気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

JOKER 大橋麻衣子歌集

2011-06-02 19:16:04 | つれづれ
水面に金魚ぷっかり浮き上がる夫婦が愛と言い張るたびに

カワイソウアナタノコドモハカワイソウ 面白いほどよく動く口

許される範囲を知っている強さ吹かれるままにシーツはためく

大人しく食われてはくれぬクロワッサンはらりはらりと表皮を落とす

月二回ほど顔を見る夫なり野放しにしておけば機嫌よし

倖田來未くずれがホストくずれ連れファミレスで子らを威嚇している

たまにだから我慢しようがたまにだから鬱陶しいに夫の帰宅

天辺におっ立つように髪を結う未熟だが鬼と呼んでくだされ

「乗り切れる者に試練は訪れる」そうなんや…ほんであんた何者

家族という言葉が連想させるもの 支配・抑圧・呪縛・窒息

押え込む感情の底に森はあり青光りする象と出くわす
 
ともにゆく選択肢は与えてくれず去るつもりもなく遠くに牡鹿

あおぞらに刃向かうように観覧車その濃い赤に惹かれて止まぬ

(大橋麻衣子 JOKER 青磁社)

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先週、短歌人会関西歌会の先輩である大橋麻衣子氏の第二歌集『JOKER』の批評会に出た。
第一歌集『シャウト』をさらに深めた形で、私小説的虚構の短歌を作り続けておられる。
主人公は作者とは別人である。作中主体は作者の作りだしたキャラである。
こういう短歌の作り方もあるのだと、何度も自分に言い聞かせつつ読みすすむ。

主人公には家族がいるものの、決して幸福な家庭とは言えない。読んでいて、辛くなってしまう。作りごとだと聞いてほっと胸を撫でおろす。しかし、何も聞かずにこの歌集を読んだ人は、どう思うだろう。短歌とは本当のことを詠むものだと、思いこんでいる人も多い。新聞歌壇に取り上げられる震災後の悲惨な状況を詠んだ歌を、作りごとだと読むだろうか。現実の苦労が詠まれているから感動や共感を得るのだと思う。

一方、大橋さんのような作り方の歌もある。私には真似ができない。歌はフィクションだから何でもありと言いながら、家族の目をいつも意識している私は歌人としては未熟だ。

他の人のやらないこと、自分しか出来ないことを探すのが短歌だとしたら、大橋麻衣子は実に潔い歌人だと言える。
後半にある「青光りする象」「遠くに牡鹿」のような歌に期待したい。