気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

シネマ・ルナティック 久野はすみ

2013-11-19 22:32:53 | つれづれ
さてシネマ・ルナティックとは洒落た名の、今宵おぼろに満月未満

消えてゆく字幕のような言葉たち よりどころってよくわからない

入口と出口は同じ延々とエンドロールの流れる中を

笑いながら僕らは齟齬をくりかえすはちみつみつばちつるばらのばら

「なんじゃくもの」と言われて返す「五尺です」二寸の釘を打ち込みながら

人のいい役者は下手と決まってるわけではないが概ねはそう

「あさあけのひなびた劇場に俺は死ぬ緞帳幕の綱をにぎって」

三歩あとを必ずついてくる孤独ときおりぎゅうと抱きしめてやる

気づかずにけとばしたのはこっちだがごめんごめんと去る銀杏の木

ありていに言えばうとましわたくしの乳房も母の二つの点も

(久野はすみ シネマ・ルナティック 砂子屋書房)

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未来短歌会所属の久野はすみさんとは、もう十年ちかいおつきあいになる。実際にお会いしたのは数回だが、2003年ころに「梨の実歌会」で知り合いになり、題詠マラソン、題詠ブログでご一緒した。ネットでの歌仲間という感じ。現実では、大阪での新淀川歌会で数回会っている。
このたびは、ようやく歌集を出版され誠にめでたいことと喜んでいる。

冒頭の連作「シネマ・ルナティック」の批評会をネット上でしたのも、十年前。懐かしく読み返した。
はすみさんの歌は、それぞれが短編小説のようで読者を楽しませてくれる。連作の構成が巧みだからだろう。
また、若いころは演劇をやってらしたとのこと。
「なんじゃくもの」の歌は、いわば職場詠だ。なかなかこういう仕事のうらを知ることはないので、その点でも貴重で興味深い。なにより。ユーモラス。
十首目の歌は、ちらっと本音を見せたように見えるが、実際のところはどうなのだろう。(つづく)