生涯学習の部屋

資格取得数238。6つの修士と18の学士と2つの短期大学士。MBAサラリーマンの生きがい発見生涯学習奮闘記。

爆破予告・・・

2024年03月26日 07時18分56秒 | 明星大学大学院
わが母校明星大学で4月1日に開催される入学式に爆破予告!

入学式は中止となってしまいました。本当、アホなことをする輩には腹が立つ!早く捕まって極刑に処せられればいいのに。

とはいえ、たかだか脅迫メールで入学式が中止になるのは本当に残念。でも、これが本当になったら人命にも影響するので仕方ないですね。
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明星大学

2024年01月11日 04時47分57秒 | 明星大学大学院
多摩モノレール沿線に明星大学のキャンパスがあります。


キャンパス直結の駅の名は「中央大学・明星大学」です。


こちらがキャンパス!駅の東側が明星大学で西側が中央大学。


遠くからもよくわかるランドマーク。これぞ、我が母校。私の研究指導の教官は当時の学長。学長直々に直接修士論文の指導を受けた苦闘の日々が思い返されます・・・



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母校

2023年05月07日 19時47分45秒 | 明星大学大学院
途中下車はしなかったのですが、モノレールを乗っていると、母校が近づいてきました。


そう、明星大学!


駅名は「中央大学・明星大学」ということで、中央大学が先になっていますが、確か、本当は中央大学単体での駅名になるはずだったのを、なんとか明星大学を併記させるという大逆転を成しえたようなことを学校関係者から聞いたことがあるような、ないような?


こちらは多摩動物公園サイドから望む我が母校。



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明星!

2023年04月02日 08時22分49秒 | 明星大学大学院
母校愛が半端ない私。

近所のスーパーで見付けた「煎茶 明星」。


まあ、明星大学出身の私は買わざるを得ないわけでして・・・それにしても、明星を修了したのが2010年3月。もう、13年も前の話なのですね。。。


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多摩川

2022年05月05日 10時31分52秒 | 明星大学大学院
中央線で日野から国分寺に戻る途中、多摩川を渡ることとなります。


車を運転して橋を渡ることは多々あるものの、運転中、多摩川の風景を見ることはできませんから。

我が母校の明星大学の校歌の歌詞に「多摩川は永遠の動脈」というフレーズがあり、ついつい、多摩川を見たくなるのですが、わき見運転するわけにはいかんし。

校歌を確認するにあたり、HPを調べている中、2023年に明星学苑が100周年を迎えることを知りました。大学は1964年開学ですが、学苑としては現状99周年なのですね。通信制大学を始めたのが1967年と私の生まれた年と同じ。そして、通信制大学院を始めたのが1999年で日本で初めて通信制大学院をスタートさせた4大学の一角となっています。

本当、あの時はよく勉強したな~それを思うと、今の自分が情けない。通勤や仕事等々に疲れた、疲弊した、体調崩したと言い訳ばかりして全然学んでいないんだから。やはり、早いうちに学んでおかないと。歳をとればとるほど、学修は困難になっていきますから。
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『生涯学習社会における資格の役割についての考察』

2020年11月21日 12時16分26秒 | 明星大学大学院

タイトルは、私が平成21年度に、「明星大学大学院人文学研究科教育学専攻修士論文研究論題」として書かせていただいたテーマです。

小平宅に戻ってクローゼットを漁っていたところ、修士論文が出てきた!なぜか、明星大学大学院の修士論文だけ名古屋になかったのだが、ここにあったのね!

この修士論文が気になった理由は、リンク先の「資格の達人ブログ」の管理人さんが、現在、産業能率大学で「資格試験の効果的効率的学習法」(仮)で卒論を書かれているから。

資格マニアと呼ばれる方の進路はいくつかあります。一番多い・・・というか大多数を占めるのは「50~100ぐらいでフェイドアウトして撤収される方」。取りやすい資格を取ってしまったのちに、進むべき方向を見失い、何もできない人です。そう、何のために資格を取得しているのかわかっていない人は、挫折しやすい・・・でも、早めに気が付いて、無為に人生を浪費しなかっただけよかったかもしれません。

次に取り上げたいのは「細々と資格を取り続ける方」。この手の方は、基本的には、それなりの資格を目指して頑張られます。国家資格や公的資格を取得し、本当、自身のスキルを積み上げるタイプ。数に走らず、資格を自己のスキル開発に活用していくスタンスに、私は感動してしまいます。こういう方が、大型資格や難関資格を取得されると、そのご苦労や根性に涙してしまいます。

そして、一握りですが「ガンガン資格を取り続ける方」がおられます。私の個人的な考えとして、こちらは内容次第。資格を取得されることは素晴らしいのですが、ネット資格や訳のわからぬ民間資格に走るのはいかがなものかと。そんな中、コンスタントに国家資格や公的資格を入れていくのならまだしも、サルでも取れる資格を積み上げて何になる?というか、数に走った時点で「資格というものなら何でもOK」というモードに入っているのだから、なら、底辺の資格ばっかり取るんじゃなくて、それなりに履歴書に書ける部類の資格も取れよ!って思うわけ。

ゲームで例えるなら、弱い敵ばっかり倒して、「俺は最強だぞ~!!」って叫んでいる痛い人。当然のことながら、最弱の敵ばかり倒しても、ランキング上位には入れませんから。

最後に、資格を研究対象として見つめなおす人。全国に何人ぐらいいるでしょう?資格を研究している先生は多いかもしれませんが、自分自身100越えの資格マニアに属する部類の人で、それを論文にまとめた人間がどれだけいるのか・・・(資格マニアを100越えとしたこと自体、正解かどうか不明ですが)

私は、資格を生涯学習の一環として取得し続けたので、比較的容易に論文として成果物を残す作業ができました。でも、「資格マニア」というか、「資格中毒」に陥ってしまうと、資格の日程や難易度等々、そんな些末なことばかり気になって、禁断症状すら現れてしまう・・・そして、数が全てになって、事前学習もなく、ネットで、択一式で、誰でも取れる資格を取っては「数、増えました~」って、恥ずかしげもなく公に晒してしまう・・・私も片足を突っ込んでしまいましたが、なんとか、大事に至る前に「冥府魔道」から抜けることができた次第。

数を誇ることを否定はしないのですが、「その取得した資格の内容で誇ってしまって、本当に恥ずかしくないかい?」っていうのが疑問点。まあ、私も、それほど大した資格は取得していませんが、基本、それなりに根拠のある資格を取得してきたつもりです。ゆえに、2012年1月1日の「資格について」という記事で、以下の提言をしています。

私の愛する資格とは、生涯学習における『目標』であり、知識の到達度を測る『結果』なのである。そして、知識が到達した場合、『合格証書』が与えられ、それが社会的に『評価基準』となり、社内FAや転職等において『エビデンス(能力の到達状況の証明)』、自分がやりたい仕事を獲得することで『自己実現』へと導くものなのである。
本来なら、ちゃんとした基準を作って、その中で、資格の保有数などを競うというのなら、モチベーションも湧くだろうし、少なくとも、何のために存在しているのか理解に苦しむ「××検定」は除外され、何らかの生涯学習に貢献するものと考えられる。
で、当面、基準がないので、以前、文部科学省の生涯学習分科会で出された、「資格について」の別紙1、2、3、4で数えてみてはどうだろうか?
私の場合、保有資格231個のうち、123個が該当。おちゃらけた資格ばかり取得しているようで、実は、文部科学省生涯学習分科会的に見れば、生涯学習に立脚した資格をコツコツ取得してきたといえる。
123個を軽くオーバーするって超人がいれば、再び、資格戦線に復帰する意欲も出てくるかもしれないが、数を稼げる別紙4のビジネス・キャリア制度を押さえているのが私なので、きっと、私が日本一なんだろうな・・・

ルール無用の資格マニア大戦!言ったもん勝ち、後出しじゃんけん、なんでもありの混沌とした世界。何せ基準がありませんから。「基準なんて作れないよ!」っていうことなかれ。私が研究しようと思っているイギリスでは、万を超える資格があふれていたのを、国を挙げてNVQ等に収束させて、資格のルール化を実現しているのだから。

まだ、それほど読み切れていないが、レベルがあって、学術資格は博士がレベル8、修士がレベル7、学士レベル6・・・となっています。そして、全国職業資格(NVQ)も5段階に分類され、それぞれ、NVQ5=レベル7~8、NVQ4=レベル4~6、NVQ3=レベル3、NVQ2=レベル2、NVQ1=レベル1といった感じで各資格が分類されています。

ランクに入らない資格はカウントゼロ、そして、学位や職業資格等のレベルの集計を行い、一番多い人が日本一って基準を明確化すれば、「俺が日本一!」「私が日本一!」「おいらが日本一!」ってこともなくなるのでしょうね。そうなれば、学位や文科省で公認された公的資格を多数保持している人が強いんだろうな~(笑)。

それはそうと、2012年1月1日の記事にも、資格の達人ブログの管理人さんがでておられたのですね!テーマがテーマですので、かぶってしまったのかもしれませんね。

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明星

2020年09月21日 10時00分15秒 | 明星大学大学院

国分寺駅にあった明星学苑の看板。

そう、明星は幼稚園から大学院まであります。その明星の博士課程前期で学んだのは2008年4月から2010年3月まで。概ね10年前の出来事なのですね。あの時はきつかった・・・

そんな厳しい大学院生活に、何も好き好んで戻る必要もないのに、ついつい、勢いで放送大学の経営社会科学プログラムに申し込んでしまいました・・・まずは試験に合格する必要があるのですが、合格すれば6度目の大学院。といっても、すべて修士なのですが。

正直、50代、いや、名古屋に単身赴任してからでしょうか、かなり、学びに消極的になってきた気がします。まずは、名古屋での単身赴任生活を無難に乗り切ることを主眼に学習に取り組んできました。といっても、日本福祉大学、放送大学、自由が丘産能短期大学と4年で3つの大学・短大を卒業しているのですが。

10年間大学院生を続け、最後に武蔵野大学大学院人間学研究科仏教学専攻を修了したのが2016年3月。そして、単身赴任を開始したのが2016年2月。もし合格できたなら、ちょうど、単身赴任の期間だけ院生生活を避けたこととなります。

とはいえ、お金が続かないので、きっとこれが最後の大学院になると思います。1日で作成した研究計画がどこまで開花させることができるか楽しみです・・・っていう前に、院試に合格しなければならないのですが。

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ちょっと気になって・・・

2019年02月02日 06時50分17秒 | 明星大学大学院

2016年度の明星大学大学院博士前期課程の入試問題を見て「解答できない」事実に驚愕してしまったのですが・・・

いったい私はどんな問題を選択して解答したのか気になったので、2008年3月9日(日)に実施された入試問題を引っ張ってきました。私が解答したのは以下の2問。

①総合的な学習の時間において、情報通信技術を如何に活用しうるか、またその際の方法論について記述しなさい。

②生涯学習の目標の一つは学習者の「自己実現」にあると言われているが、その意味することについて述べなさい。

これは凄い!偶然ですが、①は現学長が出題された問題で、②は前学長が出題された問題で、その2問をピンポイントで選択しております。問題は12問から2つ選択する方式ですが、正直、この2問しか解けません。いや、教育現場出身者ではない私にとっては、この2問ですら、理論に基づき、正確に答えられたか微妙です。

ちょっと気になって調べた明星大学受験の際の資料でしたが、その中から、産能大学時代のゼミの恩師が書いてくださった「推薦状」がでてきました。今は亡き恩師ですが、今でも思い出すのが、明星に行く前に、産業能率大学大学院に合格を電話で報告した際に、本当に喜んでくださったこと。

恩師のゼミからは、同期だけでも私も含め4名、歴代ゼミ生を合わせると相当数の院生が誕生しております。しかし、恩師は産能大学講師にもかかわらず、ゼミ生からは産能大学大学院に進学する学生はいなかったとのこと。5期生にして、ようやくって感じだったのでしょうね。

恩師はゼミに入る際に「志望書」を書かせていたのですが、その志望書に「進学を希望する大学院」という欄があり、そこに「明星大学大学院」と「放送大学大学院」と書いて提出しました。結局、その2つの大学院は、両方とも修了することとなりました。本当、「目標を書くこと」の持つパワーは凄いです。

このブログは産能大学に入学した年の、2004年8月21日からスタートしておりますが、その中で、いくつも「やりたいこと」や「目標」を語ってきました。叶わなかった夢も多々ありますが、それ以上に、叶った目標の多いこと。やりたいことをブログで公表すること、目に見える形で書き綴ること、それが目標を顕在化させ、「何を」「どのように」「いつまでに」対応していかなければならないかが明確になるわけで。あと、多くの方々にコミットすることで、自分の限界すら突破できる力が湧き起こることも事実です。

「できないと思われることをやり遂げる」。頭の中で呆然と考えると、「とてもじゃないけどムリ!!」って思うことでも、私がやり遂げれば、「忙しいサラリーマンでもなんとかなるんだ」と思っていただくことができ、乗り越えることができないと思い込んでいた高い壁が、実は、跨いで乗り越えることができる程度の障壁とわかっていただけるはず。そんな思いから過去の生涯学習を公開しております。

自己の生涯学習なんて、私自身が死んでしまえばゼロクリア。無に帰ります。ただ、このブログを見て、誰かが、生涯学習に取り組んでいただければ私が生きてきたことにも、少しは意味があったかな~と思えます。それは、私が恩師から与えてもらったものを、次の挑戦者に繋いでいくことでもあるのですから。

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自信がない・・・

2019年02月01日 05時47分05秒 | 明星大学大学院

最近、アクセス件数が多い状況が続いています。

アクセス解析をしてみると、明星大学大学院関係が多かったので、「そろそろ入試や合格発表があるのかな~」と思い、久しぶりに明星大学通信制大学院のHPを見てみることとしました。

その際、過去問が掲載されていたのですが、開いてみてみると、とてもじゃないですが解答できません・・・もし、この問題が出されていれば、一度修了しているはずの「博士課程前期課程」を合格する自信がありません

 ちなみに、問題は以下の通り。教育関係者なら簡単な問題なのかもしれませんが、わたくし、銀行員ですので。冷静かつ客観的に思い返すと、本当、無謀な挑戦をしていたのですね。

 

問題A~Kのうち2問を選択し、答えなさい。(2016年1月23日実施分) 
 
問題 A 日本の学校教育の歴史において、今日に通じる大きな役割を果たした人物を1 名挙げて業績を説明し、あなたの考えを論じなさい。
 
問題 B 中央教育審議会の教育課程企画特別部会の『論点整理』(平成 27 年8月)で の指摘事項に触れながら、これからの時代に求められる資質・能力とその育成 の在り方について論じなさい。
 
問題 C 教育現場においては、子どもの望ましい発達を支援することが重要な任務の 1つです。遺伝と環境が子どもの発達に及ぼす影響についてあなたの考えを述 べなさい。
 
問題 D 学校教育法第17条では、保護者は、学齢段階にある子を小学校・中学校又は 特別支援学校の小・中学部に就学させる義務を負うことを規定しているが、今 日、不登校の児童生徒が約12万人を数える中で、フリー・スクールなど学校以 外の教育機関での学習活動を義務教育の履行とみなす新法の制定の動きが高ま っている。このように保護者の「就学義務」の代わりに「教育義務」を認める ことについて、公教育制度の果たす役割や児童生徒の教育権の保障とのかかわ りでどのように考えるべきか、あなたの考えを述べなさい。
 
問題 E 法律上、子どもに関わる専門職には児童虐待の早期発見努力義務が課せられ ている。虐待を訴えることができないが虐待が強く疑われる、もしくは虐待を 否定しているものの虐待が強く疑われる事例に遭遇した場合、専門職の立場か らどのような対応を行うべきか論じなさい。
問題 F 乳幼児の「遊び」の種類や内容、おとなの支援のあり方について論じなさい。
 
問題 G 幼児期に身に付けるべき音楽の基礎的能力と創造性について考えるところを 述べなさい。
 
問題 H 小中学校における「特別支援学級」および「通級による指導」の概要を述べ た上で、それぞれの教育の場における共通点と相違点について述べなさい。
 
問題 I 「発達障害が疑われる」Aくんに対する支援の必要性について、担任は保護 者に伝えることができない。その課題や背景について、思うところを述べなさ い。
 
問題 J 個別の指導計画を作成する前提として、対象児の実態把握が必要であるが、 そのための方法(アセスメント)と計画作成への生かし方に関し、具体例をあ げて述べなさい。
 
問題 K 1980年以降の日本児童文学の特徴を複数の作品を例にあげて論じなさい。
 
 

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教育の明星

2018年11月25日 14時21分16秒 | 明星大学大学院

新宿駅に到着する直前、車窓から明星大学の看板が見えました。

入試の日程とともに、「教育の明星」と書かれた大きな看板。ああ、我が母校「明星」。教育の明星で教育学の修士を授与されたのは、もう10年以上も前のことなのですね。

本当に月日の経つのは速いです。それ以上に、教育学の修士を、何にも役立てることができない己の未熟さが痛み入ります。教育学だけじゃなく、その他もろもろの学位や資格も、何かに意味を成したこともなく、まずもって、自己満足の世界だけのもの。

時間と金の無駄遣いといわれれば、その通りとしか言い返せません。とはいえ、基本、人間の生き様は時間を消費し、得たものを失い、最後に、何も持たずに冥土に召されるだけのこと。

なら、自己満足の生き方も、自己責任において、許容されるものなのでしょうね。

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