今日は、朝食を食べて、録りだめた「プレバト」と「博士ちゃん」を見て、昼食を食べて、近所のスーパーに買い物に行って、床に横になった途端寝てしまって、起きて、メダカにエサをやって、今、お風呂に入っているところ。
先々週あたりから生活がかなり過酷だったため、こんなに寛いでいるのが不思議なくらい。本当、無為に時間を浪費しています。
とはいえ、浪費というか、アクセルやブレーキに「あそび」の部分があるのと同様、人間の生活にも「あそび」がないと、きっと故障や事故の原因に繋がるんだろうな。「故障」がメンタル不全、「事故」が病気や死といえるのかもしれません。
無論、高い自律心や目標意識を持って、時間を制御し未来をコントロールできる人なら「あそび」はなくても大丈夫かもしれません。あるいは、徳を積んだ老師や、国難に立ち向かう政治家とか?いや、我が国の一部の政治家は凡人以下ってこともあるのですが・・・
凡夫たる私には、全ての人生を前向きな成果物に等価交換しろって言われても絶対無理。1日24時間のうち1割ぐらいがMaxってところでしょうか?今年でもう54歳。孫がいてもおかしくはない年齢。江戸時代なら楽隠居、あるいはそもそも死んでいるやもしれぬ。
私の持論は「生涯学習は楽ではない」と言うものだが、過酷さにも限度があって、死にそうなくらい辛い状態が継続し続けるのも、これまた生涯学習の域を逸脱しています。早々に撤収しないと命が持ちません。
されど、社会人向けの大学院を1つやるくらいなら、とてもじゃないですが死にません。多くの社会人がクリアできるレベルにしかゴールが設定されていませんから。厳しい、苦しいと感じるなら立ち止まって休憩してもいいのです。だからこそ、多くの先達が学位を取得し、ゴールテープを切っておられます。
まあ、博士課程は片手間にできるものではないし、仕事がブラックで仕事だけでも死にかけている人は別。また、二重学籍や、他の学会行事やイベントの掛け持ちをしている人も命の保証は致しかねますが。
自分の歩幅に合わせて学ぶ。それこそが生涯学習の真の姿と思っています。