待ちに待った「お花見シーズン」!
今年は「ここに」にも行こう、「あそこ」にも行こうと「いろいろ」と計画していたのですが、御近所の「桜」で我慢しています。
実はです。先月の21日夜9時過ぎに「救急車」を呼びました。人生始めての体験です。
救急車で運ばれたのは「85歳」になる「母」です。
2~3日前より、「下痢」の症状があり、ほとんど「食事」を摂っていませんでした。お茶にビスケットを食べる程度でした。
いままでも、時々そのような「症状」はあったので、あまり気にせず、当日の夕方は「普段」どおり、「風呂掃除」もしていたのです。
容態が変わり始めたのは8時を過ぎてからです。トイレに行くのが「頻繁」になり、9時頃になると、「出たら、直ぐに、入る」状態になってしまいました。
体力を消耗し「脱水状態」となり、「呼吸」も荒くなり、
『このまま、死んでしまうかも・・・・・・』と言い出しました。
私は慌てて、『救急車呼ぶ?』と聞きました。母は頷きました。
急いで「119番」に電話をすると、
『ハイ。消防署です。消防車ですか?救急車ですか?』
『救急車です。母が「下痢」で「脱水状態」になり、呼吸が荒いんです』
『住所と電話番号をお願いします』
『○○○です』
『お名前は?』
『○○です』
『おかあさんのお歳は?』
『85歳です』
『近くの救急車が出払っているので、別の所から出ます。15分・・・、う~ん。12~13分で着くと思いますから』
『はい。待ってます』
電話が終わると、母が
『直ぐ来る?』
『うん。10分ぐらいだって』
症状は先ほどより、少し落ちついた様に見えます。しかし、呼吸も荒く、顔色は悪く、タオルを握り、額を押さえています。
私は母の様子を見ながら、「直ぐ来るから大丈夫」を何回も繰り返していました。そうこうしているうちに「ピィーボー・ピィーポー」が遠くから聞こえてきました。
直ぐに外に飛び出し、救急車に向かって「手」を振りました。4人の隊員が降りて来ました。
直ぐに部屋に案内し、母は、寝ていた「枕とシーツ」ごと運び出されました。隊員は作業をしながら、
『何処か「近くに」掛かり付けの病院はありますか?』
『はい、直ぐそこの○○診療所に「肋間神経痛」で通院しています』
『いや。そうじゃなくてェー。現在のような症状で治療を受けた病院はありますか?』
『あー、えーと・・・、あッ。ハイ!○○病院があります。以前に同じような症状で治療を受けました』
『判りました。そこと連絡を取ります』
母を救急車に運び込み、1名の隊員が車の外で、携帯で病院と連絡を取っています。了解がとれたようです。
『それでは○○病院に搬送します。後ろから着いてくる時に、救急車は赤信号でも止まりません。しかし、そちらは必ず停車して下さい。いいですか!信号は絶対にに守って下さい。危険ですから』
『ハイ!』と返事をして、私は自分の車に乗り込みました。通りに出るまでは「サイレン」は鳴らさず、「赤色燈」だけでした。
救急車の速度は60㎞程度、2回ほど赤信号の交差点を通過し、私は信号が青になるのを待って発進しても、直ぐ救急車に追いつきました。救急車の速度は遅い。
10分ほどで、病院にほぼ同時に到着。赤色燈が点灯した「救急入り口」の「ドア」が開け放たれていました。母はストレッチャーに乗せられ中に入りました。
看護婦が2名いるだけ、医師の姿はみえません。隊員が看護婦に、移動中に測定した「血圧」「脈拍」「体温」を伝えていました。
2~3分して当直の医師が現れ、隊員と看護婦から状況を確認し、「点滴」を指示しました。母はストレッチャーで2階の病室へ「エレベーター」で運ばれ、私と医師は階段で上がり、先に病室で待ちました。
その間に、医師から『特に危険な症状はないので安心して下さい。腸炎でしょう。今晩は点滴をして様子をみて、明日、落ち着いたら検査をします』と告げられました。
病室のベットに移され、母の症状も「落ち着いて」きました。11時を過ぎた頃、看護婦から、『今晩、病室に泊まりますか?』と聞かれ、私が迷っていると、母が『大丈夫だから、帰っていいよ』と云ってくれました。
私としては、病室の「ソファーベット」で寝るのは気が進まなかったので『うん。そうする、明日の朝すぐに来るからね』と云って家に帰りました。
ホントに「大変」な「夜」でした。家に戻り、いつもより「多目」に「焼酎」のお湯割りを飲んで床に入りました。
翌日の朝、血液、心電図、レントゲンの検査を行い、結果は特に異常なしでした。
21日に入院して、23日迄は「点滴」のみで、「下痢」の症状は「完全」には止まりませんが、少しずつ「回数」は減って来ました。食べなくても「出て」くるのです。
24日頃から「下痢」も治まり、26日の夕食から「重湯」と「実のないみそ汁」が出ました。
26日の朝「重湯」「実のないみそ汁」と「ジュース」を摂った後に、また「下痢」の症状が出て、「点滴」のみに戻り、27日の午後、「腸」の内視鏡検査」をおこない、夕方「検査結果」の説明に立ち会いました。
長くなってきました。続きは明日に ・・・・・・
今年は「ここに」にも行こう、「あそこ」にも行こうと「いろいろ」と計画していたのですが、御近所の「桜」で我慢しています。
実はです。先月の21日夜9時過ぎに「救急車」を呼びました。人生始めての体験です。
救急車で運ばれたのは「85歳」になる「母」です。
2~3日前より、「下痢」の症状があり、ほとんど「食事」を摂っていませんでした。お茶にビスケットを食べる程度でした。
いままでも、時々そのような「症状」はあったので、あまり気にせず、当日の夕方は「普段」どおり、「風呂掃除」もしていたのです。
容態が変わり始めたのは8時を過ぎてからです。トイレに行くのが「頻繁」になり、9時頃になると、「出たら、直ぐに、入る」状態になってしまいました。
体力を消耗し「脱水状態」となり、「呼吸」も荒くなり、
『このまま、死んでしまうかも・・・・・・』と言い出しました。
私は慌てて、『救急車呼ぶ?』と聞きました。母は頷きました。
急いで「119番」に電話をすると、
『ハイ。消防署です。消防車ですか?救急車ですか?』
『救急車です。母が「下痢」で「脱水状態」になり、呼吸が荒いんです』
『住所と電話番号をお願いします』
『○○○です』
『お名前は?』
『○○です』
『おかあさんのお歳は?』
『85歳です』
『近くの救急車が出払っているので、別の所から出ます。15分・・・、う~ん。12~13分で着くと思いますから』
『はい。待ってます』
電話が終わると、母が
『直ぐ来る?』
『うん。10分ぐらいだって』
症状は先ほどより、少し落ちついた様に見えます。しかし、呼吸も荒く、顔色は悪く、タオルを握り、額を押さえています。
私は母の様子を見ながら、「直ぐ来るから大丈夫」を何回も繰り返していました。そうこうしているうちに「ピィーボー・ピィーポー」が遠くから聞こえてきました。
直ぐに外に飛び出し、救急車に向かって「手」を振りました。4人の隊員が降りて来ました。
直ぐに部屋に案内し、母は、寝ていた「枕とシーツ」ごと運び出されました。隊員は作業をしながら、
『何処か「近くに」掛かり付けの病院はありますか?』
『はい、直ぐそこの○○診療所に「肋間神経痛」で通院しています』
『いや。そうじゃなくてェー。現在のような症状で治療を受けた病院はありますか?』
『あー、えーと・・・、あッ。ハイ!○○病院があります。以前に同じような症状で治療を受けました』
『判りました。そこと連絡を取ります』
母を救急車に運び込み、1名の隊員が車の外で、携帯で病院と連絡を取っています。了解がとれたようです。
『それでは○○病院に搬送します。後ろから着いてくる時に、救急車は赤信号でも止まりません。しかし、そちらは必ず停車して下さい。いいですか!信号は絶対にに守って下さい。危険ですから』
『ハイ!』と返事をして、私は自分の車に乗り込みました。通りに出るまでは「サイレン」は鳴らさず、「赤色燈」だけでした。
救急車の速度は60㎞程度、2回ほど赤信号の交差点を通過し、私は信号が青になるのを待って発進しても、直ぐ救急車に追いつきました。救急車の速度は遅い。
10分ほどで、病院にほぼ同時に到着。赤色燈が点灯した「救急入り口」の「ドア」が開け放たれていました。母はストレッチャーに乗せられ中に入りました。
看護婦が2名いるだけ、医師の姿はみえません。隊員が看護婦に、移動中に測定した「血圧」「脈拍」「体温」を伝えていました。
2~3分して当直の医師が現れ、隊員と看護婦から状況を確認し、「点滴」を指示しました。母はストレッチャーで2階の病室へ「エレベーター」で運ばれ、私と医師は階段で上がり、先に病室で待ちました。
その間に、医師から『特に危険な症状はないので安心して下さい。腸炎でしょう。今晩は点滴をして様子をみて、明日、落ち着いたら検査をします』と告げられました。
病室のベットに移され、母の症状も「落ち着いて」きました。11時を過ぎた頃、看護婦から、『今晩、病室に泊まりますか?』と聞かれ、私が迷っていると、母が『大丈夫だから、帰っていいよ』と云ってくれました。
私としては、病室の「ソファーベット」で寝るのは気が進まなかったので『うん。そうする、明日の朝すぐに来るからね』と云って家に帰りました。
ホントに「大変」な「夜」でした。家に戻り、いつもより「多目」に「焼酎」のお湯割りを飲んで床に入りました。
翌日の朝、血液、心電図、レントゲンの検査を行い、結果は特に異常なしでした。
21日に入院して、23日迄は「点滴」のみで、「下痢」の症状は「完全」には止まりませんが、少しずつ「回数」は減って来ました。食べなくても「出て」くるのです。
24日頃から「下痢」も治まり、26日の夕食から「重湯」と「実のないみそ汁」が出ました。
26日の朝「重湯」「実のないみそ汁」と「ジュース」を摂った後に、また「下痢」の症状が出て、「点滴」のみに戻り、27日の午後、「腸」の内視鏡検査」をおこない、夕方「検査結果」の説明に立ち会いました。
長くなってきました。続きは明日に ・・・・・・