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近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

新潟市を歩いて見たい ④ 萬代橋で“柳都さん”と逢いましょう

2010年12月07日 | 歩いて見たい
昨日の続きです。

新潟市のナンバーワンの観光スポットであり、新潟市の“シンボル”と云われている“萬代橋”を、じっくりと調べたいと思います。

地図には“萬代橋”と記載されていないのですが、新潟駅を降りて正面の7号線を道なりに歩くと、萬代橋になります。距離的には約1.5㎞ほどですから、徒歩15分から20分といったところでしょう。


この写真は新潟駅から萬代橋に向かって撮ったものと思います。地図で「万代」とある辺りの交差点だと、写真中央の白いビルが“ホテルオークラ新潟”だと思います。ここは最高の立地条件で、夜景も綺麗でしょうけど、料金が高いので泊まりません。

         【新潟市公式観光情報サイトより転載】


萬代橋の夜景。鉄筋コンクリート製御影石化粧張り“六連アーチ橋”です。橋長307.3m、幅員21.9mで、今から81年前の1929(昭和4)年の完成です。

             【国土交通省 北陸地方整備局のページより転載】

東京の隅田川に架かる橋の長さは「170㍍前後」ですから、橋長307㍍はかなり長いです。これは長い方の清洲橋で186.3㍍。



萬代橋としては3代目だそうで、初代は木造で1886(明治19)年の竣工、橋長は782m幅員は7.2m、この橋は1908(明治41)年に“新潟大火”で焼失。翌年に二代目が竣工。

初代は、何と、個人所有で有料橋だったそうで、明治33年に新潟県が買い取り無料となったそうです。780㍍の大橋を個人が所有していたとは、ホントに驚きです。そのスゴイ大金持ちは、いったい何処の、誰なのでしょう?

1964(昭和39)年、マグニチュード(M)7.5の新潟地震で、半月前に開通したばかりの“昭和大橋”は落下、しかし萬代橋はほぼ無事だったのです。これは萬代橋が強かったと云うよりも、完成後半月で崩壊した昭和橋が異常に弱すぎです。

新潟地震で壊れなかった萬代橋は、「空気潜函工法」と云う工法で造られているそうです。この工法を日本人技術者だけで施工したのが萬代橋で、日本で初めてなのだそうです。

空気潜函工法とは、コンクリートの“函”を、水中に“潜”らして、“空気”の圧力で水を押しのけて基礎工事をするやり方だそうです。作業室は圧力が高いので、ここで働く人達には相当な体力が必要だそうです。現在は機械掘りだそうです。

             【国土交通省 北陸地方整備局のページより転載】

萬代橋は、2004年4月、国の文化審議会は萬代橋のデザインや技術力を評価して重要文化財に指定する答申を行い、7月正式に指定されたそうです。一般国道の橋梁が重要文化財に指定されたのは日本橋(東京都中央区)に次いで全国で2例目になるそうです。

因みに、一例目の日本橋が指定されたのが、1999年(平成11年)の5月です。現在の日本橋は1911年(明治44年)竣工の石造二連アーチ橋で、橋長は49㍍、幅員は27㍍です。

これが、重要文化財に指定された時のパレードの様子。

             【新潟市公式観光情報サイトより転載】


芸者衆のようです。

             【新潟市公式観光情報サイトより転載】
   

もっと近づきます。“きれいどころ”が、もう、いっぱい、いっぱい。新潟では、芸妓さん達を俗に“柳都さん”と呼ぶそうです。


新潟に行ったら、お目に掛かりたいです。花街で遊ぶのは、とても、とても無理ですが、観光客相手にリーズナブルな料金で“お座敷で柳都さんと遊ぶお楽しみコース”何てないの?ネットで探してみるか・・・・・・。

それに、「愛一二三さん」の唄う“萬代橋で逢いましょう”も聴かなければ。新潟は、いろいろありそうです。


それでは、また明日。



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