生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

本日の機構!

2012年06月30日 22時29分09秒 | 大学評価・学位授与機構
たまには機構の入口の風景も。
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放送大学多摩学習センターへ!

2012年06月30日 22時24分07秒 | 放送大学
本を返却するために放送大学多摩学習センターへ!


そろそろ単位認定試験なので図書の貸出停止期間に入ることとなる。大学院の学生は7月8日~7月24日、教養学部の学生は7月11日~8月1日とのことだ。

期間が違うので間違わないようにしないと。
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読書の夏。

2012年06月30日 22時18分36秒 | 読書
最近、あまり学習もせず、本ばかり読んでいる。

1週間で数十冊。電車の往復で4冊ぐらい読んでいる計算となる。研究をすすめなければならないのだが、なかなか、研究に身を投じることができず読書に逃げているのかもしれない。

毎週のように、読む本を求めて放送大学と市立図書館に行っている。それぞれ10冊ずつ借りて20冊。それに、自己所有の本をあわせて数十冊ってこととなる。

読まないよりかは読むほうがいいのだろうが、そろそろ、本格的に研究のまとめに入らないと。
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受験会場縮小・・・

2012年06月30日 10時19分02秒 | 大学評価・学位授与機構
「平成25年度以降の4月期申請に係る小論文試験の会場について」という連絡が機構のHPに掲載されていた。

現状、札幌・東京・大阪・福岡の4会場が設置されているのだが、平成25年度以降は札幌と福岡の会場がなくなってしまう。機構の説明では、10月期は従来どおり、札幌・東京・大阪・岡山・福岡の5会場で実施されるということなのだが、札幌・福岡の方にとっては、受験機会の縮小となってしまうのかもしれない。

とはいえ、4月期の受験者は確かに少ない。10月期の1/5程度だろうか?とはいえ、札幌・福岡の会場における4月期の受験者数の推移を知ることができないので、コメントをすることができない。
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今年も半分・・・

2012年06月30日 04時13分57秒 | ちょっと立ち止まって・・・
よくよく考えたら、もう、6月30日!

まあ、よくよく考えなくても6月30日なのだが、今日が終われば、2012年も半分が経過したこととなる。まさに「光陰矢のごとし」である。

さて、1月1日の元旦に計画した目標は、どの程度達成できているだろうか??


1.武蔵野大学大学院修了
⇒○
大変厳しい闘いとなりましたが、皆さまのご支援もあり、なんとか、無事、修了することができました。ありがとうございます!


2.放送大学大学院入学と単位の修得
⇒○
武蔵野大学大学院を修了することができたので、現在、放送大学大学院に入学し、学習できる環境に身をおいています。他大学院修了により10単位の単位認定を受けることができたので、残すところ、あと20単位です。


3.放送大学入学
⇒○
放送大学に入学し、「心理と教育」の卒業が確定しました。


4.英語の学習
⇒△
細々と英語の学習を継続しています。できれば、今年中にTOEICでも受験して、現状の英語のレベルを確認しておきたいと思っています。


5.痩せる
⇒×
66.5キロだったのが、飲み会の影響もあって67.9キロまで肥えてしまいました・・・


6.旅行へ行く
⇒△
日帰り旅行に2回行きました。


7.資格の取得
⇒×
現状、取得件数0件です。無論、修士(人間学)と、学士(文学)は取得しましたが、当方、学位は資格としてカウントしておりませんので、現状0件となっております。


8.宗教を学ぶ
⇒△
個人的には「宗教」というものをかなり学習しています。しかし、誰か先生について学ばないと・・・我流の学問は危険ですから。


やはり、今年最大のイベントは武蔵野大学大学院修了だったので、それがクリアできたことが最大の成果だと思っています。

残りの半年も、精一杯努力できればと思っております。



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疲弊・・・

2012年06月30日 03時57分29秒 | ちょっと立ち止まって・・・
今週は結構大変だった・・・

月末週ということに加えて、飲み会が2回あった。しかも、週初めの月曜が飲み会だったので、1週間がきつかった。

毎日が飲み会って感じの方から、「この程度で疲弊とは、何とひ弱な・・・」と言われそうだが、さすがに、「人生の正午」を過ぎてからは、「飲む」ということに対し、虚弱な体質となってしまったから仕方がない。

現在の私のキャパを勘案、週1回が限度だと思っている。

とはいえ、同僚が退職が飲み会のテーマだから、無碍に断ることもできない。そんなこともあって、月~金の間、ブログの更新もままならなかったわけである。

年相応に、ムリせず、いい飲み会に参加できれば・・・と思っている。
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卒論

2012年06月24日 17時19分49秒 | 放送大学
放送大学は卒業研究を履修しなくても卒業することができる。

多くの通信制大学でも、卒論なしで卒業することができるのだが、可能であるなら、やはり学生の本分として卒論は履修すべきだと考えている。これはあくまで私の考えであり、制度として卒論抜きで卒業できる大学なら、あえて卒論を履修する必要はないのかもしれない。

とはいえ、今、修士論文と並行して卒業論文を作成できるか・・・というところで履修を躊躇しているのも事実である。中途半端な成果物を2つ作るより、徹底的に修士論文に全エネルギーを傾斜した方がいいのではないかとう考え方である。

しかし、今まで15の学位を得てきたのだが、論文抜きで取得したものは全くない。あえて苦難の道を避け、安易に学位を授与されることが、自分にとっての正解といえるのだろうか?後に、「あの時、卒業研究を履修しておけばよかった・・・」と後悔してしまわないだろうか。

修士全科生として徹底的に学習するなら、全科履修生として二重学籍を申請することはしてはいけなかった。にもかかわらず、放送大学本部が二重学籍を許可したということは、やはり2つの論文を並行して書けるということではないのか。

そもそも、過去6年間において、修士論文相当を3本、卒業論文相当を11本(うち1本は不合格)を書いているのだから、2年間で修士論文1本、卒業論文1本は書けそうな気もする。

常々思っているのだが、放送大学で卒業論文を書く人には、本当に頭が下がる。なんせ、放送大学は卒論抜きでも卒業できる大学である。また、卒論を履修すると、多くの場合、先生の指定する結構な遠隔地まで出向いていく必要がある。幸運なら近場で指導を受けれる場合もあるが、そう、うまくいくとは限らない。卒業研究の登録費用より、交通費が高くなるケースはざらにある。

それにもかかわらず、少なからぬ方々が卒業研究を履修するのは、無論、大学院への足がかりとするケースもあるのだが、やはり、大学生として、先生について研究を進めたいという思いからなのだろうか。

無くても問題ない卒論を、あえて履修する人を、やはり私は尊敬してしまうのである。
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「卒業研究履修の手引」「別冊」活用ガイド

2012年06月24日 09時42分31秒 | 放送大学
卒業研究ガイダンスに行った際の資料です。

履修される方はご参考にしてみてください。







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神様の話。

2012年06月23日 20時48分17秒 | ちょっと立ち止まって・・・
神様の話といっても、キリスト教でもなければ、神道でもない。

本日の卒業研究ガイダンスの際、先生が自己の体験の中で、「1月8日提出期限の修士論文を、紅白歌合戦を見ながら書いていたとき(神が)降りてきたんです」という話をされていた。

私も以前、「論文の神様」や「レポートの神様」といった類の話をしてきたので、先生の話に非常に共感を覚えたのでした。武蔵野大学大学院の同期で、人生の先輩のゆずさんも、同じような神様の降臨体験をされているし、他大学院の友人達も、多かれ少なかれ同様の体験を述べている。

真宗大谷派で、根っからの仏教人であるが、このような九十九神的な神様はいるのではないか・・・と思っている。論文の神様、レポートの神様、読書の神様、、、色々な神様の見えざる手に導かれ、偶然の装いの中に、必然が生まれているのではないのでしょうか?

それこそ、我々が、我々として、個々の人格を持って、この世に存在していることこそ、神話レベルの、非常に尊いことなのですから。先祖の誰かが欠落しても自分はこの世に存在するはずはない・・・しかし、今、この瞬間に、自分が存在していることは必然としかいいようがないのですから。

奇跡としかいいようのない可能性の中をかいくぐって、自分はこの世に存在している。このことは、私だけではなく、すべてのこの世に生ける人々に共通して言えることなのです。だから、奇跡的に与えられた、今、この瞬間を生かされていることに感謝し、出来るだけ、充実した生き様を演じる必要があるのではないか・・・それは、この世に一瞬たりとも存在することすら許されなかった対象への責務であると思っています。

だからこそ、命を大切にしなくてはならないし、その命が尽きるまで、自分に与えられた責務を、自分なりに勤め上げなければならないと思っています。
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本日の機構!

2012年06月23日 20時22分46秒 | 大学評価・学位授与機構
最近、木々が生い茂り、機構正面からの写真は機構が隠れてしまう由々しき事態となっています。

故に、放送大学多摩学習センターから撮影することが多くなってきました。本当はギリギリまで近寄って撮影したいのですが、窓から出ることは不可のようなので、このような写真となってしまいます。

学習センターの図書館からは、もっと近寄った写真が取れるのですが、他の学生の方がいるときは迷惑になるので撮影できません。

そういえば、本日は、10冊本を返却して9冊本を借りてきました。ちょっと、1冊不具合があったので、次回に借りることとしたため、9冊です。小平市立中央図書館にも足を伸ばし、10冊借りてきました。

まだ、卒論も修論も、単位認定試験準備も忙しくないので、1週間程度で読める分量です。精読ではなく、多読、乱読、我流に従っての読書なので、どれほどのものかわかりませんが。

とはいえ、書き手を尊重しますので、飛ばし読みはしません。必ず、「はじめに」から「あとがき」まで、すべてのページをめくります。それが、最低限のマナーと自戒しています。

加えて、読み始めたものは途中で放棄しません。どんなにくだらない、最悪の本でも最後まで読み通します。稀に、借りた本で貸出期間の都合上、時間切れで返却することはありますが、それでも、後刻、再度借りて読了します。最後まで読まないと、その本が良いのか悪いのか断言できない上、最後の「あとがき」にきらりと光る金言や名言があるかもしれないから。

良い本に出合えるのは、宝くじに当たるのと同じくらい幸運です。とはいえ、出会った本の名前を覚えることはしないし、感動の文句も、たまにブログに書く以外、書き留めることもしない。なんせ、自分が感動したのと同じ感動を、別の第三者が体感するとはいえないから。

そんな感動の押し売りをしたくはないし、自分で見つけてきた本だからこそ、読了後に、達成感や満足感、あるいは幸福感を体験できるのかもしれません。賢明な読者は、先入観を持って読書をしてはいけません。権威のある人が「この本を推奨する」といったとしても、自分の主観を放棄し、そんな雑音に隷従してまで「やっぱりこの本は凄い!」な~んて思ってはいけないのです。そんなバイアスまみれの読書を、私はしたくないし、自分を失いたくもないのです。

されど・・・読書の神様はとても素敵な神様なので、その分野のことを調べに図書館に行くと、概ね、必要な本を見つけさせてくださいます。あるいは、本屋に行くと、思いもしなかった本との出会いを導いてくださいます。ネットで検索していても、何故か、適切な本を呼び出してくださいます。

なんせ、身近に本を感じさせるような環境に自分を置くこと。そうすれば、必ずや、必要とする本に、出合えることができるはずです。

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