世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記
魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-
聖書あれこれ:トマスの不信
ずっと以前、企画展で、「聖トマスの不信」を主題とした絵を観た。そのときは作者を確認しなかったのだが、絵そのものは今でもはっきり覚えていて、最近調べてみるとカラヴァッジョの絵だった。
……カラヴァッジョのあんな有名が絵が、来日なんかしてたんだろうか? そう考えると、今ひとつ自信がないのだが。
絵の前で、いかにも人間臭い宗教ドラマをふむふむと堪能していると、相棒がすっと横に立って肘で突っついてくる。
「チマルさん、これ、何のドラマ? ねえ、知ってるんでしょ、教えて、教えて」
いくらその都度、私が神話や聖書の知識を教えても、その知識は相棒のなかで持続しない。相棒がその都度野球の知識を教えてくれても、その知識がいつの間にか私から抜け出てしまうのと同じように。
なので、面倒くさかったので、お座なりにしか解説しなかったような気がする。が、「この聖トマスは相棒に似ている。そして、キリストのほうもやはり相棒に似ている」と、思ったのを覚えている。
この主題は、眼に見えない神の存在を信じることを説いている。
キリスト磔刑の数日後。実際に実物を見て、その傷跡に指を突っ込んでみなければ、キリストの復活など信じられない、と、他の弟子たちに言うトマス。すると不意にキリストがやって来て、自ら衣を脇腹まではだけて身体を差し出し、トマスに言う。さあ、指を突っ込んでみなさい。
え、いいの? それじゃあ……と、トマスは顔を近づけてまじまじと傷痕を眺めながら、遠慮もなく深々と傷痕に指を突っ込む。怖る怖るなんて様子はない。傷口をペラリとめくるようにして、内臓に触ればそれを引っかけかねないほどに、興味津々といった様子で調べる。それを、他の弟子たちも後ろから覗き込む。キリスト本人さえ覗き込む。
肉体の苦悶を見せながら眼前で死んでいった自分の主。その死を確かめるために脇腹に突き刺された槍の傷を、その復活を確かめるために、今度は自分が触るのだ。
「我に触れるな」……復活後のキリストの言葉だ。そのキリストが、トマスにだけは、触れることを許す。復活したキリストの体に触れたのは、ただトマス一人だけなのだ。
To be continued...
画像は、カラヴァッジョ「聖トマスの懐疑」。
カラヴァッジョ(Caravaggio, ca.1571-1610, Italian)
Next
Bear's Paw -聖書あれこれ-
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )