修士論文でも言及したのだが、大学と資格は隣接しており、相互補完していくものだと考えている。
その新しい形が「大学院」と「中小企業診断士」である。
無論、法科大学院と司法試験、会計専門職大学院と公認会計士試験というのもあるのだが、特に修士論文でも取り上げた大学院と中小企業診断士について、日経大学・大学院ガイド2010年春号に記事が載っていた。
中小企業診断士ついて、2005年から、中小企業大学校にのみ設置されていた養成課程が民間に開放された。
私が論文をまとめた際には、中小企業診断士試験の2次試験が免除となる養成課程が「法政大学大学院」「中京大学大学院」「名古屋商科大学大学院」「東海学園大学大学院」の4つの大学院に設置されていたのだが、2010年から「東洋大学大学院」「千葉商科大学大学院」「兵庫県立大学大学院」の3大学が追加になったそうだ(同書P.7)。
規制緩和が進展していく際、大学・大学院に認められていたさまざまな資格取得に関する優遇が廃止されていった。税理士もダブル修士では取得できなくなってしまったのもこの時期の話である。
試験で資格を取得することもでき、学校で学習することで資格を取得することもできるようにする。世の中には試験に弱い人も少なからず存在する。異常に緊張したり、要領が悪い人もいるのだ。試験に不合格となることで、1年間人生が停滞することとなる。そして、それは、来年必ず合格できると保証されたものではない。
そう考えると、大学という教育機関で学習することにより資格が取得できることはエンドが確定する(まあ、留年することもあるかもしれないが・・・)ので、精神的に楽だといえる。
何度もいうが、そもそも大学とは資格を取得するために発生した。「教師」をはじめ、「僧侶(牧師)」「医師」「法律家」等を養成し資格を交付した。大学・大学院で専門教育を施し、そのレベルに達したものに資格を与えることは社会人が大学に戻ってくるきっかけにもなる。
その大学にかかるコストが「差別」に繋がるというが、今でも、難関資格は予備校にいけるものといけないものの差別が存在しており、実態的にはあまりかわらない状況だといえよう。それに、試験で合格できる道も残すことを提言しているので、努力のみで資格取得する道は残しているつもりである。
大学と資格の新しい関係が、もっと幅広い分野に導入されることとなればいいと思っている。
その新しい形が「大学院」と「中小企業診断士」である。
無論、法科大学院と司法試験、会計専門職大学院と公認会計士試験というのもあるのだが、特に修士論文でも取り上げた大学院と中小企業診断士について、日経大学・大学院ガイド2010年春号に記事が載っていた。
中小企業診断士ついて、2005年から、中小企業大学校にのみ設置されていた養成課程が民間に開放された。
私が論文をまとめた際には、中小企業診断士試験の2次試験が免除となる養成課程が「法政大学大学院」「中京大学大学院」「名古屋商科大学大学院」「東海学園大学大学院」の4つの大学院に設置されていたのだが、2010年から「東洋大学大学院」「千葉商科大学大学院」「兵庫県立大学大学院」の3大学が追加になったそうだ(同書P.7)。
規制緩和が進展していく際、大学・大学院に認められていたさまざまな資格取得に関する優遇が廃止されていった。税理士もダブル修士では取得できなくなってしまったのもこの時期の話である。
試験で資格を取得することもでき、学校で学習することで資格を取得することもできるようにする。世の中には試験に弱い人も少なからず存在する。異常に緊張したり、要領が悪い人もいるのだ。試験に不合格となることで、1年間人生が停滞することとなる。そして、それは、来年必ず合格できると保証されたものではない。
そう考えると、大学という教育機関で学習することにより資格が取得できることはエンドが確定する(まあ、留年することもあるかもしれないが・・・)ので、精神的に楽だといえる。
何度もいうが、そもそも大学とは資格を取得するために発生した。「教師」をはじめ、「僧侶(牧師)」「医師」「法律家」等を養成し資格を交付した。大学・大学院で専門教育を施し、そのレベルに達したものに資格を与えることは社会人が大学に戻ってくるきっかけにもなる。
その大学にかかるコストが「差別」に繋がるというが、今でも、難関資格は予備校にいけるものといけないものの差別が存在しており、実態的にはあまりかわらない状況だといえよう。それに、試験で合格できる道も残すことを提言しているので、努力のみで資格取得する道は残しているつもりである。
大学と資格の新しい関係が、もっと幅広い分野に導入されることとなればいいと思っている。