チエちゃんの昭和めもりーず

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チエちゃんと飛鳥をつなぐもの

2019年06月07日 | チエの玉手箱
今日は、チエちゃんこと私が飛鳥にあこがれることになった訳を書いておきたいと思います。
その一つは、672年に起こった皇位継承をめぐる争い『壬申の乱』を描いた黒岩重吾氏の『天の川の太陽』を読んで、大海人皇子(おおしあまのみこ・おおあまのみこ ともいう 後の天武天皇)が好きになったからです。
自分の運命を自らの手でつかみ取るって、なんてすごい人なんだろうと思いました。

そしてもう一つ。チエちゃんの村に伝わる 小手姫(おでひめ)伝承です。
昔々、遠い都の姫がやって来て、この村に養蚕と機織りを伝えたというものです。
壬申の乱を遡ること80年、592年のことです。
第32代崇峻天皇(すしゅんてんのう)は、蘇我馬子(そがのうまこ)らにより天皇に即位させてもらったのですが、政治の実権は馬子が握っていたため、馬子を排除しようと企てます。しかし、逆に馬子の察知するところとなり、(馬子の命令により)東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)によって殺されてしまうのです。
この崇峻天皇の妃が大伴糠手(おおとものあらて)の娘 小手子(こてこ) なのです。
日本書紀には、こう書かかれています。

或本に云はく、大伴嬪小手子、寵の衰えしことを恨みて、人を蘇我馬子宿禰のもとに使りて曰はく、「頃者(このごろ)、山猪を獻(たてまつ)れること有り。天皇、猪を指して詔して日はく、『猪の頸を斷らむ如く、何の時にか朕が思う人を斷らむ』とのたまふ。且(また)内裏にして、大きな兵仗を作る」といふ。是に、蘇我馬子宿禰、聴きて驚くといふ。

小手子は、崇峻の寵愛が他の女に移ってしまったことを恨んで、「天皇があなたのことを殺そうとしていますよ」と馬子に告げ口したというのです。
書紀が伝えるのは、ここまでです。
この後、どうなったのでしょう?
つづきは、また明日。

※参照:泊瀬部天皇(はつせべのすめらみこと)