん屋さんです。おでんと村市場はイメージ的に繋がりが薄いのです。

季節がら売れ筋商品ですが、見て下さい! コレ! 何を考えているのか? 鍋には蓋がされおでんが見えません。湯気をあげ、匂いを漂わせ、客の目と鼻を惹き付けなければ、おでんは売れません。

でも、それが原因ではありませんでした。決定的なのは“パック入り再加熱販売”と“価格設定”です。

こんな会場で、“再加熱おでん”販売するセンス、一皿400円で、持ち帰りパックが800円。高い!高い!絶対に高い! この価格設定のセンス、ホントにナンセンスです。

他では、切りたて、打ちたて、つきたて、作りたての、“たてたて勝負”で、そば、けんちん汁、焼き肉、餅が、みんな300円です。

先ずは、バックを撤去し、一皿300円にして、鍋の蓋を開け、暖かく味の染みた具材を見せ、湯気をあげ、辺りに匂いを漂わせ、最初は7~8人のサクラを並ばせ、目と鼻を引き寄せ、客を誘いこめば、後は自然に長蛇の列です。やっぱりサクラはまずいか?

まあ、よそ様の経営改善計画はどうでもイイのです。

公園の方では“案山子大会”が催され、一般投票で優勝者を決めているようです。

“目玉おやじ”に“一反もめん”ですか、この手の催しによくある、流行りモノ、あやかりモノです。


かなりオーバーデコレーション。


座った案山子ですか? 一瞬、隣に座るバァチャンと孫も、一体の案山子に見えてしまいました。


この表情、この眉毛、この目つき、この髭、案山子としての、真面目さとか、律儀さとか、誠意とか、穀物生産とか、食料自給率とか、農業全般の取り組む姿勢とか、日本の農業の将来とか、大きな疑問を抱かせる案山子です。


こちらの“ヒヨコちゃん”は、とても、とても、フワフワで、暖かそうで、とても、とても、可愛かったです。因みに、このヒヨコは赤玉を生む鶏だと、係の方から聞きました。


一応、12時を少し過ぎたので、こちらも昼飯を食べる事になり、この会場では“ちょっとあれだから”と、ノバホール前の地下の蕎麦屋に向かったのです。

久しぶりの地下街、かなりのお店がシャッターを閉めていました。“Qt”に客を奪われたようです。蕎麦屋とピザ屋だけが生き残っていました。

連れは“カモ汁せいろ” わたしは、メニューに無かったので、“せいろそば”に追加で、“おろし”と“揚げ玉”のトッピングで、自家製おろしソバを作りました。


あまりお腹は空いていなかったのですが、食べ始める食欲がわき出し、一枚せいろを追加してしまいました。どんな状況でも食べ始めると、いくらでも入ってしまうのです。あまり良くない体質なのです。ここのソバはそれなりに美味しいのです。

食べ終わり、帰り際にカピオの横を通ると、軽やかに、賑やかに、歌声が流れてきたので、ちょっこっと覗いて見たら、


“AKB48”の予備軍的な少女グループが、唄ったり、踊ったり、飛んだり、跳ねたりしていました。


“柳の下にはドジョウが二匹も三匹も居て”、秋元康はニンマリでしょう。世の中、こんなに甘く、美味しい仕事もあるのです。世の中、瞞す奴が悪いのか? 瞞される奴が悪いのか?

真面目に時給750円で働いてCD買って投票し、儚くも虚しい“虚像”に、ひとときの夢を買う、まあ、いつの世も、若者はそんなモノかも・・・・・・・。

でも、昔は、もう少し、売る方も、買う方も、ホントに真面目に夢を抱いていたような気がします。いまは、売る方に“ソロバンずく”だけが見え隠れするのです。

簡単に信じて、簡単に裏切られて、簡単に恨んで、簡単に死んで、何かとても、“ペラペラな時代”になったような・・・・・・そんな気がするのです。

この時代の、この国の、この国民を、象徴するかのように、政治は“カンカラカン”の“空きカン”で、財政はスッカラカンで、若者はペラペラで・・・・・・。、

カンカラカンで、スッカラカンで、ペーラペラで、そろそろ、かなり、そうとう、行き詰まりの、どん詰まりに、差し掛かって来ました。

でも、もう少し、行くところまで、行ったところで、いろいろ、何かが、見えて来るのかも・・・・・・。


何で、こんな気分に、なってしまったの・・・・・・。今日は、バイオリズムが最悪なのか???


窓の外は、青い空、白い雲、風もなくポカポカそうです。


さあ、午後は気分転換に、自転車で近所を一回りするかァ。


それでは、また明日。





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