打鍵していると、どこかの学校で運動会をしているのか
「カンカン」が秋空に響いています。
「タンターンタカタカ タンタンタカタカ・・・」を聞いていると、なんだか担々麺を食べたくなってきたり?そんなことないか。
これだけ響くと、学校の近辺の家では休日のんびりもできないだろうな。苦情を入れるクレーマーもいるかもしれません。同様に「盆踊り」や「除夜の鐘」なんかも迫害されているとの話も聞きます。
静かに暮らしたいという願いもわからなくはないのですが、極端に権利を振りかざすのはどうなのかと思います。ましてや、盆踊りや除夜の鐘は日本の文化。極端に静かな生活を望むなら、人のいない無人島や山奥にでも行くしかありません。それでも、波の音や虫の声などで0デシベルの無音にはなりませんが。
「自分は他人が気にするような音を一切だしていない!」と胸を張る人でも、通勤に使う電車の騒音、食料品を運搬するトラックの爆音、そういった、誰かが不快を耐えて生まれる「恩恵」を搾取して生きているのです。一過性の騒音に対して必要以上にクレームをする、あるいは盆踊りや除夜の鐘を「潰す」まで攻撃するなら、それなりの覚悟で無音を突き詰めるべきではないか?
聖書に、「あなた方の中で罪のない人が、彼女に対して最初に石を投げなさい」という一節がありますが、「あなた方の中で音をだしてない人が、寺社仏閣に対して最初にクレームを言いなさい」と同じでは。
視覚 、 聴覚 、 触覚 、 味覚 、 嗅覚の五感を不快にする事象はクレームになりやすい。でも、1日ぐらいなら歴史的、文化的、公共的観点において妥当なものは許容して欲しいし、自分自身も許容していくつもりです。