気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

シネマ・ルネティック 久野はすみ つづき

2013-11-21 22:12:32 | つれづれ
わたくしをひとりぼっちにするためにカミツレの野に椅子を置きたり

閉じようとするから開く 鞄からあふれつづけるジェリービーンズ

花園に花なきこともよしとして赤絵にのせる「ぬれ甘なつと」

ひだまりに祖母は揺り椅子ゆらしつつどこへも行かずどこへでも行く

借りているだけかもしれず子どもらをレンタルショップの中に放てば

ストーブを消せば灯油のにおいせり人恋しさはそのように来る

鍵穴にかぎさしこめば金属のあまたの浅き傷の匂いす

かばんより波の音して取り出しぬ雨にしめれる文庫一冊

きまじめな朝の鏡をのぞきこみ母とはちがう眉山を描く

もう誰のものかわからぬ花束がロビーの椅子にほどかれており

(久野はすみ シネマ・ルナティック 砂子屋書房)

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短歌の醍醐味は、遠回しの表現にあると思う。カミツレの野に一脚の椅子を置いて、一人で座りましたよ、ということをまっすぐには言わない。「ひとりぼっちにするために」で詩が生まれる。ジェリービーンズの歌もわかったようなわからないような・・・。理屈でないところが面白くおしゃれ。いちいち解説するのも野暮なのでしないが、じっくりと味わって読みたい。
最後の花束の歌は、劇場の喧騒を詠っていて、雰囲気が伝わる。