気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2011-10-17 21:21:56 | 朝日歌壇
夕暮れに畑荒らしにくる猿の群れ親の背中の子も南瓜もつ
(沼田市 笛木力三郎)

「かなしい顔している字」だと言いながら幼は<谷>と半紙に書きたり
(広島市 小田優子)

自らを置物なのだと思ひこむ時間が猫にあると思へり
(仙台市 武藤敏子)

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一首目。猿の子も食糧調達のお手伝い。迷惑であるが、微笑ましくもある。二句目の「畑」は「はた」と読むのだろう。二句目が八音なら許容範囲だが、九音になると韻律が崩れる気がする。ここはルビをふったらどうだろう。一首の中に複数の人間(ここでは猿だが)が登場すると、ややこしいので避けるべきという意見も聞くが、「猿の群れ」とことわってあるので、すっきりわかる。
二首目。そう言えば、谷の字は人の顔の眉か目が垂れているようにも見え、悲しげだ。子供の新鮮な発見を、逃がさず捉えた表現が手柄。
三首目。猫の気持ちを想像した歌。「思ひこむ」、「思へり」の重なりがやや気になるが・・・。
このところ、小池光『うたの動物記』を読んでいる。百五項目あり、猫と馬は二回出てくる。日本経済新聞の連載コラムをまとめた本で、新聞連載のときにひと通り読んでいたが、何度読んでもたのしい。『山鳩集』と『うたの動物記』を交替に手に取っていると、ホント幸せな気分になる。

 だしぬけに箪笥のうへに舞ひ上がるこのいきものはさつきまで猫(小池光)