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庄司ひろ子さん さようなら

2018年01月31日 | 

庄司ひろ子さん さようなら

「救援」紙の追悼文

最初に逢ったのは、もう26年も前かしら。慈恵医大病院だ。救援連絡センター代表弁護士として永年「ごくいり いみおーい」と共に覚えた庄司宏弁護士が入院していると聞き、お見舞いに行ったときだ。いつもダンディな紳士の彼が、病床から起きあがらんばかりに「外務省にミサイルを撃て」と叫んでいたとき。そうだ、外務省からとんでもないめに逢わされたのだ。同僚も自殺したとか、有名なラストボロフ事件。いまの河野太郎外務大臣の言動をみるやに、外務省は人民の敵だよ。

その傍らにいたのが、ひろ子さん。その後に皆と親しくなり、姉と慕う者どもが自由が丘の庄司ひろ子さん宅で、なんかいも食事会を開いた。魚屋の娘だったひろ子さんが築地で美味しい魚を仕入れてきて、わいわいがやがや。二階に住む高級官僚の長男が、陰険いじわるすると知り、勝手にシュプレヒコール挙げたこともあったっけ。

こたつで聞いた二人の逸話。お酒の飲めない宏さんたちは、ウイスキーボンボン食べて酔っ払って「こたつで、ぐでー」と寝てしまったんだって。お友達が来て、すわ何事かと思われた事件もあったと。いろんなひとたちが来て、かれこれ十年以上も食事会は続いたかな。

数年前からは、神保町の揚子江菜館。ひろ子さんの馴染みの店にて「囲む会」を数ヶ月ごとに開催した。女店主から毎回、お燗の紹興酒の差し入れがあった。庄司弁護士の膨大な記録を元に本を出版する企画が幾つかあった。そしてジャーナリスト野田峯雄さんが関わりだした。手始めに月刊「世界」16年一月から「ラストボロフ 謀略の残影」という連載があった。これから大作業なのに、昨年に逝去されたのがとても残念。予定出版元の第三書館の北川明社長も、常連さ。書籍計画は、誰か引き継いでくれないものかしら。

ひろ子さんが自由が丘の家を追い出されそうになった裁判の傍聴に行ったこともあったな。負けて追い出されて悔しいが、みんな彼女を応援してた。そうそう、山谷にMASAのサックス演奏を聴きにいったこともあったね。

体調に関しては、少し具合が悪くて病院に行ったら「医者は、わたしを見ない。つきそいを探している」って憤慨してた。自分で健康管理してるってのが信じられなかったらしい。かくしゃくとしてる、ひろ子さん。80代高齢者の鑑。体あれこれ故障して薬を十何錠も飲む山中おじさんよりも、元気いっぱいだもん。

昨夏の食事会のときに、首にしこりができて膨らんでいて、どうしたんだろうと思った。そして秋の「囲む会」が急に流れたあとに、ひろ子さんの入院を知った。緩和ケア施設に入っていると。なにやら具合が良くないと聞き、大晦日に佐藤保・救援連絡センター運営委員と、お見舞いに行った。連合赤軍事件の頃は青年労働者だった保さんは70歳を超え、無料パスを有効に使い都バスや都営線を乗り継いで経産省にも通う元気なシニア。

病室に入ると、ひろ子さんの腕は小枝のように痩せていたので驚いた。でも話し始めると、いつものひろ子さんで「転院してから、良くなった。ごはんを皆んな食べるようにしている」と明るくしゃべっていた。

念のため元旦に山下幸夫弁護士にメール連絡をすると、なんと夕方には見舞い報告のメール返信があった。忙しいひとほど迅速に行動するんだと感心した。水戸喜世子さんからも速攻で返信がきた。関西から他の用事を除けてでも見舞いにいく予定だと。そのときは、わたしも御一緒しようと思っていた。

一月六日、たくさんの見舞客に囲まれ賑やかに過ごしたあと、ひろ子さんは眠るように亡くなったそうだ。あとから未分化多形肉腫という診断を聞き、ぼうぜんとした。  享年86。

お通夜は一月14日、 荒川の町屋斎場 にて葬儀は無宗教で、喪主も無しにて葬儀委員長は山中幸男救援連絡センター事務局長の進行。 目黒救援会のころからの永いつきあいの元区議の宮本なおみさんの、ほんとうに心暖まる追悼の言葉。詐欺師冤罪の真相を語った 足立正生映画監督長野の高木哲真さんは庄司さんたちがスキーに行ったときの逸話を語り、ひろ子印の林檎ジャムと金子みすゞの詩の想い出セットを用意してくれた。

参列者には92年の参議院議員選挙のときに応援していた内田雅敏弁護士、 本誌八面に長期イキイキ連載中の山下幸夫弁護士、 救援連絡センター代表の足立昌勝・ 関東学院大学名誉教授 、 杉並仲間「ひろ子さん、引っ越してきたら」と誘った足立正生監督新城せつこ ・杉並区議、 けしば誠一杉並区議錚々たる参列者で、ひろ子さんが頼りにしていた大物達がお揃いで、大喜びしていたかも。
 
告別式は翌日。遺骨は、彼女の希望した散骨。そして庄司宏弁護士の分骨された遺骨と共に、ひろ子さんが頼りにしていた友人宅で大切にして貰えるとのこと。

きっと今頃、天国で宏さんと「おこたで蜜柑」していることだろうなあ。ああ、パレスチの地で聴診器を手に絆を生き14年に亡くなった信原孝子さんも一緒かな。そうだ、11年に亡くなった丸岡修さんがアラブ流の紅茶を入れてるかもしれないねえ。さようなら、庄司ひろ子さん。

救援連絡センター発行「救援」紙の、2面の連載コラムより 
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