蘇我馬子(そがのうまこ)の命により暗殺された崇峻天皇はその日のうちに倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)に葬られました。これは異例なことです。(昭和天皇の時を思い出してください)
そして、このような場合、復讐されないようにその一族(崇峻の家族)は皆殺しに遭うのです。
小手子(こてこ・小手姫)の息子 蜂子皇子(はちこのみこ)はその夜のうちに従者3~4名と馬で飛鳥を脱出しました。そして、大和朝廷の支配が及ばない東北の地にたどりつき、山形県出羽三山の開祖となります。(蜂子皇子伝記)
一方、小手子は、自分が告げ口したことで大変な事態になってしまったことをさぞや後悔したことでしょう。おそらく、馬子に操られていたのだと私は思います。秘密を知っている小手子も安全で居られるはずがありません。
このことは、実行犯の東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)も馬子の娘 河上娘(かわかみのいらつめ・崇峻の夫人だった)を偸(ぬす)んだとして、殺されてしまったことからも分かります。(馬子は策謀家だったと思います。)
厩戸皇子(うまやとのみこ・聖徳太子)の手引きで、父・大伴糠手(おおとものあらて・ぬかで ともいう)と共に飛鳥を脱出し、蜂子皇子の後を追ったと言われています。
しかし、山形にたどり着くことはできませんでした。福島のチエちゃんの村に来て、何らかの理由(たとえば、年老いた)でこの地に留まり、養蚕と機織りを伝えましたが、(息子との再会を果たせず)失意のうちに亡くなったと伝えられています。
小手子によって伝えられた養蚕と機織りは、この地方を絹織物の一大産地とするのです。今でこそ、廃れてしまいましたが、高度成長期あたりまではこの地方の重要な産業でした。
社会科の先生に教わったことがあります。
なぜ、福島に日本銀行の支店があるのか分かるか?
そうです。日銀の支店を置くくらい、福島は養蚕・製糸業で儲かっていたのです。
さらに、小手子がこの地へ来てから、350年後には養蚕の技術を上州に伝えたことが記録に残っています。小手子が来なかったら、富岡製糸工場も世界遺産とはなっていなかったのです。
私は、小手姫伝承は各地に残るヤマトタケル伝説のようなものと考えていたのですが、今では小手子がこの地を訪れたことは間違いのない史実と思っています。
チエちゃんの村は、旧小手川村(きゅう おでがわむら)というのです。
1400年前の飛鳥と、東北の片田舎の村は不思議な縁で繋がっているんです。
飛鳥関係のお話しに長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございました。