私の方がきっと正しい 証明をしたがる栗鼠のしっぽをつかむ
(細溝洋子 コントラバス)
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何故ここで栗鼠が出てくるのかはわからない。場面もはっきりとはわからない。
想像するに、会議のような場面で、自分の意見を主張したいけれど、それをするといろいろ立場が悪くなるので、うやむやにした方があとあと都合がいいという場面ではないかと思う。栗鼠は勢いよくちょこまかと動くので、正論を主張したがる自分と重なる。しかし作者はオトナなので、栗鼠のしっぽをつかまえて正論を言わない。うやむやにしたまま我慢している。ここで栗鼠を出すところの諧謔が歌の肝であり、作者の優れた個性だ。「正しい」のあとの一字開けは必要。
(細溝洋子 コントラバス)
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何故ここで栗鼠が出てくるのかはわからない。場面もはっきりとはわからない。
想像するに、会議のような場面で、自分の意見を主張したいけれど、それをするといろいろ立場が悪くなるので、うやむやにした方があとあと都合がいいという場面ではないかと思う。栗鼠は勢いよくちょこまかと動くので、正論を主張したがる自分と重なる。しかし作者はオトナなので、栗鼠のしっぽをつかまえて正論を言わない。うやむやにしたまま我慢している。ここで栗鼠を出すところの諧謔が歌の肝であり、作者の優れた個性だ。「正しい」のあとの一字開けは必要。
脱帽です!
この作品は、先日紹介したきつねの歌などと一緒に連作として作られたそうで、その連作は心の花賞を受賞されました。
歌集を返してしまったので、もう手元になく確認できず残念です。