生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

「ホームレス博士」

2011年05月31日 21時52分08秒 | 読書
読んでいて恐怖に身の毛がよだってしまった・・・

博士がホームレスになる時代、博士がコンビニで働く時代、博士がワーキングプアになる時代・・・本当にそんな世の中でいいのだろうか?

筆者自身、「2011年春以降の身分は未定」と、この本には書かれてある。心配この上なし・・・筆者の本は「高学歴ワーキングプア」「アカデミア・サバイバル」も含めて手元にあるが、読むにつれ、高学歴が幸せではないことを実感してしまう。

そもそも、学問一筋で博士まで取得し、研究員として従事していてもアカデミックな仕事がないのだ。そう、これってインフレ化している「資格」と一緒。公認会計士でも、弁護士でも食ってはいけない時代。とはいえ、この筆者が[『ホームレス博士』――まぼろしの「まえがき」に代えて]で述べているように、博士を持っていなくても大学准教授になる人もいる。あるいは、難易度の低い「資格」でも、それを活かして年収1千万円以上稼ぐ人もいる。

ようは、「運」と「本人の才覚」の方が、「地道な研究」や「必死の学習」より効果的な結果を生むこともあるのだ。例えば、立派な研究結果を残しているが、学生を教えることもできないくらいプレゼン力がなければどうだろう。国家資格を取得済でも、殿様商売みたいに頭を下げることのできない人だったらどうだろう。

無論、この本に書かれている「コンビニで働く博士」がコミュニケーションに難点があるとは言い切れない。しかし、博士を取得しても就職先のない先輩研究員が多数いるにもかかわらず、どうして修士課程で終わることなく、博士課程を全うしてしまうのか・・・公のデータでも博士の就職率は6割、そして1割弱が死亡もしくは行方不明となっている。もしくは、この本のp.43では「東大卒の博士たちでさえも平均就職率が4割程度というありさま」とされているのだ。

そのような状況で、「自分だけは職にありつける」という裏付けはどこにあるのか。それでなくても、大学教授や准教授のポストは「実務家教員」にとって代わられている。仕事の実体験に基づく話が学生に受けるし、学生の就職活動にも実務家教員の指導が活きる。産能のMBAも実務家教員が9割を占めている。あるいは、明星でも社会人からスカウトしてきている。法律上も、別に博士でなくても教授にすることができる。あるいは、本来、博士が欲しいところでも、社会人の実績があれば修士でも、場合によったら学士でもかまわない。

最高峰の博士を取得しても仕事のない世界。本当なら、私も学生の指導をしてみたいし、研究にも勤しみたいところであるが、この状況下では、家族を抱えて教育の道に踏み出すことはできないことぐらい理解している。そのように、教育への配慮が欠如している国に生まれてきてしまった以上、本業を持たずして研究ができないことを受け入れざるをえないのだ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

めいせい5月号到着!

2011年05月31日 21時18分08秒 | 明星大学大学院
大学院を修了しても、会報「めいせい」は半年に1度送付されてきます。

5月号と11月号の2回。これで、大学の近況を知ることができます。我が母校ながら、いい学校だな~と思います。「めいせい」の4ページ目に博士学位授与者3名、修士学位授与者26名、学部9月卒業者30名、3月卒業者104名と記載されていました。

特筆すべきは91ページの「明星大学通信制大学院奨学金」についてです。対象者6名で、給付額20万円ということです!私も5万円奨学金を頂戴しましたが、今回は、なんと大盤振る舞いの20万円!学部のほうも10万円とういことで、対象者となれば、かなり生活が楽になります(笑)

そもそも、初年度57万円で、以降年額42万円という学費は大学院としては、かなり安いほうです。これで、20万円いただけたら、本当にうれしいな~

振り返ると、産業能率大学大学院の授業料年額60万円(入学金26万5千円:当時の学費です)というのも、私立のMBAコースとしては、5指に入るくらい安値の大学院でした。

どちらの学校の関係者からも、「大学院で儲けようとは思っていない」ということでした。産能150万円、明星100万円とういのは、トータルとしてみるとかなりまとまった金額ですが、高い大学院なら、両方合算しても、1つの大学院を修了することはできません。あるいは、2つの大学院で4年の歳月を費やしたのですが、4年で大学を卒業した場合の方が、この合算した金額よりずっと高いのです。そう考えると、双方の大学院の関係者が「安い」と断言した理由がわかっていただけると思います。

本当は、一番安くてお値打ちの大学院は「京都産業大学大学院(通信)」だと思っています。金額が廉価、かつ、授業料20%免除、かつ、教育訓練給付金対応の上に、なんと、教授からマンツーマンで指導していただけるのです。とはいえ、明星大学大学院でも私の指導教官は学生を2名しかとっていなかったので、環境的には同じかもしれませんが。

金額的には放送大学大学院も想像を絶するくらい安いのですが、修論指導以外、スクーリングがないのがちょっと残念。しかし、それでも、50万円以内で修士の学位が取得できるのは、「夢」としかいいようがありません。とはいえ、京産大大学院の場合、本当は77万7千円ですが、制度を活用すれば60万円台で修士が取得できます。佛教大学大学院や高野山大学大学院も低コストといえ、関西に廉価な大学院があることをうらやましく思っています。

されど・・・学位にかかるコストが安くても、自分の学びたいことではなければ、ハードな修士生活を乗り切ることはできないでしょう。大学院に行こうと思っている方は、目的を見誤ってはなりません。しかし、目的と研究科が合致する方にはメリットがあるよな~
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「生涯学習と自己実現」のレポート完成~♪

2011年05月29日 23時40分18秒 | 放送大学
これで放送大学のレポートはすべて提出ということとなりました。

予定通りといえば予定通りなのですが、相変わらずの締め切りギリギリでのレポート完成に、自分のふがいなさを感じております。

さて、次のハードルは6月10日に研究計画書の修正案をゼミの先生に送信することです。この際、章立てを送る必要があります。イメージ的には3000字ほどの修正案を作るのですが、来週の土日でいいかな。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「科学的探究の方法」のレポート完成~♪

2011年05月29日 20時25分24秒 | 放送大学
本日2本目のレポートが完成した!

合計すると、わずか500文字程度なのだが設問は7つもあった。とはいえ、うち3問は記号を選択するものなので、実質、4問ということか。

実際、この科目は研究を志す者が履修した方がいい科目かもしれない。コンサルティングワークショップ、修士論文とそれぞれ、10万字前後の成果物を残しているものの、我流であり、自信を持って見せれるものになっていない。

研究の基本を学ぶ上で、この科目はいいな~と思っております。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「現代の国際政治」のレポート完成~♪

2011年05月29日 10時11分11秒 | 放送大学
帳尻あわせのようなレポート作成は慎みたいのだが・・・

6月7日必着の放送大学のレポートが3通残っている。そのうちの1つで、文字数が500~540文字のレポートが完成した。537文字だった。

537文字なんて、ブログで1,000文字超の記事を軽々と書いているのだから、「楽勝」と思えるかもしれないが、レポートは別である。今まで、何もしたくなかったのだが、とうとう、やらざるを得ないところまで追い込まれたといえる・・・

そう、根っからのぐうたら。自律心が低いレベルなので、何かしら、強制的なハードルがなければ、いつまで経っても超えようとしない。

でも、人間って、ぐうたらでなくても、「仕事が忙しい」やら「プライベートが忙しい」やら、「今日は体調が悪い」とか「久々の友人と飯を食いに行く」とか、何かしら理由をつけて目先のイヤなことから逃げている動物だと思っている。

新しいことをスタートさせるのは、正直、辛いのである。定まったルーチンの世界で、定まったルーチンの作業をやっている方が楽なのである。そう、変化を怖がるのだ。変化にはリスクが伴う。そのリスクが未知数だから、基本的には避けたいのだ。

心の奥底では「新しい自分に変わらなきゃ!」と思っているにもかかわらず、体がついていかない。だから、いつでも「こんなはずじゃなかった・・・」とか「やる気をだせばできるのに・・・」って、自分に言い訳ばかりしている。

あなたがやろうが、やるまいが、周囲の人には影響はない。自己責任ってやつだ。だから、出来ない言い訳を聞いてくれるのは自分ぐらいなのに、思い出したように、時々、後悔している。というか、独学や、自律心だけで、何かを成し遂げることが、困難だらけだってことぐらい、年齢25歳ぐらいを過ぎたら、はっきり分かっているはずだ。日記も三日坊主、ラジオの英会話も4月号や10月号で終了・・・続ける仕組みを考えなければ、成果を求めることは、まずムリなのだ。

だから、常々、後悔はしつつも、レポートの締め切りがある通信制大学は、私の学習スケジュール管理のよきパートナーである。時々、レポートが重なって瀕死の状態に涙するが、その努力があったからこそ、ささやかながらも、専門分野(らしきもの)を切り拓くことができたと思っている。

あれ・・・これで文字数1000字である。書いたレポートの倍の文字数をブログの記事で書いているようじゃ、いつまで経っても、課題が終了しないな。。。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

友情論

2011年05月29日 06時45分51秒 | ちょっと立ち止まって・・・
いただいたコメントに返事をするのは当然の礼儀である。

とはいえ、ブログをスタートしたころは、そんなネチケットを知らず、貴重なコメントを「放置」することが、ままあった。最近は、まとめて返事を出すことが習慣となっている。都度都度返事を書いていると、時に、返事漏れが発生する危険性があるし、隙間時間でやっつけで返事するのは性に合わないからである。

そのため、コメント後、かなりの日数が経過してからの返事となることについてはご容赦願いたい。

そもそも、この急速に展開していく世の中は、あまり好きではない。みんなが携帯を持ち、即座に返事を出さないと、愛情や友情を疑うという奇妙な世の中。携帯がないと仲間はずれの世の中(とはいえ、長男も次男も、未だ携帯を欲しがらないのだが)。

リアルタイムでつながりを感じていないと不安になる・・・これって、一種の「病気」あるいは「症候群」ではないのかい?携帯の文字やネットのやりとりで、本当に、愛情や友情は計れるのかい?

携帯の登録に多数の「友人モドキ」の名前があっても意味がないだろう。それって、たくさんの名刺を集めて「俺って、こんなに人脈があるんだぜ!」って粋がっている新入社員と変わらない。

「じゃあ、フラ夫さんは真の友人がたくさんいるのかい!」って聞かれても、私には良く分からない。先の「友人モドキ」の話のように、自分が「友人」と思っていても相手は「顔見知り」ぐらいにしか思っていないかもしれないから。一緒に酒を飲んだり、あるいは食事をしたとしても、それが友人の証にはならない。その程度で友人とか親友と思っていいのなら、アル中患者が友達ナンバーワンになってしまう。

ひょっとしたら、友人なんか1人もいないのかもしれない。なんせ、プロのカウンセラー(のつもり)だが、相手の心の奥底を確かめようとは思わないから。疑った時点で、その人は友人のはずはないのだ。

私を友人と思ってくれる人はいないかもしれないが・・・しかし、私には、何かあったとき、友人としてサポートしてあげたい、あるいは、友人と協力してあげたいと思える人はたくさんいる。その中には、顔もまだ見たこともない、ネットだけの付き合いの人もいるのだが。

名前も知らない、顔も知らない、電話番号も知らない・・・そんな方でも、過去いただいたコメントや、メールの中身を見れば、友人として付き合うべき人なのか、あるいは、そうではない人なのかぐらいすぐにわかる。

私の一人よがりかもしれないが・・・友人というものは見返りを求めず、また、相手を信じるものだと思っている。携帯メールの「友人モドキ」は、リアルタイムで返事をするという見返りを求めている上、返事がないことで「裏切った」と思い込み、全く相手を信じていないのが、私には受け入れられないのだ。

自分に自信がないから、友人がいないことに怯え、恐怖する。しかし、友情を構成するのは自分だけではなく、相手の思いも尊重しなければならない。だから、自分ではどうしようもないのだ。あるがままの自分で平然としているだけである。


※本当は、全く違うことを書くつもりだったのだが、途中から「友情」について書いていることに気がつき、急遽、友情論とさせていただきました。前後のつながりのおかしいところはご容赦ください。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国分寺駅のホームで・・・

2011年05月28日 22時16分35秒 | 明星大学大学院
久しぶりに明星の看板を見ました!

そう、明星学苑の最寄り駅は国分寺なんですよね。歩いて1時間ぐらいかな。さすがに日野キャンパスからは歩けませんが(やろうと思えば歩けるのだが・・・)、学苑本部とは半径2.0キロの円に収まるくらい近接しております。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一番乗り!

2011年05月28日 22時10分50秒 | 武蔵野大学大学院
12時過ぎに到着しました。

誰も、まだ、教室に来ていません。この机と椅子。ちょっと、大学院での授業用というのにはムリがありそうな・・・子どもの中学校の教室と同じだもの。

ただ、この堅い椅子に1コマ90分も続けて掛け続けるのには体力が必要だな。やはり、代官山の産能大学大学院の机と椅子は人間工学に基づいて作られているだけあって疲れなかった。なんせ、授業は1コマ2時間30分ですから!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

精神保健学特論の第二回SC!

2011年05月28日 22時06分25秒 | 武蔵野大学大学院
早いもので、精神保健学特論の第一回SCから約1ヶ月が経ちました。

雨が降って運動会は中止となりましたが、SCは中止になることはありません。社会心理学特講のSCで先週来たばかりでしたが、今週も本学にて授業です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「教育テレビ」が消える・・・

2011年05月28日 07時53分52秒 | ちょっと立ち止まって・・・
今朝の日経新聞の30面に6月1日から「教育テレビ」というチャンネル名が消えるとの記事があった。

チャンネル名を「教育テレビ」から「Eテレ」に変更するというのだ!公式文書では今後も「教育」の名称は使用されるが、1959年の放送開始以来50年以上にわたって親しまれてきた「教育テレビ」の名称が、かくもはかなく消えてしまうことに違和感を感じざるを得ない。

そういえば「E電」ってあったよね?国鉄民営化のときに使われたが、現在使っている人がいるのかしら?Eテレなんて、普及しないと思うけどな・・・

そもそも、教育テレビという名称を変える必然性は何なのだろう。看板だけ掛け替えるというなら、あまり意味がないような。。。

2004年のブログ開始以来7年近くにわたって「生涯学習の部屋」の名称も、これを機会に「E-ルーム」に変えてしまうってのはどうだろう?

なんでもかんでも「E」というアルファベットに置き換えることが、いーことだとはとても思えないのだが・・・
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする