久しぶりに読書に耽っている。
この数日、熱中していたのはカナダの作家エリック・シブリンの著作。
「無伴奏チェロ組曲を求めて」
副題がついており、「バッハ、カザルス、そして現代」
隅々まで大変に凝った構成で、バッハの無伴奏チェロ組曲全6曲がそのまま本書の章立てにされている。クラシックファンでなければ初読での内容理解は難しいだろう。
とはいえ、クラシックファン、バッハ好き、チェロ好きであれば、心の底から感動するアプローチ、解説、記述がなされている。
私はこの本を主人からプレゼントされた時、ぱらりと数ページを開き、拾い読みをしたのだが、そのわずか数十秒で、作家の文体すなわち彼の生き生きした魅力的な精神に惹かれてしまった。
文体とは作家の精神の流れであり、外国語であっても優れた翻訳であれば、充分に原作の魅力を伝えられる。
正直なところ、私は作家独自の文体のない散文はほとんど読めない。2ページも目を通さないうちに、飽きてしまう。それが小説であろうと、評論であろうと。
エリック・シブリン氏は才能豊かなライターで、ユーモアと才気にあふれ、ささいな叙述までが心躍る面白さだ。
200年以上歴史に埋もれていたバッハの無伴奏チェロ組曲を発掘し、人類の文化遺産、名曲として披瀝したのは、スペインの天才チェロ奏者、パブロ・カザルスだった。
作家は、バッハとカザルスの生涯を、チェロ組曲の1番から6番の章立てで追求している。つまり、音楽史に残る天才2人の若き日から晩年、死、その後日談までが、1から6の組曲の流れとともに記されている。
6番あるそれぞれの組曲はすべてプレリュードで始まり、それから古い宮廷舞曲のアレマンド、クーラント、サラバンド、その後にもっと≪当世風の≫メヌエット、ジーグ、ブーレ、ガヴォットなどが置かれ、いずれも6楽章で組まれる。
作家はそれぞれの組曲、章立ての最初の2ないし3楽章で作曲家バッハについて語り、後半はカザルスの物語を描く。
作家はチェロ組曲の音楽的内容と特性をバッハやカザルスの人生と綯い合わせ、相応させる工夫や演出をしているので、本書を読んでいると、バッハの無伴奏チェロ組曲を微速度でゆっくりと聴いているような気になる。ある意味でドラマ化されたその語りが少しも不自然でなく、じつに面白く、納得させられるのは、作家の卓越した力量だろう。
この内容の濃い一冊を読むと、チェロ組曲の音楽性のみならず、バッハとカザルスが生きた時代の政治的文化的状況までが、じつにわかりやすく理解される。
5番6番では、作家はバッハの妻や子孫の人生についても語り、妻を含めてバッハ一族それぞれが優れた音楽家でありながら、無常の結末に至るバッハ家の百年史を知らされる。
つまり、エリック・シブリン氏は、諸行無常、哲学的な感慨まで読者に与えてくれるという次第。
恐るべきは、その哲学的な結末、感慨までも、無伴奏チェロ組曲5、6番の内容に照応させている。
このようにきっちりした巧緻で重層的な作品構造は、日本の作家ならば、さしづめ三島由紀夫ばり、と私は感じる。
本書の魅力は読んでいて飽きない作家の弾力性に富んだ語り口、豊かな感性、知識、ユーモアにある。
まさに、書くこと、あらたに学ぶこと、その成果を読むことの幸福感に満ち溢れた名著と思う。
愛と感謝。