プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

●熊野三山巡り~速玉大社~

2005-05-17 21:02:03 | 旅行記
EPSN00032005年5月13日午後1時25分。予定通り、名古屋からの南紀3号がホームに滑り込んできた。前泊した私達夫婦が駅頭で4人を迎え、久しぶりの再会を喜び合う時間もそこそこに、最初の目的地「神倉神社」へ向かった。
市街地の西方、千穂ケ峰の南端に鎮座するゴトビキ岩をご神体としている。遠方から6時間以上、列車に揺られてきたメンバーにはいきなりリュックをかついでの登りはきつかっただろうが、誰一人、弱音を上げなかった。さすがに、交通機関よりも徒歩主体を楽しみたいと言うだけあって、全員、事前の備えは万全だったのだろうと感心した。神倉神社からは、新宮市内と熊野灘の大パノラマが眼下に広がり、疲れも一気に吹き飛んだが、その後の行程は予想以上に難行苦行だった。
EPSN0010EPSN0015駅前の観光案内所で「歩きたいなら」と、助言されたルートは千穂ケ峰の自然遊歩道経由で、速玉大社へ抜ける道だったが、道標も少なく山中で迷うこと度々。遊歩道とは名ばかりで、けもの道と雨が降れば滑落しそうな岩場の連続で、鮮やかな朱色の大社が前方に見えた時、不安と緊張でこわばっていた肩の張りがようやく抜けた。
EPSN0017大社近くの権現前からバスで約1時間。熊野川支流の大塔川沿いの国民保養温泉地に指定されている川湯温泉へ。。「小じゃりかきわけ川湯をたたえ石を枕に月を見る、、、」と歌われるとおり、河原に設けられた露天風呂に浸かると、旅情は一気にたかまった。


●熊野古道巡り~序章~

2005-05-17 16:53:52 | 旅行記
 EPSN00072005年5月13~15日の二泊三日の旅は、昨年、世界遺産に登録された「熊野古道」巡り旅。学生時代の旧友(≠悪友)4人が1年に1度の再会を楽しみにしているイベントだ。と、ここまではどこにでもある話しなのだが、それぞれの奥方を同伴する8人組みであることがユニークと言えよう。若い頃は、お互いに仕事や生活に追いまくられ、自分のことで手一杯だったのが、子供たちも自立し始めた数年前から、ふたたび親交が始まったのである。

EPSN0010今回は、体調不良で不参加になった1組を除く、3組6人。起点をJR紀勢線新宮駅とする現地集合方式で、初日(13日)に新宮駅⇒神倉神社⇒速玉大社⇒川湯温泉泊。二日目は、川湯温泉⇒発心門王子⇒本宮大社⇒紀伊勝浦温泉泊。最終日に、勝浦温泉⇒那智⇒大門坂⇒那智大社・青岸渡寺・那智の滝⇒JR勝浦温泉駅で解散だ。「熊野古道を歩く」ことをメインに組み立て、交通機関を補助的に利用したので、三日間で20㎞ほど歩いた勘定になる。

EPSN0006新緑がまぶしい熊野路をうぐいすや野鳥の声を聞きながら、ゆっくり歩を運ぶメンバーの顔には、つかの間ではあっても都会の喧騒から解き放たれた幸福感が充満していた。幸い、三日間を通して好天に恵まれ、熊野の神に感謝しつつ帰路についた。

 
 


★第27回鯖江つつじマラソン大会

2005-05-09 15:53:58 | スポーツ
EPSN00082005年5月8日、ゴールデンウイーク最終日の「第27回鯖江つつじマラソン大会」は、その名のとおり、毎年、福井県鯖江市自慢の”つつじ祭り”期間中に開催される。2000名規模の大会で、県外勢が30%以上を占めるのも、つつじ祭り目当てではないかと思われるくらいの賑わいだ。

 JR鯖江駅から徒歩15分程の西山公園の丘陵には、4万株をこえるつつじが絨毯の模様のようにひろがり、新緑に映え実に見事だ。ツツジの植樹が始まったのは昭和33年に当時の市長が美しいまちづくりを提唱し、 2千5百株を植えてからとか。その後、どんどん増植し、今では市民から親しまれる名所になっていて、小高い山(標高100m強)から落ち着いた佇まいの市街地が一望できる。
EPSN0003
私もかねてから”つつじ祭り”を見物したいと思っていたので、10キロの部にエントリーした。いつもなら、北陸エリアの大会では車を使うのだが、今回はR利用で参加した。理由は単純で、レース後、地元で評判の某そば屋で、そばとそば団子を肴にビールを飲みたかっただけのことである。妻は動機が不純だと咎めながらも、つつじ見物につられて同行した。代わりに運転すると言わない所がしぶとい。お目当てがつつじなのか、そばなのか分からぬまま。そんなことはどうでも良いくらい、満たされた気分に浸ることができた。アフターレースが楽しい(美味しい?)大会である。

 なお、レース結果は「54分19秒」。殆どアップダウンがなくフラットで走りやすいコースだ。





●企業体質

2005-05-07 11:00:08 | 日記・エッセイ・コラム
 ここ2週間ほど憂鬱でやりきれない気分の日が続いたのは、私一人ではあるまい。JR西日本の脱線事故は、人命と安全管理、経営、社風等々の色んな問題を投げかけたし、私自身、事故のショックでホームページを更新する気力も失せていた。

 「1分30秒の遅れが命を奪った!」「利益優先・人命軽視」といったフレーズがメディアを飾ったが、それ以上に、事故後、次々に発覚したボーリング大会やゴルフコンペの開催等々、JR社員のモラルの低さが非難を浴びた。とりわけ、事実を隠蔽するが如きJR側の対応がいっそう不信感を増幅している。

 企業体質と一言で片付けるのはた易い。だが、現場で一生懸命汗を流している人たちがいるのは事実だし、誰よりも口惜しい思いをしているのもそういった社員だと思う。所与の作業に真面目に従事している社員には、何故、こういった悲惨な事故が発生したのか、自己嫌悪に陥っている者すらいるかも知れない。

 企業風土というものは、それを構成する個々人の資質を超えた組織体としてのメカニズムが働くものだ。組織が大きくなればなるほど、その傾向が大きくなり、会社への求心力が弱まってしまう。大企業で管理コストが増大する所以だ。しかし、それは一見無駄なように見えるが重要なファクターだ。巨大企業ほど、きめ細かな管理が必要だし、経営陣のリーダーシップが最も重要な要素になる。ましてや、人命を預かる事業体においてはなおさらだ。

 「民に出来ることは民に任せる」との一辺倒では、経営効率や利益追求が優先するのは当然だということを、どこかの首相は謙虚に耳を傾けて貰いたいものだ。「官」のままで、サービス向上や無駄遣いはどれだけでも排除出来るし、「民」でなければならない必然性を自問自答すべきだろう。